地理B 2016年センター試験解説 赤本より詳しい解説 

できればPC版を利用して下さい。センター試験の解答と詳細解説。全35問。

地理B 2016年センター試験第4問問2【20】

2016年03月22日 | 受験

ヨーロッパの都市


解答
第4問問2【20】②
解説
①ウィーン(オーストリア)L:ハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国(1867~1918年)の首都であった。2国とも多民族国家であり、それらの首都がウィーンであった。
②デュッッセルドルフ(ドイツ)J:ルール工業地帯における金融業の中心都市である。
③ストラスブール(フランス)K:ドイツ語・フランス語のいずれにも重なるアルザス語圏。
④ベオグラード(セルビア)M:旧ユーゴスラビアは多民族国家であり、ベオグラードは現在も多民族の都市である。
解説の解説
①ウィーン
オーストリアの首都で、1918年まではハプスブルク家の帝都であった。現在の人口は185万人であり、ゲルマン系、スラブ系、ラテン系、マジャール系など多様な民族の都市である。言語はドイツ語。気候は西岸海洋性気候である。ウィーンは多くの国際機関の本部が集まっている。オーストリアは積極的に中立政策を推進するため、多くの国際機関を誘致してきた。ウィーンにある主要機関として、国連ウィーン事務局、国際原子力機関、国連工業開発機関、国連薬物犯罪事務所、石油輸出国気候OPECなどがある。ハプスブルク家の遺産としての観光と国際機関だけではウィーンの人口を維持できず、オーストリア政府はウィーンの人口減少を食い止めるためにハイテク産業や国際金融機関関連の多国籍企業を積極的に誘致している。
ハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿はマリアテレジアが少女時代を過ごしたり、モーツァルトが初演奏をしたことでも知られる大宮殿だが、1960年代にウィーン都心の住宅問題を解決するために、一部を賃貸した。はじめは公務員だけが借りることができたが、現在はその制限はない。家賃は5万円。

 ②デュッセルドルフ
ドイツ金融業の中心都市である。1970年代に都心の商業利用が高度化すると、労働者は郊外に集まるようになった。郊外の中小都市がデュッセルドルフに飲み込まれる形で、コナベーションが進行した。コナベーションとは行政区域や歴史の異なる地域が、中心都市の拡大によって機能的に一体化することである。コナベーションの進行はルールにおける中都市・大都市ではよく見られる現象である。
なお、デュッセルドルフの人口は70万人、うち日本人は5,000人を越える。 

③ストラスブール
フランスのアルザス地方の中心都市がストラスブールである。人口は27万人である。アルザス地方は神聖ローマ帝国に属していたが,17世紀にフランス領となった。ライン川をフランスとドイツの国境とする自然国境論からすれば,ライン川西岸のアルザスはフランス領であることが論理的に正しいとされてきた。しかし、普仏戦争(1870~71年)でドイツ帝国領となり,第1次大戦後に再度フランス領,さらにナチスによるドイツへの編入,そして第2次後にフランス領に戻って現在に至っている。ストラスブール旧市街は,南ドイツの都市と同じ景観である。

また、若者の多くはフランス語を用いているが、ドイツ語も日常生活で使用する市民も少なくない。フランス語とドイツ語方言とのまじりあった言葉はしばしばアルザス語として文化的に重要な位置を占めている。
ストラスブールはドイツ・フランスの領有争いの場であったが、現在はヨーロッパ統合の象徴として,EU議会・EU評議会・EU人権裁判所が置かれている。
パリとミュンヘンを結ぶTGVはストラスブールを通過する。またライン川をはさんだ隣町のオッフェンブルクはドイツ領だが、EUの国境協定により、自由に往来できる。
④ベオグラード
セルビアの首都、人口177万人。市内でドナウ川とサヴァ川が合流する。ベオグラードは多民族国家ユーゴスラビアの首都であったが、1991年と1996年に政情不安を原因とする混乱が起こった。また、1999年にはコソボ紛争が泥沼化してNATO軍の激しい空爆にさらされて、大きな被害を受けた。セルビア共和国の独立は2006年である。
ベオグラードにはセルビア人141万人、ユーゴスラビア人2万人、クロアチア人1万人、マケドニア人8,000人、ムスリム4,000人が住む。さらに中国人、中東系ムスリム、インドネシア人などがそれぞれ1万人は住んでいると推定されている。

 

 

 


 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。