『情深深雨濛濛』は中華民国建国直後が舞台らしい。
1912年は中華民国元年であると同時に大正元年でもある。
1912年、タイタニック号が沈没。1500名余りが死亡。
1913年、袁世凱が南京を占領し、第2革命が失敗。ネットによるとこの占領で在留日本人が数名、殺されたらしい。
『デビルマン』の「ウイーンの晩い春」によると、不動明と飛鳥了が若き日の
アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)と遭遇。
この年、ヒトラーはウイーンからミュンヘンに移ったらしい。第1次大戦後、欧洲が一時、反戦主義に傾いたため、ヒトラー、ナチをつぶすのが遅れたという皮肉な結果となった。これは「戦争」の反対がそのまま「平和」でないことを意味している。
▼第1次世界大戦、シベリア出兵、関東大震災(『キャンディ・キャンディ』、『はいからさんが通る』)
1914年、第1次世界大戦が起きた(~1918、1919講和)。これについては『キャンディ・キャンディ』で詳しく描かれていた。
キャンディがアメリカで看護婦をしていたとき、新聞記事で、「ツェッペリン3隻、闇のパリを襲撃」、「イープル戦線でドイツ毒ガス使用」、「シャンパーニュ会戦独仏両軍25,000人の死傷者」とある。
(ツェッペリン=Zeppelinは飛行船、
イープル=Ypres、シャンパーニュ=Champagne)
キャンディが看護婦を辞めたあと、おそらく1915年(推定)のシャンパーニュ海戦(かいせん、または会戦=くわいせん)で、キャンディの友人で發明家だったアリステア
(Alistair?)が空中で撃墜され、戦死した。
キャンディは「ステアを撃ったドイツ兵もどこかで戦死しているかも知れない」と戦争のむごさを感じていた。日本がおこなった戦争も「敵も味方も被害者」と見るべきであるが、日本以外の国々では、そういう考えがなかなか浸透しない。南北戦争、西南戦争、関ヶ原の戦いや壇ノ浦の合戦など、戦争から年月がたてば、どちらがいい、悪いという考えも無意味になるだろう。第2次大戦も戦後100年、200年とたてば、冷静な評価がされるだろう。
ここで重要なのは、21世紀において、歴史認識の問題、国家による賠償などの対象になるのが第2次大戦だけで、第1次大戦や日露戦争、西南戦争については、謝罪も賠償も話題にならないことだ。壇ノ浦の合戦や応仁の乱など、風化はしないが、単なる時代の境目程度に認識され、庶民の被害、戦争責任、戦争への反省については問題にならない。
戦争犯罪に時効がないという意見が正しいなら、中世や古代の戦争、内戦、暴動(例えば三国志、元寇など)に関しても、責任者を裁き、被害者に謝罪することを考えるべきだろう。
キャンディはウィリアム・アルバート・アードレーの養女になった。
ウィリアムはレイクウッド(*Lakewood)に別荘を持つ大金持ちだが、なぜか町の安いアパートでキャンディと同居し、一時は記憶を失い、アルバイトをしていた。住人から怪しまれてウィリアムは記憶を取り戻し、豪邸(別荘)に戻ったが、昨今の議員宿舎問題と合わせて考えると、ウィリアムの行動は周りを困らせただけではなかろうか。
1917年、ロシア革命。ヴィクトル・スタルヒンなど、多くのロシア人が海外に逃れた。『はいからさんが通る』に登場した伊集院忍もその血を受け継いでいたらしい。
1918年、シベリア出兵。『はいからさんが通る』によると、伊集院忍が所属していた部隊がこれでシベリアに行くことになる。花村紅緒は当時17歳とすると、数え年として1902年生まれになる。
この年、第1次世界大戦終了。スペイン風邪が大流行。『天皇の料理番』はこの前後の話であろう。
1920年(大正9年)、日本の皇室の梨本宮方子と朝鮮の
皇子・李垠(Lee Eun)が結婚。これは『虹を架ける王妃』で描かれた。日韓併合後も朝鮮には王家があった模様。
この年、川上哲治が生まれ、星一徹(1920~1978推定)も同い年と想われる。山口淑子、のちの李香蘭もこの年に生まれた。また、『純情きらり』の桜子(←*櫻子、1920~1948推定)もこの年に生まれた。
映画『ラフマニノフ~ある愛の調べ』は1920年代が舞台らしい。
ラフマニノフ(Rakhmaninov)の生没年は1873~1943。
1923年(大正12年)、9月1日に関東大震災。大阪朝日新聞の誤報で、朝鮮系日本人が井戸に毒を入れているとの噂が流れ、在日日本人が朝鮮人を襲う事件が起きた。ここで日本軍は朝鮮人を守っていたらしい。また、ある警察署長も朝鮮人を守り、群衆に「井戸の水を持って来い」と一喝し、その場で水を飲み干したらしい。
これは、「民意」なるものをそのまま信用することの恐ろしさである。21世紀になって、食品の安全性について、マスコミが一々、輿論調査をするのは、余り意味がない。また、中国製餃子の問題で、国中が大騒ぎして、神経過敏になり、中国製品を全否定する傾向は、情報だけで自分で確認せずにみなが同じことをしており、意味で、関東大震災の朝鮮人迫害と同じである。
日韓併合当時、日本と朝鮮は一つの国であり、朝鮮は九州や四国、東北などと同じく、日本の一地域であって。その当時の「日本人」と「朝鮮人」を分けて考えるのが無意味である。朝鮮が大日本帝国の朝鮮地方だったとき、もし、在日ヤマト民族(=倭人)が朝鮮人を自分たちと別のものと見なして排除したのなら、ヤマト系日本人にとっても日韓併合は不本意であったはずだ。もし、朝鮮人を迫害するなら、初めから併合しなければよかったはずである。その代わり、併合が双方の望むところでないなら、今後「東アジア共同体」や「世界連邦」などは永遠にあきらめたほうがいい。「世界連邦」は「日韓併合」の擴大版である。
『摩利と新吾』も明治から大正、昭和までを扱っている。
『はいからさんが通る』によると、1923年、関東大震災のあと、伊集院忍は花村紅緒と結婚。
一方、『BAR来夢来人』によると、当時の日本に来夢来人というバーがあり、沙羅という女がバーテンダーをしていたが、この地震で消滅した。不思議なことに、「来夢来人」は1997年ごろに復活することになる。
また、この1923年に『野球狂の詩』の野球選手・岩田鉄五郎が生まれている。
『伝説の美容師・山野愛子物語』もこのあたりの時代を描いている。
1924年(大正13年)、甲子園球場が完成した。このとき、日雇い仕事で工事に参加した藤村球之進が、そのまま、球場の整備員になった(『男どアホウ甲子園』)。
1925年(大正14年)、細井和喜蔵(ほそゐわきざう、1897~1925)の『女工哀史』刊。これをもとにして、明治~大正~昭和の製絲工場を描いたのが『あゝ野麦峠』だった。
Y!Japan 1920 星一徹 1923 岩田鉄五郎 キャンディ はいからさん
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