
叔母の葬儀を終えてきました。
89歳でした。
通三丁目でお店を長らく経営しておりました。
繊維のまちあしかが・・・と、共に歩んできたお店でした。
小さいながら「花街」を垣間見た覚えがあります。
写真は、叔母のお店にあったジュークボックスに入っていた
椿みやこさんの足利夜曲のドーナツ盤です。
また、司のマスターからお借りした、足利の昭和の写真集・・・
叔母の偲ぶとともに、自分の記憶がオーバーラップします。
町南排水路・・・ いまは下水道になっていますが、
今は更地になっている映画館「中劇」の脇を
川が流れていました。
その橋の欄干が、今も、一部残っています。
道路と家屋が密接している場所ですので、ガードレールがわり
になっているのかと・・・。
あれだけあった映画館はひとつも残っていません。
唯一、東映のみ建物が現存しています。
通3丁目の児童公園には、プールがありました。
昭和の栄華を今も残すものがまだまだあちこちにあるようです。
織物会館に当ジムを構えたのも、いろいろな要件が決め手となりましたが、
でも、いざ仕事を始めてみると、「街」を感じざるを得ません。
人、町並み、お店・・・・
この街には、まだまだ良い物が残ってます。
叔母が昭和の時代・・・ 一所懸命頑張ってきたこの場所で、
仕事させていただけることにとても感謝しております。
そして、時代は違うものの・・・
失われつつある良い物を大切にこれからも頑張っていきたい・・。
そんなお約束をさせていただき、お別れをしてまいりました。
森
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