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『野球狂の詩』『男どアホウ甲子園』『ドカベン』の日付と曜日

Y!Blogで「記事の投稿に失敗しました」などと馬鹿なことを言ってくるときは、このT-CupBlogがあるので、非常に役に立つ。

『野球狂の詩』
文庫第3巻、第16話「秘打鬼殺し」

目次では縱書きの「秘打 鬼殺し」で、扉では横書きの「秘打鬼殺し」。
208ページ、岩田鉄五郎が読んでいるスポーツ日本は日付が「昭和48年」で、「9月2日」にも「4月2日」にも見える。曜日は日曜日。

昭和48年は1973年、月曜から始まる平年
2日が日曜であるのは9月と12月。よってこのコマにあるのは1973年9月2日、日曜日の新聞。

この調子で、Wikipediaで日付を調べてみる。

文庫第4巻、第20話「ガッツ10番」
236ページでメッツが日下部を指名したのは昭和49年度のドラフト会議。つまり1974年の11月。
年が明けて富樫が見つめている5月のカレンダーで1日が水曜、5日が日曜、6日が月曜、7日が火曜。
1975年の5月とすると、1975年は水曜日から始まる平年。5月1日は木曜日である。
一方、1974年は火曜日から始まる平年なので、5月は水曜から始まり、富樫が見ていたのは1974年5月のカレンダー。日下部が指名されたドラフトから半年、時間が逆戻りしている。5月7日、メッツ×阪神で阪神の監督は絵から察するに73年と74年に監督だった金田正泰。75年のシーズンからは吉田義男のはず。

『男どアホウ甲子園』最終回
1974年、藤村甲子園が長嶋茂雄と対戦した日の翌年の東京日日スポーツ。日付によると某月6日木曜日。おそらく試合は10月5日。
1974年で6日なのは6月だが、最終回はシーズン終盤なので、これはありえない。
長嶋が引退した10月14日(長島太郎がHRを打った日)は月曜であった。
1974年10月5日は土曜日、6日は日曜日であった。岩風五郎はこの10月6日(推定)限りで退団。

『ドカベン』
少年チャンピオンコミックス第41巻
土井垣が初打席でHRを打った日ハム×南海の試合。某月19日、試合は午後6時半から2時間55分。それを報じる新聞が出た日(おそらく同月20日)に甲子園ベスト4激突。その4校は名称不明vs通天閣と甲府学院vs都城。

Wikipedia
第 回全国高等学校野球選手権大会
└→第61回全国高等学校野球選手権大会(1979年夏の甲子園)は8月8日から21日まで。
Wikipedia では準決勝が8月の何日か書かれていないが、『ドカベン』によると20日だから、1979年8月20日になる。

香川伸行が1979年夏の甲子園に出ている。
香川伸行は1961年生まれで、79年で18歳。「土井垣プロ入り基準」における山田世代より1年先輩で、当時、明訓のキャプテンだった山岡と同学年である。

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