ふ〜ちゃんとく〜ちゃんのママ

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一戸〜宮古の旅②

2024-06-17 05:52:00 | 日記
まとまらなくても、とっちらかってても、とにかく書かないことには、残らないので、2日目レポを書き始めることにする。

2日目は、カダルテラス金田一からのスタート。

前夜、くたくた、へろへろ😵‍💫の状態で辿り着いて…チェックインを済ませた後、温泉に向かうも、入浴時間22時までって言われたのか23時までって言われたのかも分からなくなり…22時までだったら、チェックインの時、22時だった筈💦と大慌てでお風呂を済ませたのだった。(本当は、23時までだったから、もう少しゆっくり入ってもよかった…🥲)

という訳で、朝は温泉♨️からのスタート🤗
前夜カラス🐦‍⬛の行水だった分を取り戻すべく、ゆっくり入って🥰出発準備をしながら調べてみたら、二戸から宮古って、2時間は掛かるのね…😳14時半Openだから、ゆっくりだぁ😊なんて思ってたけど、そうでもないと判明💦 はい出発、出発❗️

途中、印象的だったのは畑。…と農作業している人。野菜の苗がきれいに植えられてるのにびっくり…😳畑も広い…😳そして、この日は朝からとても暑い日だったのだけれど、農作業している方をたくさん見た。コンビニにも農作業から抜けてきたようなおじいちゃん、おばあちゃんがいっぱい…😳やませの影響で豊かな土地ではなかったと思っていたのだけど、宮沢賢治さんのふるさとだもの…土壌改良されたのかな。でも、途中でやませが吹いてきた時は、やはり、気象条件は厳しいのかも…って思ったのだ…😰

続いて、思惟の風と浄土ヶ浜にも寄り道して…観光も楽みつつ…😊
思惟の風では、昨年秋の産業祭りを思い出したり、リノベーションされたお家を見たりして…今年も産業祭に来れたらいいなぁ…なんて思う😊

浄土ヶ浜は…前回来た時は、精神的にどん底の時期で…海はきれいだったけど、泣きそうになりながら遊歩道を歩いた記憶があるのよね…。そんな浄土ヶ浜に、また行って見たいなぁって思うきっかけが「青ノ果テ」だったなぁ…。

遊歩道のトンネルも歩けるようになっていたし、サッパ船で青の洞窟まで行けるようになっていたし、机浜からだけじゃなくて浄土ヶ浜からもサッパ船乗れるって新しい発見だった😄遊覧船もお客さんをいっぱい乗せて運行してた😆この次は、乗れたらいいなぁ🥰

遊歩道を散策しているうちに、Openの時間が迫ってきたので、急いでシネマ・デ・アエルへ❗️

江戸時代の建物で、昔は酒蔵だったとか…
昨日に引き続き、趣のある会場。
ここでは、昨年、田野畑村でお世話になったみかさんとあけみ先生と会えた🥰「席、空いてるからおいで」と言ってもらったので、喜んで移動したのだけど、これが1列目の真ん中😅💦とっても贅沢な場所でLiveを観ることができたのだった🤗

シネマ・デ・アエルも映画館だったので、広くて背もたれにゆったり座れるシートで…ウクレレ聴いているうちに、うとうとしそうになりながら、2日目のLiveを満喫。2日連続で聴けるっていうのも幸せだなぁとしみじみ思う。

ここからが、超ミラクル…
石澤校長先生と昨日のLiveの話をしている中で、ウクレレをお借りできるという話が浮上したのだ😳県を跨いで備品を借りるなんて、聞いたことないよ…😳しかも、今年度いっぱいくらい借りられるというあり得ないくらいラッキーなお話…😱💦こんなチャンスを逃したら、一生後悔する…😭帰ってから上と相談して、早急に連絡させていただくことに…🙏

これもきっと「巨人の星」になるにちがいない…

デイジーさんの「みーさんが、ウクレレ教えなきゃいけなくなるんだよ」のひとことが、重くのしかかる…😓

もとはと言えば、スクールライブをしてもらって、学校で子どもたちにワークショップを開いてもらえたらなぁ…っていう個人的な願望だったのよ…
でも、課題が多過ぎて、とても実現出来るとは思えない案件だったのよ…遠いし、予算も無いし、ウクレレも無いし、許可だって簡単に取れる筈がないし…😭
それが…俄かに現実味を帯びてきて…😵‍💫夢みたいな話…実現まで漕ぎ着けられるといいなぁ😊

帰り道は、区界高原にも寄り道した。
ちょうど、薤露青の時間帯。

また、「青ノ果テ」と「旅猫リポート」読んでみたくなったなぁ…読みながら、また今回の旅の思い出に浸ることにしよう🤗

出会った方々、お世話になったみなさまのことも書きたいけど…もう時間がない…今日は、ここまで。。。

いい旅になりました。ありがとうございました🤗











一戸〜宮古の旅

2024-06-16 13:15:00 | 日記
全然更新していないblog…
タイムリーに書いていかないと書けなくなる…と痛感してはいるものの、時間との格闘なのですよ。いつも、いつも…😢
だけど今回は、がんばって書く😤

Live情報が公開になった時「金曜日だから無理か…🥺」と思っていた。
会場を調べたら、車だと2時間半で着くらしい。幸い19時スタートとチラシには書かれている。
「これは…もしかしたら行けるのでは?」と思ったのが今回の旅の始まりだった。

気分は、「行けるかも」→「行かなきゃ」→「何が何でも行く!」に進化して…
昔見たアニメ「巨人の星」の心境よ…
「思い込んだら試練の道を〜行くが男の〜ど根性」(男じゃないけど…)
働き方改革なんて完全無視よ。もう…💦💦💦 ばりばり仕事しますた😤

で、予定通り金曜日の夕方に出発し、Googleマップに案内されるまま一路一戸に向かう。
目指すは「萬代館」
着いてみると、小坂町の康楽館みたいな建物だった。明治42年に建てられた国の登録文化財らしい…
入り口を入って右手に昔の映写機?が2台もあって、さすが映画館😳❗️と思う。

会場は、客席もステージも広くて、ゆったりと観ることができる。
訪問した学校の子どもたちと、その保護者の方々が多かったけど、ご年配の方々も数名いらしていて、印象に残った。子どもたちのおばあちゃんよりも、もう少し上の年代の方々じゃないかなぁ🤔復興応援活動で繋がられた方々だったのかしら?

LIVEは2部構成。歌あり、インストあり、子どもたちの発表あり…と盛りだくさんで、終始楽しむことができた🤗
子どもたちの演奏は、パフ、茶色の小びん、しんかんせん、花は咲く…と4曲もあった😳👏👏👏
とっても元気な歌声に、びっくり😳
ウクレレも上手〜〜👏👏👏
こんな活動ができたらいいなぁ…のモデルみたいなステージでした。
いつものことながら…デイジーさん、子どもを乗せるのがうまい👏👏👏 
そして、石澤校長先生のお力…と思いながら、観てました。

デイジーさんのLiveは…最近、力強くなったように感じるのです。
(そんなに多く観れている訳ではないけど…😓)
風とメロディーのCDがリリースされてから、強くなったように思うのです…

blogで、とつとつと書かれているのを読んでは、心境を想像することしかできないけど、逆境、逆境…で大変だっただろうなぁ…と。そんな中、戦友のコハルさんが亡くなられたことは、相当な喪失感だっただろうなぁ…と。ここしばらく、何となく「らしくないなぁ…」と感じていて…。でも、「SNSって全てを表現できる訳ではないから…」とも思っていて…。「大丈夫?」って聞きたいけど、聞いてはいけないような…「きっと乗り越えられる」と自分に言い聞かせつつ、目が離せないような…複雑な心境だったなぁ。

どんな状況であっても、「お客さんに非日常を味わってもらう」を目指したポリシーみたいなものは、いつも貫かれていて感心する。「ミズアオ」や「月影ピエロ」を聴くといつもそんなことを思う。(今回の演目にはなかったけど)

今回のスライドショーは、「カイロセイ」と「スカイライン」が印象的だったなぁ。
この2曲は「青ノ果テ」と「旅猫リポート」の曲。コロナ禍真っ盛りの頃に生まれた曲。
私の中では、作り手の思いとはちがった別の物語が広がる曲。
「コロナ禍が明けたら三陸海岸線を旅したい」と願っていたことを思い出しながら、バリトンウクレレの切ない音色を楽しませていただきました。

この日のLiveは、21時頃まで観ることができたのだけど、金曜日の21時って私には疲労のピークで…😓💦
アタマはがんがんするし、目はしょぼしょぼするし…で、お疲れさまでしたの挨拶もそこそこに宿に向かったのでした。(ごめんなさい)

まとまらないけど…取り急ぎ、1日目のレポということでアップしちゃうことにする💦💦















ハマギクの唄 2024

2024-03-14 19:55:00 | 日記
今年もリアルタイムで観ることができて、よかった。
デイジー☆どぶゆき 東日本大震災復興 "ハマギクの唄2024"

デイジー☆どぶゆき 東日本大震災復興 "ハマギクの唄2024"

デイジー☆どぶゆき東日本大震災復興応援企画ソロLIVE"ハマギクの唄2024〜オモエサンライズを辿る"2024年3月11日(月)(開演)19時 (終演予定)20時30...

 
3月25日まで何度でも観ることができるそう。多くの方々にぜひ、観ていただきたいと思い…重い腰を上げる💦💦(blogを書くことを断念することが多すぎて…)


3月11日。
朝の校内放送を聞いた子どもたちが、質問してきた。
「東日本大震災ってなあに?」
「今から13年前に起こった大きな地震のことだよ」と、答えると
「知ってるよ、お兄ちゃんがまだママのお腹の中にいた頃に起きたんだって」
「テレビで見たことある」
「へぇー😨」等…様々な反応が返ってきた。
「あの時は、大きく揺れてね、揺れていた時間も長くて…怖くて泣いちゃう子もいたんだよ」
「先生も怖かった?」
「怖かったよ…先生も怖かったけど、泣いちゃった子に『大丈夫、大丈夫…』って言うしかなかったな…」

「電気も停まってしまって、ストーブもつけられなくて、すごく寒かったんだよ。それが3日くらい続いたんだよ。私たちも大変だったけど、岩手県や宮城県や福島県の人たちは、もっと大変だったの。地震の後、いろいろな方法で岩手や宮城や福島の人たちを応援しようっていう活動が始まってね…そのつながりで、東京から応援に来ていたデイジーさんと知り合いになったんだよ」
「ええー⁉️😳」「いつも聴いているデイジーさんが‼️😳」とびっくりする子どもたち…

岩手県には重茂半島っていうところがあってね。本州では一番東にあるから、一番早く朝陽が昇るところなんだって。そこにね、津波のために閉校になってしまう小学校があってね…デイジーさんは、その学校の人から頼まれて歌を作ったんだよ。デイジーさんの作った歌には「閉校になってしまった小学校の思い出をいつまでも忘れないで…」っていう願いも込められているんだよ。それが「オモエサンライズ」なの。
と、子どもたちに伝えた時の反応をお見せできないのが、おしいなぁ…

おそらく、歌詞の意味もまだよくわからない…
重茂半島の小学校の話もどのくらい響いているだろうか…
(これは、私の伝え方の問題だけど…😓)

それでも子どもたちは「オモエサンライズ」をよく口ずさんでいる。
無理に教え込むのではなく…さりげなく寄り添うようにある歌…
だから、敢えて歌詞の解説なんてしない…
しなくても子どもたちの真っ直ぐな心は、感じとるから…
いつか大人になって…理解する時がくるかもしれない…
この歌に込められた希望の光が、子どもたちの心も照らしてくれたらいいなと思っている。

今年も、ご縁でつながった子どもたちに伝えることができて、よかった…


2年に一度の…

2023-12-24 17:00:00 | 日記
今年は、私にとって2年に一度の研修会の年で…スキー場まで出かけてきた。
研修会は、毎年開催されているのだが、私は、資格を継続するための最低限の研修しか受けていない…💦そろそろスキーも卒業か…と思ってから数年になるが、今年もなんだかんだ言い訳をして、資格を継続する道を選んでしまった。

2年前の前回は、スキー仲間のKさんが(バスケットの応援に行くと言って)一日目で帰ってしまい、話し相手もなく一人静か〜にお宿で過ごしたのだが、今年は一緒のお宿で宿泊出来ることになり、四方山話から、スキー談義と日付が変わるまで語って楽しい時間を過ごすことができた。

Kさんとの出会いは、30年前。
準指導員を受検した年も、一回落ちたのも一緒。
合格したのも一緒で…
指導員受検と合格も一緒だった。

kさんは、冷え症の私にいつもオーバーミトンを貸してくれる人だった。
「借りたミトンで鼻水拭かないように気を付けます💦」って言いながら、本人よりも私の方がミトンを多く使っていた💦

兄のような存在で、仕事のこと、家族のこと、友達関係のこと…いろんなことを相談した。Kさんは、うちの父と同じ仕事をしていたので、父の厳格さも熟知していた…😅💦Kさんとの電話はいつも長電話になり、家族から「いい加減にして切れ!」と叱られることも度々あった🤣

一緒に滑ったのは何年ぶりだろう…? 十年以上空いていたかも…


今回は、雪不足でプルークファーレンが一本、プルークボーゲンを二本で雪上研修は終了だったが、内容としては濃かったと思う。(理論研修みっちり…😓)

スキーブーツを履くと、わずか数センチしか動かない足首と膝の関節を曲げたり伸ばしたり…💦
足首から順に膝、股関節と曲げながらスキーに重みを乗せていく運動を平地で繰り返して…😓💦
目線が下がるとポジションが変わるとか、ポジションが外側すぎると角付けが変わってズレ幅が大きくなるとか、こんなマニアックなスポーツに興味もってくれる人ってなかなかいないんだよな…😓💦

だから、多くを語らなくてもスキー談義が出来るKさんとの会話は、久々に楽しかったのだ🤗

いつもリフト半額券は、全てクラブに置いてきていたのだけど、今年は一枚もらってきて、今シーズンの目標にすることにした☝️
久々にフリーで滑ってみようかなと思えたのだった🤗✨✨



自他ともに認める 幸せ者…🤗

2023-09-16 18:30:00 | 日記
何年ぶりの更新だろう…

ちょっと書こうかな…とか、このことは書いておきたいな…とか思うこともあったのだけど、重い腰を上げることが出来ずに断念してしまった😓💦 でも、今回はちょっとがんばってみようかな。

私は、今の仕事が好きで…
全ての業務を完璧にこなす…からは程遠いのだけれど、そこそこ頑張りながら、毎日楽しく出勤している。
悩むことも、腹の立つこともあるけれど、それでも幸いなことに、「辞めよう」とか、「もう、やってられない…」という結論に至ったことはない。

そんな私が受け持っている学級に、大学3年生の初々しいお嬢さんが教育実習にやって来た。超多忙とかブラックとか言われているにもかかわらず、将来、教員になりたいという夢をもった貴重な人材である。実習期間中は、学校経営、教員の服務、学習指導、指導案の書き方等を学び、専門教科と道徳を含む実習授業を行い、一回は、一日学級担任も務めなければならないというミッションもりもりの3週間を過ごすことになる。さらに、実習日誌という名のポートフォリオノートには、参観した授業や受けた講義の内容、その感想を記録し、毎日提出しなければならない…😓💦

そして、教育実習生の担当教員になった私は…子どもたちへの学習指導等の業務に加えて、実習生へ教員の仕事を実践を通して伝え、毎日提出される実習日誌に指導助言を書き、指導案の書き方や授業の進め方を指導しなければならない😓💦担当教員は…今までも何度か経験してはいるものの、実習生の職業観を左右する重大な役割に「本当にこの指導でいいのだろうか?🤔」と悩みまくる日々であった。

今回は、図画工作科を専門とする実習生だったため、図工の指導案の書き方を指導しなければならなくなり、自分も一から指導案を書くつもりで勉強し、実習生と一緒に指導案を書き上げた。同僚の教員からは、「実習生担当手当てがあってもいいよね」と言われるほど勉強した。(単に、図工の指導が得手でなかったことも一因ではある…😅)

昨日が、教育実習最終日だった。
子どもたちと「○○先生ありがとうの会」を企画し、感謝の気持ちを伝えた。

このありがとうの会では「オモエサンライズ」の曲をプレゼントした。
「忘れない いつまでも君を 新しい物語 綴っても…」で始まるこの曲は、閉校した重茂半島の学校への想いが込められているのだが、実習生にとっても、子どもたちにとっても、一緒に過ごした思い出を胸に新しい世界へ希望の一歩を踏み出してほしいというエールを込めて…。

子どもたちはみんな「図工の授業が楽しかった」と言い、お別れの握手では、実習生に抱きついて別れを惜しむ姿も見られた。実習生の目には涙が浮かんでいた。

退勤する実習生を見送り、職員室へ戻ると、机上に学校報(職員向け)が上がっていた。実習生の指導案が分かりやすかったというお褒めの言葉、担当教員を引き受けたことへの労いの言葉、先日、校長先生から「出勤早いですね」と話しかけられて「子どもたちに会うのが楽しくて…」と答えた時のことが載っていて、そう思われている子どもも、そう思いながら出勤する私も幸せだと書かれていた。

自他ともに認める幸せ者…やはりこの仕事が好きだ…と思った。
この3週間で、厳しさも楽しさも含めて…この仕事のやり甲斐を少しでも伝えることができていたら幸いである😊✨