1835年ごろ、厳密には1834から1836年までの間に、福澤諭吉(~1901)、天璋院篤姫(~1883)、坂本龍馬(小説、漫画で「~竜馬」、~1867)の三名が誕生。
諭吉と龍馬はいずれも「1835年生まれ」と紹介されることがあるが、陰暦と陽暦の関係で、福澤諭吉が1834年生まれだと、坂本龍馬は1835年生まれ。
諭吉が1835年生まれだと、龍馬は1836年生まれ、つまり諭吉は龍馬より一歳年上だったことになる。
篤姫の生まれた年が陽暦で天保6年(1835年)なのか、天保7年(1836年)なのか、史料によって異なる。
武田鉄矢原作、小山ゆう画『お~い!竜馬』によると、龍馬が生まれたとき(直後か)、夜空にハレー彗星が見えたらしい。ネットで調べると、1835年のハレー彗星接近は11月16日とある。それで、龍馬の誕生は天保6年(1835年)の11月15日なのだが、それは陰暦であるため、陽暦では天保7年(1836年)の1月3日になるらしい。このとき、彗星がまだ見えていたかさだかでない。漫画もネットの史料(資料)も「歴史認識」で、「どちらが「正しい」か、知るのは難しい。
また、『必殺仕事人V激闘編』の「江戸の空にハレー彗星が飛ぶ」で記録された彗星もこれであろう。当時、主水の仲間は組紐屋の竜、鍛冶屋の政、何でも屋の加代、そしてはぐれ仕事人の壱、弐、参で、主水や加代たちは闇の会の傘下にあったはずである。
ちなみに、ハレー彗星がこの次に接近したのは1910年で、ドラえもんとのび太が観測した。
1835年には、あの西太后も生まれた(1908年没)。
1837年、大塩平八郎(←大鹽~、おほしほへいはちらう、1793~1837)の乱があった。「乱」というのは殺し合い、暴動、戦争の言い換えである。
『必殺まっしぐら!』の「相手は大阪の大塩平八郎」によると、この時期、飾り職の秀が江戸と他の各地方を何度も往復して裏稼業(つまり殺人)をしていた模様。仕事人・秀は一時的に中村主水グループから離れて、別の仲間たちと組んでいた。
ネットで検索すると時代設定は乱があった年の4年前、1833年(天保4年)だったらしい。DVDが手に入ったら確認したい。
Yahoo!Japan>必殺まっしぐら! 天保4年 大塩平八郎で検索
この年、徳川家斉が将軍を辞め、家慶(いへよし→いえよし)が12代将軍に。
1839年、蛮所の獄により、高野長英が投獄された。小関三英は自害。『必殺からくり人』の「鳩に豆鉄砲をどうぞ」によると、からくり人の一人・時次郎が、蛮社の獄で自害した蘭学者の仇討ちのため、高所から鳥居耀蔵を銃で狙ったが、弾道に鳩が侵入して失敗。自ら爆死する。残ったからくり人一味も最後の戦いで全滅したかに見えた。
しかし、仲間の仕掛の天平はしばらく生き残った模様。そして、『仕事人大集合』によれば、天平は虎の元締めとともに大坂(→大阪)で爆死したらしい。これは主水の元締めだった鹿蔵が江戸で殺害され、その仇を討つ仕事だった。
主水の仲間・勇次が敵の手に捕らえられ、棺桶の錠によって救い出された。このとき、『必殺仕置人』時代の仲間だった主水は錠と再会したはずだが、作品では描かれていない。錠はバタビア(Batavia、当時、オランダ領だったインドネシアのジャカルタ)に行くと言っていたが、すぐ日本に戻った模様。マリアというオランダ人女性が関係しているが、これは1819年に主水たち仕事人が出逢ったオランダ人と同名のようだ。
追加
『必殺からくり人』で時次郎が鳥居耀蔵を狙撃して失敗した時、鳥居は町奉行になっていたようである。
もし、そうだとするとからくり人壊滅は1841年以降になり、中村主水は既に南町の同心として鳥居の配下にいたことになる。
前後一覧
2008年2/28(文化・文政~アヘン戦争、天保の改革開始)
関連語句
ハレー彗星 平八郎 蛮社の獄
諭吉と龍馬はいずれも「1835年生まれ」と紹介されることがあるが、陰暦と陽暦の関係で、福澤諭吉が1834年生まれだと、坂本龍馬は1835年生まれ。
諭吉が1835年生まれだと、龍馬は1836年生まれ、つまり諭吉は龍馬より一歳年上だったことになる。
篤姫の生まれた年が陽暦で天保6年(1835年)なのか、天保7年(1836年)なのか、史料によって異なる。
武田鉄矢原作、小山ゆう画『お~い!竜馬』によると、龍馬が生まれたとき(直後か)、夜空にハレー彗星が見えたらしい。ネットで調べると、1835年のハレー彗星接近は11月16日とある。それで、龍馬の誕生は天保6年(1835年)の11月15日なのだが、それは陰暦であるため、陽暦では天保7年(1836年)の1月3日になるらしい。このとき、彗星がまだ見えていたかさだかでない。漫画もネットの史料(資料)も「歴史認識」で、「どちらが「正しい」か、知るのは難しい。
また、『必殺仕事人V激闘編』の「江戸の空にハレー彗星が飛ぶ」で記録された彗星もこれであろう。当時、主水の仲間は組紐屋の竜、鍛冶屋の政、何でも屋の加代、そしてはぐれ仕事人の壱、弐、参で、主水や加代たちは闇の会の傘下にあったはずである。
ちなみに、ハレー彗星がこの次に接近したのは1910年で、ドラえもんとのび太が観測した。
1835年には、あの西太后も生まれた(1908年没)。
1837年、大塩平八郎(←大鹽~、おほしほへいはちらう、1793~1837)の乱があった。「乱」というのは殺し合い、暴動、戦争の言い換えである。
『必殺まっしぐら!』の「相手は大阪の大塩平八郎」によると、この時期、飾り職の秀が江戸と他の各地方を何度も往復して裏稼業(つまり殺人)をしていた模様。仕事人・秀は一時的に中村主水グループから離れて、別の仲間たちと組んでいた。
ネットで検索すると時代設定は乱があった年の4年前、1833年(天保4年)だったらしい。DVDが手に入ったら確認したい。
Yahoo!Japan>必殺まっしぐら! 天保4年 大塩平八郎で検索
この年、徳川家斉が将軍を辞め、家慶(いへよし→いえよし)が12代将軍に。
1839年、蛮所の獄により、高野長英が投獄された。小関三英は自害。『必殺からくり人』の「鳩に豆鉄砲をどうぞ」によると、からくり人の一人・時次郎が、蛮社の獄で自害した蘭学者の仇討ちのため、高所から鳥居耀蔵を銃で狙ったが、弾道に鳩が侵入して失敗。自ら爆死する。残ったからくり人一味も最後の戦いで全滅したかに見えた。
しかし、仲間の仕掛の天平はしばらく生き残った模様。そして、『仕事人大集合』によれば、天平は虎の元締めとともに大坂(→大阪)で爆死したらしい。これは主水の元締めだった鹿蔵が江戸で殺害され、その仇を討つ仕事だった。
主水の仲間・勇次が敵の手に捕らえられ、棺桶の錠によって救い出された。このとき、『必殺仕置人』時代の仲間だった主水は錠と再会したはずだが、作品では描かれていない。錠はバタビア(Batavia、当時、オランダ領だったインドネシアのジャカルタ)に行くと言っていたが、すぐ日本に戻った模様。マリアというオランダ人女性が関係しているが、これは1819年に主水たち仕事人が出逢ったオランダ人と同名のようだ。
追加
『必殺からくり人』で時次郎が鳥居耀蔵を狙撃して失敗した時、鳥居は町奉行になっていたようである。
もし、そうだとするとからくり人壊滅は1841年以降になり、中村主水は既に南町の同心として鳥居の配下にいたことになる。
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2008年2/28(文化・文政~アヘン戦争、天保の改革開始)
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ハレー彗星 平八郎 蛮社の獄
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