Myselves

言葉と音楽に隠された魔法を探して放浪中。
そんな『自分自身』たちの旅の様子は?

赤――レミ講座おまけ

2009-09-16 20:41:58 | 舞台
レミ講座のおまけ。
色々書きたいことがあるのでわけて書きます。

……誰か、要領よくまとめるコツを教えて下さい……





今回はレミ講座で教わったこと&今まで知り得た知識など。


【博愛】関連
レミゼは1815年~1833年の18年間の物語。
この時代のフランスはフランス革命のあと共和制やら王政復古やら帝政やらと政治的に不安定だった時代。
社会の底辺に生きる人々にしわ寄せが行き、高い志を持った人々が新しい国を作ろうとしていた時代。


レミゼの日本初演時、男性の観客が増えたことは日本のミュージカル史に残る大きな出来事だったらしい。
女性同士やカップルが観に行くものと(一般的に)思われていたものが変わったから。
日本初演は1987年。ちょうど学生運動に身を投じていた人たちが30代後半から40代にさしかかっていた頃。中にはバリケードの学生たちに自分を重ねた人もいるそうだ。


これも初演時。
ベガーズを演じる際、アンサンブルの俳優さんたちに演出家のジョン・ケアードが「ベガーとして稽古場の端から端まで歩いてみなさい」と言ったらしい。
ある程度の時間があればほとんどの役者さんたちはたどり着く。
そんな中、1人の俳優さんは30分経ってもたどり着かなかった。

「本当にお腹が空いていたら動くことなんて出来ない」

彼はそう言ったらしい。
この俳優さんの名前は山本あつしさん。ジョリを演じた方です。この方はジョリの最期――片足でぶら下がる、あの最期を考えた人。
その後キャストが変わってもこの演出は受け継がれていく。


作曲者・クロード=ミシェル・シェーンブルクは曲も書けば歌も歌う人だということは【博愛】でもふれた。
フランス語版のCDを持っている人なら既にご存知だと思うが、彼は自らクールフェラックを演じている。
クールフェラックは原作ではマリウスの親友。家を飛び出したマリウスに仕事の世話をし、お金も貸し、一緒に住んでいたこともある。
ミュージカル版ではソロこそ少ないが、マリウスのそばにいたり、マリウスをからかったグランテールに対して怒ったりするのはそういうわけだ。


『民衆の歌』はオリジナルではアンジョルラスの演説だった(フランス語版CDでもそうなっている)。
それがロンドンで今のように4人が歌い継ぐように変更されたのは、『ABCの友』全員が思想家であるということが反映されているからと、レミ講座で聴いた。だから学生たちの場面は単なる仲良しグループにならないように、とジョン・ケアードが言ったらしい。
原作を見てみるとそれなりに遊んでもいるが、常に誰かが新聞を読み、議論している。
友達であり、仲間であり、同志である。
それが『ABCの友』なのだ。


【平等】関連
中音域を綺麗に歌える人が高音域を歌うと、パワーのある良い声になる、とビリー先生が言っていた。
逆に高音域が得意な人が低音域を歌うときにはまた違った感じになり、場合によってはものすごく苦労するらしい。


『乞食たち』の「♪子どもらに パンよこせ」のところは裏声でも地声でもどっちでも良い。いろんな歌い方があって良い。
そうすることで声に厚みが生まれ、そのパワーは何倍にもなる。
そんなことも聴いた。


「♪いつか いつか……」は22回あるらしいが、いちいち数えている人は少ないらしい。
それはアンジョルラスの「♪彼こそ味方だ」で一緒に終わるからだ。
実際にワークショップを体験すると、それがよくわかった。
世界を変えてくれるかもしれない人がすぐそこにいれば、その人に目を、耳を向けるのだから。


【自由】関連
ワークショップの際、垣ヶ原さんが「目の見えない人にはならないで下さい。片目くらいなら構いませんが」おっしゃった。
それは舞台の上の安全面を考慮してのこと。実際のベガーには盲目の人もいたはずだが、こればかりは仕方がない。


ワークショップ体験で、「どんな人物を演じるか」ということについて考えた。
細かいところまで考えれば考えるほど『役』は生命を得て躍動する。


私はプロじゃないから自分の知らないことは演じられない。だから自分に沿った『人物』を考えた。

左足が悪いのは、10歳の時に左の骨盤あたりを2度強打し、間を置かずに2回左膝をすりむいたからだ。特に2回目の傷はそれまでの3回の怪我に加え、膝から下が地面についた状態だった。車椅子にならなかったのが奇跡だと、あとで聞かされた。
以来10数年、私の左足は右足よりほんの少し短く、よく怪我をする。

歩けない感覚が簡単に身についたのは高3の時――折井さんと同じクラスだった――の体育で右足の膝を怪我して、2ヶ月ほど松葉杖生活をしていたからだ。この時の怪我はなんだったか今でもよくわからないが、軟骨を損傷したらしい。
ひどい痛みのあとに来るのは無感覚。
右足よりひどい怪我を何度もしといる左足にその感覚を身につけるのは、自然なことだった。


左耳が不自由という設定は幼い頃に中耳炎を患った経験はもちろん、少しだけ手話を知っているから。
それに、1度だけ、聴力を失う危険に瀕したことがある。


ガヴローシュに憧れている設定は単純、舞台人を夢見ていた頃の目標だったから。
マリウス=王子、アンジョルラス=天使というのは戸井勝海さん・石井一孝さんのイメージと岡幸二郎さんのイメージから来ている。


何故少年か?
答えは私が何度も少年に間違えられてきたから。今はさすがにないが、20歳まで「あのお兄ちゃん」「そこのぼく」と言われたことがある。
もちろん、声域がテノールに近いアルトというのも大きく関わっている。






おや、その少年が自分のことを話したいそうだ。


彼のRomanを聞いてみよう……

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