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▲天保の改革II、遠山金四郎と高野長英の時代、幕末前夜

▼天保の改革II、遠山金四郎と高野長英の時代、幕末前夜(『仕事人vsオール江戸警察』、『遠山の金さん』、『江戸を斬る』、『新必殺からくり人』)
奉行の人間不信
水野忠邦と鳥居耀蔵が進めた天保の改革により、市川団十郎も江戸から追放された。この改革は評判が悪く、歌舞音曲も文学も装飾品も制限され、中村主水の家でも、せんとりつが不平を言っていた((『必殺スペシャル・秋!「仕事人vsオール江戸警察」』)。

その反動で鳥居のライバル・遠山金四郎が英雄とされたようである。遠山金四郎は町人に化けて街を歩き、博打もやり、『江戸を斬る』や松平建版『遠山の金さん』を含めると、火消し、船頭など、いろいろなアルバイトをやっていたらしい。都知事や警視總監が偽名を名乗ってアルバイトをしていいものか。
奉行自身がこういう「捜査」をするというのは、与力や同心が役に立たなかったのだろう。これは南町奉行だった大岡忠相、さらに北町奉行だった榊原忠之がやっていたことの繰り返しである。

『江戸を斬る』では金四郎が立ち回りをしているとき、紫頭巾という女剣士が参加していた。この正体が景元の妻、どこかの家の姫、または浮世絵のモデルなど、史料によって諸説あり、少なくとも2名はいた模様。

金四郎が化けた遊び人の正体について、テレ朝版『名奉行・遠山の金さん』では一部を除いて南町奉行所内でも謎だったが、TBS『江戸を斬る』の遠山金四郎編では若手同心だけでなく、岡っ引きも町人姿の金四郎の正体を知っていた。

金四郎が裁きをしているとき、うしろの記録がかりが何か書いているが、桜の彫り物を見せているところを記録しているのだろうか。『江戸を斬る』のシリーズでは瓦版屋が遠山裁きを記事にしており、これでは「遊び人の金さん」が遠山景元だということが、すぐ、江戸中でばれそうなものだ。

1843年、遠山金四郎が北町奉行から大目付になった。出世に見えるが、事実上、鳥居との対立による「左遷」とする説もある(角川『日本史辞典』)。
アニメ『天保異聞妖奇士あやかしあやし』もこの時代の話で、公式サイトによると天保14年(1843年)が舞台らしい。

時代劇では遠山景元も榊原忠之と同じ「隠密奉行」だった。
テレビで観た記憶では、松平長七郎の時代と遠山景元の時代で、どちらも江戸で非常によく似た爆破テロ計画があり、いずれも同じように事前に阻止された。幕府と町奉行所内でテロ防止策が継承され、生かされたのだろうが、犯行グループも一度、失敗した計画を真似したら、捕まるのは当然であった。

『渡し人』はこの時代か?
1843年、花火の玉屋が火災を起こし、江戸から追放されたらしい。花火屋の火災は『必殺渡し人』の「花火の夜に渡します」で描かれたようだ(推測)。ここで「かまいたちの忍」と称される渡し人・鳴滝忍は表稼業が女医であり、父親がオランダ人らしい。1824年にシーボルトが開いた塾の名を姓にしているあたり、シーボルトのむすめ、・楠本イネに似ている。ただ、シーボルトはドイツ人であり、シーボルトが日本で「オランダ人」と見なされていた可能性がある。

また、楠本イネは1826年生まれで、1843年当時は数え年18歳であるが、鳴滝忍はそんなこむすめには見えなかった。鳴滝忍はイネとは別人かも知れない。「渡し人」は鳥居耀蔵による仕事人狩りが強かった時期に結成されたとすると、無謀と言うべきか、強気と言うべきか。

『オール江戸警察』では、当時の主水の仲間には加代、鶴のほか、剃刀使いの男、針と紐をあやつる藝者、元津軽藩士の三味線弾きもいた。同じ三味線屋として勇次やおりくも天保の改革で被害を受けただろうが、詳しくは描かれていない。

勇次は三味線の糸が武器だが、元武士の三味線屋は柄(え)に刀を仕込んだ三味線を武器とする。蛮社の獄で滅んだ「からくり人」の三味線弾きの武器と似ている。
鳥居耀蔵は故意に闇の会に頼み人を送り込み、それで仕事人をおびき出した。先述の剃刀使いは捕らえられ自害、藝者の仕事人は刑死。加代と元武士の三味線屋も捕まったが、主水の工作により、鶴のからくりで脱出。

剣客・平田深喜(ひらたみき、平手造酒=ひらてみき)が千葉道場から姿を消し、主水グループへの参加を志願する。
平手造酒については『天保水滸傳(→~伝、傳≠傅)』にも記録されているらしい。

仕事人狩りが盛んな時代に、なぜか仕事人グループが多数存在
『仕事人意外伝・主水、第七騎兵隊と闘う・大利根ウエスタン月夜』によると、主水が組紐屋の竜、花屋の政と初めて逢ったのはこの天保時代、1843年から1844年にかけての時期らしいが、今までの歴史から見て、とてもそうとは想えない。主水は鳥居耀蔵の仕事人狩りが盛んだった危険な時期に、複数のグループを束ねていたことになる。
『仕事人V』

鳥居耀蔵失脚は仕事人の仕業か
1844年に鳥居耀蔵が失脚。翌1845年、鳥居は四国丸亀藩に送られた。これは『オール江戸警察』によると、仕事人・中村主水と平田深喜、三味線弾き、鶴、加代が鳥居一派を暗殺したものらしい。主水の家でも、せんとりつの楽しみだった音楽と踊りが解禁になった。
主水を除く仕事人たちが江戸を去ったあと、平手造酒は笹川繁蔵の用心棒になり、大利根川原の決闘で死亡。幕府は鳥居奉行の死を隠すために、別人を鳥居に見せかけていた。

何しろ、仕置人など裏稼業の存在を証明する公式の記録は一切残っていないらしいので、真相は謎のままである。
主水の仲間のうち、鉄や秀は人相書きが出回って、江戸を去りながら、しばらくすると戻っている。奉行所で記録が抹消されていた可能性がある。ただ、『仕事人Ⅴ激闘編』では、主水の職場に来た新任の武士が過去の事件を調べ、中村主水が関わった事件では犯人が逮捕されなくても死亡していることをつきとめ、「中村さんは奉行所以外にも、何か特殊な人脈をお持ちなのでは」(要約)と推察していた。現場の与力、同心がほとんど、気づかなかったのが不思議である。

脱獄後の高野長英
「仕事人」のおりくと勇次が天保の改革で打撃を受けた様子は、直接には詳しく描かれていないが、同じ山田五十鈴が演じた三味線弾きでも「からくり人」シリーズのほうで受難が描かれている。

1844年ごろに高野長英が牢屋の火事を利用して脱獄。
『新必殺からくり人』によると、主人公の一座が安藤廣重から複数の仕事を依頼され、「東海道五十三次」の絵に仕事の標的が描かれてある仕掛けであった。
「新からくり人」一座が奢侈(しゃし)禁止令で江戸を出るとき、長英も加わり、「蘭兵衛」と名を変えて仕込み杖を武器とした。
「新からくり人」の座長は各地から「廣重さん、府中の仕事も終わりました」などと、廣重にてがみで報告をしていたので、第三者に読まれたら裏稼業がばれるところであった。同じ一座の行く先々で殺人事件が繰り返されたら、誰でも怪しいと想うであろう。
最終回で長英は仲間のブラ平に火で顔を焼いてもらい、追っ手から逃げたらしい。「史実」では薬品で顔を焼いたことになっている。
安藤廣重は、没年に中村主水とも関わりあうことになる。

鳥居耀蔵と蘭学者、仕事人の複雑な関係
日本での蘭学は吉宗が洋書輸入禁止をゆるめ、青木昆陽を起用したあたりから盛んになり、平賀源内と知り合いだったらしい杉田玄白、前野良澤(→良沢)などが有名。
シーボルト来日から幕末まで、蘭学者と仕事人の関係をまとめると、こうなる。

シーボルトと高橋景保を罠にはめた伊勢屋、室田静軒一派は主水グループによって倒された。
シーボルトの弟子だった蘭学者・高野長英、小関三英、渡辺崋山は鳥居耀蔵から弾圧されるが、蘭学者の恨みを晴らそうと、三味線弾きを長とする「からくり人」の一員が鳥居耀蔵の命を狙う。これは未遂に終わるものの、その「からくり人」の生き残りだった天平が主水に接近。これは鳥居と直接には関係ない仕事だった。

ただ、鳥居が出世のためのおこなった工作(「ロシアと密貿易」疑惑の捏造らしい)で元津軽藩士(推測)の恨みを買う。
その元津軽藩士は江戸に入って三味線弾きとなり、鳥居の着任で、また弾圧される。高野長英は別の「新からくり人」グループに参加し、その一座も鳥居の勧めた天保の改革の被害者。
おまけに、鳥居の前任者だった元南町奉行の矢部も鳥居の策略で追放されたらしく、闇の会の元締めに鳥居暗殺の仕事を依頼した。闇の会は壊滅寸前で、元締めが直接、主水に依頼。
主水と三味線弾きが協力して鳥居を暗殺し、これにより鳥居は正史の上で「失脚」したことになった。
黒船来航後、主水はかつて長英の弟子だった三味線屋兼蘭学者・糸井貢(シーボルトから見ると孫弟子)と組む。

Yahoo!Blog鳥居耀蔵と蘭学者、仕事人の複雑な関係
中村主水と鳥居耀蔵と蘭学者

『必殺!主水死す』で主水は死んでいない?
1845年、遠山金四郎が南町奉行に就任。これは『遠山の金さんvs女ねずみ』で描かれている。
「新からくり人」一座は東海道五十三次の旅から1年後、葛飾北斎の「富嶽百景」に描かれた悪人を殺す仕事を引き受けた。

1849年、葛飾北斎が死んだ。『必殺!主水死す』によると徳川家定(~いへさだ→~いえさだ、1824~1858)に双子の妹がいた模様。主水は主水は水野忠邦(1851年没)を暗殺したあと、昔の仲間との抗争で爆死したように見えた。
主水は秀を仲間に入れたとき、「お前もろくな死に方できねえや」(おおよそ、これに近い言い方)と言っていたが、秀が「主水の死」を見届ける結果となった。「秀、八丁堀は?」と訊く勇次に、無言の秀。
しかし、中村主水は1850年代以降にも歴史に登場する。

『必殺!主水死す』あらすじ

インターネットでストーリーを再確認すると、『主水死す』の劇中で主水は水野忠邦を暗殺しており、これが1851年とすると、主水はそのあとに没したことになる。
あるいは、1849年に主水も忠邦も没し、鳥居と同様、死が隠蔽された可能性もある。

1846年に江戸に戻っていた高野長英は、1850年に正体がばれ、自刃。この長英の弟子の一人がのちに主水と組む糸井貢であった。
1852年、遠山金四郎が南町奉行を辞任。黒船来航の前年であった。彼の没年は一八五五年、二度目の黒船来航の翌年であった。

『おらんだ左近事件帖』のおらんだ左近は尾張大納言斉朝の実子らしい。徳川斉朝(とくがわなりとも、1793~1850年)は尾張藩の第10代藩主。

成瀬隼人正(なるせはやとのかみ?)が登場するらしい。成瀬正肥(なるせまさみつ、1835~1903)は江戸時代末期の尾張藩の附家老。
第6話「コロリの謎」がある。
ネットで調べると、江戸時代のコロリ(コレラ)の流行は文政5年(1822)、安政5年(1858)、文久2年(1862)、文久3年(1863)らしいが、史料にとっては違うかも知れない。

前後一覧
2008年2/28(アヘン戦争、天保の改革開始~幕末~明治維新)
2008年2/28(天保の改革終了、鳥居耀蔵失脚~幕末~明治維新~西南戦争、秩父事件、明治憲法)

関連語句
高野長英 廣重 天保の 北斎 水野忠邦 主水死す
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