余桃之罪、もしくは電光朝露

関西フィル、日本センチュリー、京都市交響楽団、大阪フィルの定期会員です。アイドルやら声優やら。妄想8割、信憑性皆無。

大阪センチュリー交響楽団 第153回定期演奏会

2010年07月15日 | 大阪センチュリー交響楽団
10.7.15(木)19:00 ザ・シンフォニーホール
大阪センチュリー交響楽団 第153回定期演奏会
指揮/小泉和裕(大阪センチュリー交響楽団音楽監督)
ヴァイオリン/米元響子
コンマス/渡辺基一
曲目:
リスト/交響詩「ハムレット」
ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調op.26
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調op.47

よく考えたら3回連続でゲストコンマスというところが台所事情を感じる。
8割強のお客様。

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。
どちらがりっぱな生き方か、このまま心のうちに暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、闘ってそれに終止符をうつことか。
死ぬ、眠る、それだけだ。眠ることによって終止符はうてる、心の悩みにも、肉体につきまとうかずかずの苦しみにも。
それこそ願ってもない終わりではないか。
死ぬ、眠る、眠る、おそらくは夢を見る。
そこだ、つまずくのは。


リスト。
さすが和裕、リストの交響詩の中では完成度の低いこの作品を引き締まった造形でなんとか聴ける形に仕上げてきた。それでもこの曲のとりとめもなさが救えたとは思わないけど。かといってリストに「もう少しなんとかならんのか」と詰め寄ったらヤツのことだからオルガンと合唱入りの30分超え大作にしやがるだろう。迂闊なことは言えない。
終結までにもう一山派手な場面がないと変に暗い印象だけなんだよなあ。
小泉和裕のリスト作品集録音しようぜ。売れないけど適性は絶対にあるよ。

ブルッフ。
関西でもお馴染み米元さんです。あれやこれやで26歳になってたんですね。
体当たりで演奏するタイプだけども、技巧派で内面の表現にはやや不得手な部分がある。メンデルスゾーンやブルッフあたりが一番光るわけで非常に心地良く楽しめました。中間楽章もテンションが両端楽章と変えずに気を張って通すのはどうかなと思いましたが。繊細すぎちゃうとオケに埋もれるから仕方ないか。だって伴奏はブルッフがドイツの作曲家だったことを思い出させてくれる小泉流だったから。ホルンとチェロにあんなにたっぷりと悠然とモノを言わせたらそりゃあドイツさ。

休憩挟んでショスタコーヴィチ。
第1楽章の精妙なアンサンブル、第2楽章のコントラバスのやかましさ(人数の割に轟音が出るのがセンチュリー低弦の特色)と木管の名人芸。第3楽章は曲が良く書けているので少々下手な演奏でも感動的に仕上がるが、センチュリーさんの弦を以てすれば静寂を音で表現する神域に達する。フルートが出てくる時には泣いた。終楽章は小泉さんがいつになく熱く煽って彫りの深い表現を足していこうとしたのが、かえってマイナスに響いたか金管が崩れた。思い直していつもの流線型のスタイルに少し戻してからは良くも悪くもCDみたいな、模範解答的な演奏で豪快に終了。小泉和裕はカラヤン風の振り方をしてるだけで中身は恩師山田一雄先生が5%ぐらい混ざってるんじゃないかと時折思う。

にしてもワシはもう5番は当分聴きとおない。


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