
飯田久彦さんの自叙伝を特集しています。
飯田久彦さんは、デルシャノンの「悲しき街角」を日本語バージョンで
ロカビリー全盛時代に歌っていた方です。
ちょっと楽しいのは、飯田さんバージョンは、ご本家デルシャノンの
バージョンとは一味も二味も違うところです。
ちょっと、ラテン調なんです。
飯田久彦 悲しき街角 - YouTube
飯田さんは太田市に実家があります。
私は、飯田さんの弟さんに倫理社会を高校の時に教わりました。
般若心経なんぞ読んでみたり面白い授業でした。
飯田先生は、そして、我軟式野球部の顧問でもありました。
在学中は特にそんな話もしませんでしたが・・・。
生徒さんに、今この曲に挑戦されている方がおられまして、
ふと・・・ 高校時代を思い出しました。
太田からも何人か館林まで通ってきている人がいました。
ちと・・「笑える話」もありまして、高校も・・あまり
真面目ではなかったので・・・ そんなことくらいしか
覚えていないです。
電通グループです。一番遠いのは、木崎から乗ってきた人がいました。
そして、太田、韮川もいた・・・ 野州山辺、そして、足利市。
東武和泉、福居、県からもちらほら・・・・。
多々良はいないです。多々良なら自転車行ってしまったほうが
早いですから。
3年通った割には、館林はあまり知らないですね。
赤土の交差点も様変わりしてしまって・・・
厚生病院はかわってないですね。
ついつい高校時代を思い出してしまいました。
今は学区の制限なんかもあるかもしれません。
学区どころか、県違い・・・ 越境で、
14人が山辺から入学したものですから、
ちよっと学校でも問題にもなってしまった年代でした。
そんなこともあってか・・・
先生ともよくトラブルになりました。
越境で来ていながら・・・ 素行が云々とか・・・
朝、微妙なタイミングで遅刻して、遅刻扱いはいいけど、
普通にしていたのに、態度が良くなかったとか・・・・
職員室に行って、生徒指導の先生に「あれのどこが態度が悪いのか?」
再現してみせました。昼休みだったので、校長にもみてもらいました。
特に謝罪はなかったですが、担任から「よくわかったよ」と一言。
まあ・・ 我慢してくれということだったんでしょう。
とにかく高校の先生も頭偏ってたし、偏見横行の時代でしたね。
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