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西郷隆盛  南洲  水墨書

2015年12月25日 | 掛け軸
西郷隆盛  南洲  水墨書

紙本 (大)

一貫唯々諾従来鉄石肝貧
居生傑士勲業顕多難
耐雪梅花麗経霜楓葉丹
如能識天意豈敢自謀安
     南洲

一貫 唯々(いい)として諾(たく)す。
従来 鉄石の肝(かん)。
貧居(ひんきょ)は傑士(けっし)を生じ、
勲業(くんぎょう)は多難に顕(あらは)る。
雪に耐へて梅花 麗しく、
霜を経て楓葉(ふうよう)丹(あか)し。
如(も)し能(よ)く天意(てんい)を識(し)らば、
豈(あに)敢へて自(みずか)ら安(やす)きを謀(はか)らんや。


一度よろしいと承知したならば、それを最後まで貫き通すべきであり、
それは元来鉄石のような堅い心によるものである。
人並みすぐれた人物は、家が貧しく、あらゆる困苦に打ち克ってのちに生まれてくる。
また、いろいろな勲功ある事業も多くの艱難の中から現れる。
梅の花は、厳寒の雪に耐えてこそ、あの美しい花を咲かせ、あの香りを発する。
また、楓(かえで)の葉は、霜を凌いでのち、見事な紅葉となるのである。
君がもし、この天の心を知りえたならば、
どうして自ら安逸をむさぼっていられようか。


西郷隆盛(西郷隆永)
Takamori Saigo

書家, 政治家, 武士

1827 ( 文政10 )~ 1877 ( 明治10 )

本名:(幼名)小吉 のち善兵衛、(諱)隆永
通称:大島三右衛門
字:吉之介、吉之助、善兵衛
号:南洲(南州)、止水

薩摩国(鹿児島県)出身

薩摩藩下級武士の家に生まれ藩主島津斉彬に仕え、後に薩摩藩の代表格として藩政に参加、1866年に公武合体を目指して(坂本龍馬の仲立により)当時敵対していた長州藩(桂小五郎)と同盟(薩長同盟)を結び、新政府軍代表格として倒幕を決行、しかし戊辰戦争時に江戸に攻め入るときには幕府軍の勝海舟との交渉により江戸無血開城に成功。
明治維新後は新政府参議として廃藩置県を推し進めて活躍を示したが大久保利通らと朝鮮出兵(征韓論)を巡り対立、その後、官を辞して郷里の鹿児島に帰郷、学校を建設して士族の子弟を教育していたがこの生徒らが新政府に対して反乱を起こし(西南戦争)西郷も大将格として参戦したが敗戦となり城山にて自害となる。
木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通とともに維新の三傑と称されている。
尚、「隆盛」は明治期に戸籍登録の再、誤った隆盛(父の名)を登録してしまい、正確な名は「隆永」であり、戸籍登録以降父の隆盛を名乗った。

〔印 名〕
「南洲」 「號南洲」 「藤隆永氏」 「藤隆盛氏」 「藤隆盛印」 「猛虎弌聲山月高」(「猛虎一声山月高」) など


※西郷隆盛の疑印があるが、この印はそれら疑い印との区別が明らかで、
 真筆と考えられる。
 しかし、重なりには濃淡なく、印刷物の可能性が高い


φ(.. ) おして

ちなみに「なんでも鑑定団」の南洲書の評価額はこちら

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