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「水戸黄門の印籠」

Yahoo!Blogに書こうとしたら「登録できない文字列」があるなどと馬鹿なことを言ってきたので、T-Cupのほうに書き込むこととする。

Record China 5月8日(火)6時53分配信

ちなみに「登録できない文字列」とはリンク先のURLが
http://news.search.yahoo.co.jp/で始まる場合のようだ。

この記事で冒頭に

ユネスコ(国連教育科学文化機関)のパリ本部で長く勤務し、東アジア代表として北京事務所長を6年半間勤めた青島泰之日本技術者教育認定機構専務理事・事務局長はインタビューに応じ、「ガラパゴス化してしまった日本の大学と大学生を世界に通用させるには教育認定という仕組みがある」と指摘した上で、企業もこのままでは海外勢に負けてしまう、と警告した。(聞き手=八牧浩行Record China社長・主筆)

とある。「ガラパゴス化」というのがいかにも『水戸黄門』にふさわしい。
春日太一氏が『オール讀物』で書いた「水戸黄門が消えた理由」を想い出させる。

青島泰之日本技術者教育認定機構専務理事・事務局長という長ったらしい肩書の人がこう言っている。

日本の大学は明治以来、第三者評価を拒んできた。学問の自治、大学の自治を水戸黄門の印籠のように掲げて、評価されるのを拒否してきた。

要するに「水戸黄門の印籠」とは「旧態依然とした組織が外からの批判を受け付けず、自己改革を拒否するときに使うステレオタイプの手段、言いわけ」のことである。

そうなると『水戸黄門』で光圀と助と格がやっていた「世直し旅」という名の越権行為は、各地の改革の芽を摘んでいる意味で有害であったが、光圀・助・格がそれを反省することはなかった。光圀たちは各地で「悪代官」が繰り返し出現することに対して、構造的な改革をしようとしない。「悪代官」が出ないように幕藩体制を根本から改革しようとしないで、各地を回って説教するだけであった。

『水戸黄門』で光圀が主人公だったのは月形龍之介までで、東野英治郎以降は事実上の主人公は印籠または葵の紋であり、光圀自身は必要なかった。西村黄門では俳優のスケジュールが合わず、小松政夫を偽黄門にした印籠シーンが描かれ、佐野黄門ではお銀が葵の紋のついた巻物(光圀直筆の書状)を持って飛猿たち忍者軍団と世直し旅をする『外伝』が作られた。石坂黄門最終回では光圀がほとんど登場しなかった。
里見黄門の最後の2回では、光圀が柳沢吉保と藤井紋太夫の前に印籠を出し、これに家康公の遺骨が入っていると言って強引に相手を平伏させ、さらに歴代の格さん役の俳優同士で印籠を次々をパスしる「ゴレンジャーストーム」ばりの演出があったようだ。

要するに『水戸黄門』の視聴者が40年間、毎回見たがっていた印籠シーンは、単なる判子入れか薬入れで、それに人々が平伏するのは滑稽であるというメッセージが最後の2回で明確に示されたわけだ。

浅見光彦シリーズを見ると特に男同士は相手を人間として見ないで、相手に肩書や家柄だけに頭を下げているように見える。職場を辞めてかつての立場を失うと今まで知り合いだった人たちが途端に離れていくのは、人間が人間でなく肩書と付き合っている証拠である。

1969年、『水戸黄門』が始まる少し前、『巨人の星』の星一徹はオズマに「わしの奴隷でなく野球の奴隷になれ」「人が人に頭を下げることはない。だが仕事には頭を下げい」と言った。
『水戸黄門』で「悪人」たちが平伏しているのは水戸光圀個人に頭を下げているのでなく、印籠に頭を下げているのであろうが、ある意味ではそのほうが健全かも知れない。

葵の紋の権威が通用する世の中だから悪代官が威張っていたのだ。
武士と町人の区別のない世の中ができたのは、光圀が死んで187年経過した明治維新のとき以降で、その原因になった大政奉還のとき、葵の紋の威光など西郷隆盛や大久保利通には通用していなかった。西郷にとって從うべきは島津斉彬だった。『暴れん坊将軍』で悪人の家臣たちが将軍に斬りかかる理由もわかる。江戸中期でそうだったから幕末ではなおさらであった。
そして葵の紋の権威を使った「世直し」は家光の忍び旅や家光の時代の姫将軍に始まり、松平長七郎などを経て、家斉の弟・松平右近のあと、家斉の娘・照姫が続き、そして家慶の弟の「葵の暴れん坊」こと源九郎まで続いた。
この徳川家の権威による「世直し」は大坂夏の陣の前と黒船来航の後(あと)では時代劇で描かれていない。

印籠の力など所詮は一時的な「張ったり」だったのである。

『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』はその肩書を排除した人間を描いているのかも知れない。肩書に平伏する人がその肩書なしで人間に頭を下げるかどうかがテーマなのかも知れない。
越後のちりめん問屋の隠居・光(右)衛門は「中納言」の身分を取り去った人間・徳川光圀であり、旗本の三男坊・徳田新之助は「8代将軍」の身分を取り去った人間・徳川吉宗かもしれない。すると水戸光圀の真の姿は中納言・光圀でなく假の姿であったはずの光(右)衛門のほうということになる。時代劇の遠山金四郎も周りが自分個人でなく自分の「奉行の肩書」に頭を下げる人たちばかりなので、肩書抜きの人間として市政の人と接するために町人に化けたのかも知れない。

こんな記事もある。

『水戸黄門』の公式HPに寄せられたファンメッセージに「しっかりしたリーダーが不在のような今の世の中に、印籠ひとつで悪人共を黙らせるような指導者が欲しい。そんな夢を叶えてくれるのが黄門様です」という意見があったが、現実の社会に存在する「水戸黄門の印籠」はろくなものではない。

昨晩、再放送された第43部第21話(最終回)。終盤で柳沢吉保と藤井紋太夫が話しているところに光圀が現れ、印籠を出した。吉保も紋太夫も光圀の正体を知っているので、それがどうしたという反応だったが、光圀が「この印籠には家康公の遺骨が入ってる」と言うと、吉保と紋太夫は平伏。 
4月20日朝9時


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参照
 


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