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M-13 「親父と二人暮らし」

2016-02-21 18:44:50 | MOI的メモリアル
俺は高校卒業をギリギリできた
テストは白紙、出席日数は足りない
そんな状態なのに進学した
音響の専門学校だが高校で推薦枠が空いてたのでいれてもらえた
音響の勉強しながらバンドで身を建てようという甘い考えからだった
今思うとプログラム言語の一つでも学んでおけようと言いたくなるが
当時は夢を追い楽に生きる方法を探してたのだろう
大成してたら今よりもっと大変だったろうけど
そんなこんなで俺は春から東京にでることになった
幸い中学から父親が単身赴任で東京に住んでいたのでそこに住むことにした
学校までは一時間はかかるが寮が空いていなくて俺としては自由度が高いので喜んだ

専門学校には寮暮らしのクラスメイトが三人いた
同郷の出身だが俺とは少し地域が違う三人だった
クラスの飲み会の帰りに終電がないので寮に忍び込みとめてもらうことになる
それ以来自宅に帰るのが面倒になると忍び込むようになる
三人の中の一人はバイトで夜中部屋にいないので俺は変わりに住み着くようになる
寮の風呂を借り飯もいただき我が物顔で

そんな生活をしてたのだが親父は余り気にしてなかった
週末は母親や妹の住む田舎に帰るが俺も週末学校はないので自宅に帰る
完全にすれ違いだ
たまに帰宅すると親父は久しぶり!ちゃんと食べてるか?と軽く声をかけてくる
平日自宅に帰るのも終電ギリギリで残業だらけの管理職だった親父
でも疲れた顔一つも出さずに会社内の営業成績ナンバーワンを叩き出したりする
恐ろしい程タフでボジティブなあの人は古いタイプではあるがやり手過ぎるほどの人だろう
そんな親父に怒られた経験が殆どないのだが
甘やかされて育った覚えもない
社会的モラルや一般常識は年齢相応に身に付いた
学校は真面目に行ってなかったが何故か知識だけはついた
自分がしてきた仕事の歴もあるのだろうが
教育はしっかりされてきたようだ
あの頃親父と二人で暮らしていた時覚えている事があまりないのだが
洗濯物が山のようにあって暗いリビングに週刊誌が三列位に積み上げられていた
たまにコンビニでざるそばを買ってきてくれ「お前これ大好きだろ!」って渡してくれる
しかし俺はそこまで好きじゃなかったのよ
金なかったから喜んでもらってたのを勘違いしてたのだろうな
それくらいしか関わりのなかった専門学校時代の二年間
その後フリーター時期一年ちょっとくらいも一緒に住んでいた
その頃近くにマンションを買うことになり母親が上京することになる
そこで父親との二人暮らしは終わるのだが
そろそろ俺もあの頃の親父の年齢なのだな
あれくらいタフでボジティブかはわからないが
あの人を超えるとか考えたこともないが
あの親父の元に生まれるべくして生まれたのはよく分かる
時代が変わっただけでとても似ているのは自分でも認識しつつある

過去を後悔はしない方なのだが
あの頃もっと家に帰ってれば何か吸収出来てたろうなって思う
漫画の話を熱く語り合うのはその10年以上先になるからな、、、

M-12「P-メン3」

2013-12-04 20:35:00 | MOI的メモリアル

ゲーム「P」

バイトを始めて半年くらい

ようやく店に馴染み始め一人で店番をするようになったり

原付きで通うYOさんがお下がりでスクータくれたり

そのスクーターはセルが微妙に壊れてたり

みんなで店のゲーム機のボタンを流用しセルの代わりにして改造したり

店が閉まった夜中過ぎ、Fのでっけぇワンボックスで千葉方面にドライブがてら遠征で深夜営業のゲーセンにいったり

帰りには金もないので吉牛あたりで飯食って「P」の前まで帰ってきてそのまま解散

どこにも行かないときなんか一晩中俺の家でゲームしてたりは当たり前で

YOさんはパソコンのお下がりもくれたなぁ

まだ当時はHDDも100Mとか小さかったがエロゲ満載のパソコンを

俺も話しを合わせる為にやろうとするがいまいち好むものがなかった・・・

RPGぽいのはよくやったけどなぁ

YOさんは今思うと太っ腹だったんだろうか

その代わりにエロゲ買ってくれよとか要求されてた気がするけどな

YOさんは月1でMAちゃんや常連誰かと数人で秋葉原に遊びに行くのが恒例だった

俺も慣れてきてからたまに付き合う事があった

業務的に秋葉原ではやっているゲームを見に行ったりが目的

YOさんはエロゲ散策であろう、いろんな店に連れて行かれて結構秋葉原に詳しくなったものだ

そんなこんな好き勝手していると店長は常連と仲良くなりすぎると良くないとかなんか言い出す

あんた話に加われないからつまんねーだけだろ・・・とか当時は思ってた

まぁ店長も自分の店の店員に常連が懐くと気に食わなかったんだろうか

店長とはどんどん険悪になっていくんだが、まぁ気にしないで働いていた

そんな中、店の売り上げは良くないはずなのに、駅前の方に新しく店を立ち上げるという話がでる

YOさんが昼、俺が夜でシフトが埋まってきたので新店をって事なんだろう

KAさんは新店の準備で駅前の2号店の方の準備にかかりっきりになる

駅前は専門学校なんかもあり集客率は良いのではないかと思われていた

バイトも新しく雇うという話で求人雑誌に数人募集をかけるとも

YOさんや俺は1号店となるこちらに固定らしい

まぁ俺は自分の好きなCDをかけまくったり顔の知れた連中の要るここが気に入っていた

ただガレージを改造した感じの1号店より2号店はとても広く綺麗で羨ましい感じもした

店の開店が近づくにつれ会長、店長、KAさんは殆ど2号店にかかりっきりになる

心なしか常連達は寂しいのではないかとかなんか思えたり

でも上がいないとこっちは好き勝手出来る物で

仕事中ゲーム雑誌読みながらタバコ吸いつつダラダラずっと仕事してた

あんなに気の抜いた仕事、自分の人生であの頃だけだろうなぁ・・・

近所の中学生達もよくたむろっていたのだが裏の広場でタバコすってたり

無法地帯のようなものだった・・・

その中学生達も今や社会人どころか子供がいてもおかしくない年齢とはおそろしい

2号店が開店してから店の関係者が増えていく

増えていく人がいれば去っていく人もいるのだ


M-11「P-メン2」

2013-12-02 21:20:17 | MOI的メモリアル

ゲーム「P」

俺の働いていたゲームセンターである

親父と二人で住んでいたマンションはつき15万くらいの結構お高い高級な感じ

俺は高校卒業後に田舎から引越ししてきて専門学校にそこから通った

卒業後も当たり前のように居た、そこに家賃も払わず居ついていた

やっとたどり着いたこの店「P」は居心地が良かった

自分を作ることもなくそのままを出していればいい

それまでの俺はどこか斜に構えて人に興味がないように人に接しないように生活していた

「P」の常連達は俺に踏み込んできた

なんていうのか、奴らはずうずうしいのだ

俺は父親とすんでいるマンションに友人を入れた記憶がない

そこにいきなりいっていいかと言い出したのがRちゃんというまだ18くらいの背の低いがっちりした職人タイプの若い子だ

常連の中でも一番暦が長いようで「P」開店当時から来ているらしい

とても人懐っこいRちゃんは歴代の店員とは皆仲がいい

店長もRちゃんはひいきにしていてゲームのメダルをただであげたりすることがあるくらいだ

店長はサービスクレジットも極力入れないケチ極まりない人なのだがRちゃんは別格らしい

Rちゃんはゲームが上手くなんでも器用にこなす、ワンコインでゲームをクリアする人間を初めてみたのか彼が代表格だ

そんなRちゃんが家に来るようになってからだ、常連達が俺の家に連夜溜まり始めたのは

 

ある日店長が一人の常連について俺に語りだした

U君という背の高いイケメンなのに妙なオーラをもった子だ

浪人生だった彼は勉強の合間によく店に来るらしい

頭がよく優等生で一人だけ近所の高校ではなく進学校に行くという異端児ぽい感じ

格闘ゲームのセンスが尋常ではなく知識もすごい

彼も店長のお気に入りの一人だと言うのはよくわかった

しかし彼は俺に始めて話しかけてきたときは「調子はどうですか」といいながら何故か俺の横にぴったりくっついてきて尻に手が当たっていたような気がしてたんだ

なので奴はホモという疑いをかけてやったんだ、実際違ったんだろうけどな

MAちゃんという大柄な眼鏡の常連の子もいた

Rちゃんと同じ団地に住んでいる子で毎夜「P」に顔を出してくる

いろいろな事情で仕事はしてないが日課が「P」に来る事らしい

ただ仕事上店員の話し相手になってくれると言う「P」の中での重要人物なのは確かである

彼は自分が毎週買うマガジンを店長に貸してメダルを頂いてそれで遊ぶのだ

店は常連が出入りしているので暇という事はないし居るだけでも暇つぶしなのだろう

そんな面子が毎夜家にきていた

俺の家はゲーム機は大抵揃ってた

金に困ったら売りに出してはいたがハードはなるべく売らないでいた

さらに父親は週末は田舎の家族の所に帰っていたので俺一人になる

若者達のたまり場にはもって付けだったのだろう

他にもRちゃんやMAちゃんの同級の常連も出入りはする

そんな中でU君の同期でMAちゃんが俺に紹介したい人物が居るといってきた

俺とは絶対気が合うであろうというのだ

「P」にはしばらく出入りしていないという、なにやら冬は山にこもる事が多いらしい

その男はF、俺たち「P」メンsの中心人物ともいえる、まぁ車もってたから中心になったというのが本人不本意であるんだろうけど

音楽の趣味が俺に似ていてセンスが近いとMAちゃんが言っていた

1ヶ月くらい「P」で働いていたがFに会う事はなかった

当時スノボーが流行っていて奴は冬季は山にこもるらしい

ある夜Fと遭遇する事になるのだが

とても爽やか君なのだよ、ゲーセンに似合わないくらいのな

口を開いてもオタぽくなく来るまでかかる音楽もダンスミュージックというかなんか重低音がりがりな

まぁ後々突っ込むと彼も結構な業を背負ってはいるのだが

俺は「P」の常連の中でもFとはとても気は合った

そもそもあいつが居なければパソコンでHPなんかとても作れなくこのブログなんかも存在しなかったはずだ

こんな感じで新顔がどんどん増えていく

同時に俺の家に来る人間も増えていく

とても楽しい時期だった

「P」という場所が閉まってもそのままMOI宅でゲームをして朝に解散

そして次の日の夜は「P」から始まる

半年くらい続いたそんな生活

そんな時「P」の二号店ができるという話を店長からされる

俺も遅番が安定して一人でいてもいいくらいになったの頃だ

KAさんが店長としていくのだ

居場所はずっと変わらない、そんな風に思っていたんだよ、あの頃は


M-10「P-メン1」

2013-12-02 19:26:19 | MOI的メモリアル

俺が20代前半の頃だ

専門学校を卒業して就職もせずにバンドをやりながらアルバイトをしていた

長続きするバイトもなく半年くらいでバイトをやめてを繰り返す

バイトをしているうちに自分のしたいことを見失う

ある朝起きたら自分の記憶がない事実に気がついたりする

今思うとメンタルが病んでいたのかもしれない

それを理由にバイトに行かなくなる

おかしい自分を楽しみながらも生活はしなくてはいけない

その内生活費に困り金を稼がなくてはいけなくなる

ゲーム機なんかを売りに出して生活費にしたりする

その金で食いつなぐついでにバイトの求人誌や週刊誌を買う

バイト求人雑誌で見つけたのが近所にあるゲームセンター「P」

時間帯は夕方から夜中の1時まで

22時過ぎは深夜割り増しがおいしい

何より頭髪が金髪ロンゲの俺には服装髪型自由がもってつけ

近所なので速攻電話をして面接の約束を取り付ける

店内は電気が薄暗く中には筐体が並び奥の方にはメダルゲーム

 当時流行りだったゲームは中高生が群がっていた

自分が学生時分と雰囲気があまり変わらないので安心はしてた

UFOキャッチャーの商品がなんとなく古臭い雰囲気で店長の趣味がわかる

店長が面談をしてくれたが髪形などには一切触れず

遅番が辞めちゃったので遅番できるなら即採用、という軽さ

即日勤務をする事になる

当面は店長と勤務する事になるらしいが店には他にも社員さんがいた

社員で既婚者のKAさんは30後半のお父さん、小学校前の娘さんがいるらしい

気さくに話してくれるノリのいい人だったがよくよく聞いているとパソコンのエロゲーが大好きらしい

パソコンのエロゲーというジャンルに造詣のない俺には話すらできなかった

しかし異様にエロゲーやろうぜって進めてくる人だった

店の常連達はそのKAさんを兄貴のように慕っていた

俺と年齢が変わらないくらいのガタイの良いスポーツマンタイプのサラリーマンの常連なんかKAさんに頭が上がらない感じ

他にもいかついヤンキーぽい感じの親子連れなんかも親しげにKAさんと話したりしている

この店は昔から来ている常連達の憩いの場所である事が新入りの俺にもすぐ見て取れた

当時の俺は人見知りが激しく、常連に無愛想に対応しか出来なかった

俺が夜番として雇われそれに対して朝番のYOさんという人がいる

腰の下まで伸びた長髪がキューティクルな男性だ、ほんとに綺麗な長髪なのだ

仕事に来るとカウンターで髪の毛をブラッシングしているくらいなのだ

そして無類の綺麗好きで俺はこの姑みたいな先輩に育てられた

この人もエロゲー大好きであり俺の中では理解に苦しむ人種だった

KAさんは気さくで多彩な話が出来た人だったのだが

YOさんと言う人は自分の趣味でしか話さない人だった

アニメが大好きで今では一般的なオタだが当時は業の深いものだった

アニメといえば昔のロボット物しか出て来ない俺は会話がかみ合わなかった

幸いシフトすらもかみ合わないので仕事の入れ替わりに会話するだけなのがせめてもの救い

ただKAさんやYOさんの業の深さと言うものを見てなかったら俺は今の業界にいなかったと思う

エロゲーの為に彼らはパソコンを駆使するスキルを身につけるのだ

目的のためなら勉強する、努力は半端ない、俺もゲームや音楽の為に覚えただけに今ならわかる

店長は40も後半でパソコンも興味がない上に嫁もいるので流石にエロゲーはしない

その嫁というのが店の立場上の会長、店長が社長になるからさらにその上である

会長はたまにやってきては景品を入れ替えパチンコゲームをして帰っていく

もちろん常連さんとも顔なじみである

初めはそんなこの店をアットホームな店だと勘違いしていたものさ・・・

店側の人間に馴染み始めた頃、常連達も今まで働いていた俺の前の遅番担当がいない自体に気がつく

代わりに金髪ロンゲの胡散臭い俺がいるのだ

まぁ後で聞いた話によるとKAさんも元は金髪で俺なんか目じゃないくらい性質が悪かったらしい

常連に聞いたら暴力政治だというくらい威圧をしていたらしいのでわかりやすい

そんなゲームセンター「P」

東京に出て来て初めて、自分の居場所が出来た場所

俺はそこで働く事になった

とりあえずしばらく生活はできそうになった20代前半の冬だった


M-9「記憶喪失のMOI」

2013-05-13 00:29:52 | MOI的メモリアル
いつも結構仲良くなった友達とか会社の同僚とかには言うんだけどさ
俺記憶喪失になった事あるんだよね
東京出て来て3,4年した頃なんだけどさ
突然なんだよね、っても何もかも忘れたわけじゃないんだけど
記憶喪失というより記憶障害?
自分の黒歴史的に思い出したくないことは忘却してついでにそれに関連した記憶も抜けてるの
親父が母親とかに「MOIおかしくなったわ」とか伝えるから誤解を呼んだりもしたわけで
それから数年田舎にも帰らなくなって地元じゃ死んだとか噂流れる始末
結果的にはその後某ゲーセンでバイト初めて徐々に記憶を取り戻すんだけどね
俺は性格がなんとなく変わったりしたわけだが
そんなに社交的じゃなかったし人見知りもしたのに性格も反転してたりするところがあったり
今思うとあれはメンタル病んでたんじゃないかと思う
記憶が抜け落ちてはいたけど写真や自分の日記やメモで残っているので思い出すのは容易だった
でも実感がないんだよ、自分がこうだったとかそうだったとか
ただゲームとか漫画が「あれ?読んだ事あるようなないような?」で再度楽しめるのはもうけものだったり

M-8「趣味の一致ってすごいね」

2012-11-29 00:00:10 | MOI的メモリアル
俺の出身高校は普通科です。
進学率は一桁%しかない高校です。
俺はそんな高校でワースト2でした。
ワースト1は卒業間際学校を辞めたとか。
事実上ワースト1です。
出席率と成績が悪い為ですが特に物理は点数を取ったためしがないです。
不良だからとかじゃないです。
馬鹿だったんです、バイト優先とかゲーム優先でサボってたりです。

そんな高校時代クラスメイトに見るからにヤンキーな人がいました。
S君といいまして彼は入学当初から金髪リーゼントな感じでした。
もう俺なんかと全然世界が違いました。
けどかなり気さくな感じで喋ると面倒見のいい感じで筋が通ったタイプでありました。

当時俺はBUCK-TICKというバンドが大好きで学校にCDを持っていってたりしてました。
それを見つけたS君、俺にお前もB-T好きなのかと話し掛けてきました。
そんな強面から声をかけられておっかなびっくりな俺でしたが。
音楽の趣味と見た目は関係ありません。
B-Tのよさについて語り合いました。
なんか気が付いたらS君の家にまで遊びにいってました。
俺の持ってないシングルCDとか貸してくれたり
S君のおにーさんがゲーム好きでいろいろゲーム持ってたりして一緒にゲームしたり。
とにかくよく遊びました。
俺も中学の時の友達をS君に紹介して何故かS君の家に連れて行ったり(かなりはた迷惑であったろう。
S君の中学自体の友人を紹介されて超引いたり(シンナーやってそうなひとばかりで。
S君の友人の家は銀蝿が当たり前に流れていました。
あの時初めてヤンキーってこういうもんなんだなって知りました。

夏に家の田舎はいつも町全体を使って練り歩くお祭りがありました。
その時S君と待ち合わせをしていたのですがたまたま俺も中学の同級生と会い紹介しました。
俺の中学の友人と言うのは真面目なタイプが多くS君は挨拶だけしてパチンコ屋に消えていきました。
あの時ほどS君に対して悪い事をしたなと思ったことはない。
その後S君を追いかけたがパチンコ屋にいたS君の友人にビビッて逃亡した俺も情けない。

まぁそんなこんなで3年間S君とは仲は良かったのですけどね。
俺も2年くらいからバンド始めたりで距離はあったけど。
高校で一番仲が良かった友達かもしれない(向こうはどう思ってるかはわからないけどw。

卒業後もちょこちょこ連絡は取ってたまに飲みに行ったりしたり。
S君は気が付いたら結婚してて立派な親父さんになってたり。
年賀状は毎年くれてるのに俺は返さなかったり(たまにはだしてたんだよ!。
メールでたまには飲みに行こうとかやりとりはあるけどタイミングあわなかったり。

今じゃB-T繋がりもないだろうに、共通点あるんだろうか?と思うくらいだが。
彼の存在無くしては俺は高校時代生き抜いて来れなかった気がする。
言うと自分の情けなさが更にでるので割愛するがw。

元気だろうか整備士になり保険の資格を取ったりと忙しそうな感じだったが。
高校時代見た目はともかく成績は俺より良かったし仕事もちゃんとできる人ぽいし。
まぁ人の心配する前にお前が何とかしろよって感じだがw。

M-7「捨てられた犬2~学校とミー~」

2012-11-18 00:00:10 | MOI的メモリアル
続き書けよ!って突っ込みもあったのでw
当時の状況をよく覚えてる母親にも確認しつつ記憶を辿ります。

ミーを拾って1週間ほどたった頃でした。
雨が降ってきたんです。
雨の中ミーをほおって置くわけにはいかないので学校帰りにミーを回収に急ぎます。
もちろんみんな家に連れて行ける環境でないから秘密基地においておいたわけで。
どうするか途方にくれます。
一番近所だった俺が家に連れて行くことになり連れて行くことに。
ここからは記憶が定かではないのだが母親が激怒していた気はする。
もちろんマンションはペット不可であり分かっていたはずだがその日はうちに置いてくれた記憶がある。
体調の悪そうなミーを見て母親が獣医に連れて行ったらしく、
母曰くあの時点であの犬は目が見えていなく治療も出来ないと後日談で聞かされた。
次の日何故か学校に連れて行くことになり俺は学校で犬を飼えるのかと喜んでいた。
Tちゃんたちもミーを連れてきたことは大喜びだった。
先生は家の親から事情を聞いていたか何かでちょっと神妙そうな顔をしていた。
先生に飼い主を見つけるために役所の人達が来てくれたのでミーを預けようといわれた。
俺は学校で飼ってくれるものだと思っていたのでかなり泣き喚いたそうだ。
ただ先生もちゃんとした飼い主に買ってもらった方が体もよくなるからと説得してくれた。
俺は自分達で買うわけにはいかないのは妥協しとりあえずはその役所の人やらに預けた。
その後先生や母親にミーにはまた会えるよねって何度か聞いたがなんかいつもごまかされてた気がする。
その後俺は親の転勤で他の土地に引っ越す事になりミーの事もすっかり忘れていた。

まぁ役所の人に預けるって時点で分かるよな、大人なら。
保健所行きだったんだよね、ミーは。
先生やかーちゃんは俺がショックを受けると思い、または理解できないと思い説明しなかったんだろうな。
ただ子供心ながらに変な空気は理解してた。
引越し後高学年になった俺はまぁいろいろ勉強もしたので保健所の存在を知るわけだよ。
あぁミーは目が悪いから保健所に連れられて殺されたんだなってのは6年生くらいになったときに気が付いた。
だけど過ぎた事だし俺も小さい時の事だから親や先生に何で教えてくれなかったとも思わない。
逆に知ったら俺は絶対に連れていかせなかっただろうし俺以外も納得はしなかったはずだろう。

ロキを里親として手放す時はその場にいなかった俺ではあるが。
いたら大泣きしそうで嫌だったわけだよ。
多分ミーの時の事も含めて大泣きしそうでな。
生きていたら20才を超えてるロキだからもう死んでっかな。
あれ以来犬はもう飼いたくないなぁと思ってるわけだが。
最近思う、猫でも同じじゃねぇかとw。
ま、写真だけはたくさん取っておいてやろうと思う。

M-6「求めていた居場所」

2012-11-13 00:00:10 | MOI的メモリアル
俺は幼少時代から自分の居場所がとても重要だった。
小学校低学年時でも秘密基地を作り犬を隠してたり(続き書けっていうな!。
小学校高学年時でも秘密基地はもちろん漫画をコンビで書いてたり(最近作品が当時の相棒宅で発掘、公開したい所。
中学校に入ってからは部屋にTVを置き友達の溜まり場になってたり(TRPGをやってたのは黒歴史。
高校からは友人の家で離れの部屋を持ってる友達の家で溜まってたり(6畳の部屋に10人以上人がいたり。
専門学校では寮に住んでた奴やバンドメンバーの家で溜まってたり(迷惑がられてたのは秘密。
某ゲーセンでバイト時はゲーセンはもちろん俺の家も溜まり場だったり(俺の家じゃなく会社の事務所だが。
まぁ今は友人達もいい大人なので溜まる事はなくなったが。
いつの時でも溜まり場所は作っていた。
まぁそんな居場所の話でもしようと思う。

ここのブログを再開しようと思ったきっかけでもある高校の同級生であり
いつも溜まり場所に一緒にいたFちゃんとしよう、から連絡があったんだが。
まぁこの人は中学も別クラスではあるが一緒であったわけだよ。
中学高校と結構頭のいい人で生徒会役員とかもしちゃう俺とかの別次元の人だったんだが。
俺は中坊時代はサイコロ振ってテーブルトークやってたり小説読み漁ったり業の深い世界に生きていた訳だよ。
妹なんかも何故あんたがあんな人と仲がいいんだと未だに言うくらいだろう。
俺もそう思う、ただ同じ中学出身で同じクラスになっただけのような気がする。
見た目も結構時代的にどぎついヤンキー色の濃い人であったが何故かよく一緒に遊んでいたわけだ。
高校時代入学してから1年ほどは前述の親友であり悪友Mと北斗の拳に出て来そうなKちゃんとそのFちゃんと殆ど一緒だったのだよ。
その人から連絡がありブログもうやんないの?オモロイからやればいいのにって言われたら再開しないわけにはいかねぇだろ。
しかも肉ネタ喜んでくれるっていったら出せるネタ増えるわけだしな!。
さんざ他でブログまたやればいいのにって言われても動かなかったわけだがここは例外ということである。

そもそも悪友Mに連れられ高校デビュー気味に思われ(本人つもりは全くなし、喧嘩弱いくせにいきがってたようにしか見えない状態であった訳だが。
悪友Mは中学の時ガチ喧嘩になってそれ以来何故か仲良くなって未だに連絡を取り合うくらいなので友人であるのは分かるんだが。
北斗のKちゃんなんかは他の中学出身で見るからにやばそうなのだがいつも優しく、
まぁ東京出て来てからはよく説教されるんだがwきつい言葉の影には今でも優しさはあるはずw
この人のバンドのライブでバンドやろうぜ熱が加速した気がする。
今回連絡あったFちゃんなんかは他者に対してとてもいろんな面で攻撃的なのだが仲のいい知り合いなどに関してはとても気の回る人で良く俺の立ち居地を気にしてくれていた。
そんな屈強な3人と一緒にいたので俺は喧嘩なんかしないでもウヒョヒョイな状態だったわけで。
たまに修羅場敵な状態があってもMOIはよえーんだからすっこんでろ状態でw。
まるで風神雷神龍神に囲まれた特攻の拓になった気分でもあり(けしてカメレオンの矢沢ではない。
溜まり場でも稀に昔の俺を知ってる奴がいたりするとパシられそうになるが何故か庇ってくれたり。
たまに布団で簀巻きにされてたりと言うことはあっても何故かみんな優しかったのだよ。
ペットボトルに屁を溜めて火をつけたり夜通し麻雀やりながら大戦略やったりタバコ買う金ないからガラ集めて藁半紙で吸ってたり。
気が付いたらみんなバラバラになってたけど一番楽しい時期だったかもしれない。
俺のゲーマー人生としても基礎はあのあたりじゃないかと思っている。
それからの2年間の高校生活はバンドを初めてまた違う道を行くのだが。
今思うとパソコン早く触っていればよかったと思う所はあるがw。
そういや溜まり場所のオーナーの友人はたまにPCゲーもやってたのがとても羨ましかったな・・・。
同級会で会った時はFFオンラインやってるとか相変わらずだったけど人間変わらないよなぁ・・・w。

その後東京に出てからも自分の溜まれる場所ってのはずっと探し続けていた訳ですよ。
親父の夢が喫茶店っていうのもあったんだが、俺の夢もみんなの溜まれる場所ってのだったのかもしれない。
某ゲーセンでバイトしてた時期自分の家が自分の望んでいた溜まり場所になり
引越しして親父が会社の事務所を借りそこに住み着いて夜から朝までみんなでゲーム麻雀三昧という生活が2年位続いてた。
それはそれで面倒なこともあるんだなと実感しその後はあまり溜まる事もなくなった訳ですけどね。
モンハン流行ってた時期は俺も実家出て借りてた家にみんな溜まってたりはあったか。
家の畳やフローリングにコゲあとつけて謝罪一つもない若造とかもいたのでねw。
若造っても今じゃ三十路超えてるはずだけど今でも同じように暮らしているんだろうかあのボケは・・・。
あの当時も親父が近所のその筋の人にコネがあったり
ゲーセンの常連も結構屈強な連中がいたりでやりたい放題でもあった訳ですよ。
未成年はあまりいなかったので悪い事はしてなかったと思うんだがな。
悪い事してたのは家の親父くらい・・・(ゲフンゲフン。
ゲーセンの友人達もなんだかんだでバラバラになり個人的に付き合う連中もそれなりにいたり。
でもいつの時代も俺はバックボーン重視で自分の身を守っていたのだな・・・。
バックがいねぇとなんにもできねーのか!って言われかねない人生だな、おいw。
でも大人になったらそういうの重要じゃん?。

ゲーセンの連中は都内地元だからすれ違う事もあるんだろうけどな。
高校時代の連中って中々会う事ないだけにとても懐かしく思える。
記憶障害的な症状を起こした俺としては更に何事も懐かしい訳ですよ。
1年半前の実家に帰る前までの7年くらいの生活に関しては思い出したくもないので
むしろそこだけ都合よく記憶障害にならねぇかなとか思うわけだがw。
まぁあの7年も自分の居場所を手放したくなかっただけなのかもしれない。
手放したからこそ助かったという事もあるのだろうし
手放さなければ新しい変化は生まれないというのも実感した。
毎回みんなで溜まる場所が出来てはバラバラになるという繰り返し。
それはみんな自分の新しい変化を求める為に無くなっていったんだろうか。
俺は過去のものに執着しやすいタイプなだけにいつもあの時は良かったと振り返ることが多い。
振り返ってもまぁ今は楽しいからいいかで流せるからいいが。
何事も繰り返しなのだろうか。
根本的な自分の居場所は変わっていないというのにね。

あ、うまくオチたかもw。

M-5「MOI生活記録帳 その2」

2005-01-08 00:35:43 | MOI的メモリアル
MOI中学生日記キャプチャー版。

中学2年2学期11月28日

学活・持物・連絡欄の絵が今のセンスを物語っている。
まぁ内容は担任のコメントと同意したいものがある。
今日はつるっぱげでげろげろだったらしい。
多分一時間目が国語で教師がハゲ教師だったのだろうと推測できる。
しかしげろげろだけは本人も理解不能。
一応コメントする担任も担任、ここは怒るところだゼ新米教師。

M-4「MOI生活記録帳 その1」

2005-01-08 00:04:44 | MOI的メモリアル
部屋の片付けしてたら懐かし懐かしい物が出てきた。
中学3年間は学校に生活記録という形で毎日日記を提出してました。
その日記が一部出てきたので掲載してみることに。

中学2年3学期1月11日の日記
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1 保
2 理
3 数
4 国

今日はムーンシェイサーガ①の魔じゅうよみがえるを
かった。とても良い小説だと思った。
たこ山は幻魔たいせんをかって○○神社で犬に
おわれてるのでまぬけだった。
そしてグラマニエの魔法家ぞくをかった。
おとしだまはもう700円になってしまった。
つるっぱげー!!もっと金よこせー
5000円は少ねーぞー。

 5000円 これはすごい大金ですよ   ←担任のコメント

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リアリティを求めるため漢字もそのまま書かせていただく。
まず、突っ込み所その1、ムーンシェイサーガは俺は結局一度も読んではいない。
感想を堂々と良い小説と書く辺り何かおかしい。
その2、たこ山、たこ山って・・・(汗(同級生のあだ名であろう。
その3、神社でいぬにおわれている、確かに間抜けけど俺その様まったく覚えてない。
その4、グラマニエの~~をかった、お前たこ山が神社で犬に追われてたその後
何事もなかったかのごとく本を買ってる辺りは友達としてどうかと思うよ?。
その5、つるっぱげー!!、何故はげ・・・。
その6、もっと金よこせー、いやお前は使いすぎ、そしてそれを学校の日記にぶちまけるな。
その7、5000円は少ねーぞー、マイTVを部屋に持ちCDコンポを部屋に置く
中学二年生の心の叫びである、タイムスリップしてぶん殴りたい気分だ。
その8、担任のコメント、ごもっとも、ていうか説教すべきデス。

原本をスキャンして出したいところだが翻訳せねば読めない字体(どこの国の人?)なので
翻訳済みでなるべく原本に近い形で書いたが頭悪いどころかこれが通る学校って(汗。
つーか担任が1年のとき大学卒業したての新任でノリがよかったので許されたのであろう。
マジでつるっぱげー!!って書いてあるのには俺も驚愕した、己は受験生かそれでも。

M-3「捨てられてた犬」

2004-12-29 00:00:00 | MOI的メモリアル
俺様は犬が好きである。
「ロキ」という柴犬を飼っていたのだがアレのせいでぐれないですんだ高校時代もあるくらい。
もちろん小学生の時から犬好きでありました。
俺が小学校はいる前からだろうか母方のじーちゃんとこで日本犬の雑種飼ってたんデス
かなり人懐っこい吼えない犬でそれを見てきたせいか物心付いたときには犬が好きになってました。
ただ小さい室内犬はザーマス系のおばちゃんが抱えているイメージが強くて昔から苦手だった。
腹が減ってもキャンキャン泣くからうるさくてかなわん。
つーか昔から妹が犬苦手で特に泣き声が嫌いらしく一緒に歩いていると犬見るたびに恐怖してた。
その様が目に焼きついてるんでキャンキャン吼える犬がウザいんだろうな、ビビる妹もウザイし(汗。
猫もじーちゃんとこで多いときで10匹くらい飼ってたんだが猫はまたの機会に・・・。
まぁ犬猫に限らず動物は好きなんだが特に犬が好きだったのである。

俺が小学3年生のことです。
当時我々ガキ共の中では秘密基地を作るのが流行ってました。
当時よく遊んでいたのが3年生の初めの頃引越ししてきた「Tちゃん」。
彼は漫画を書くのが上手く「スペースコブタ」「Tちゃんマン」という
二大キャラを駆使して漫画を描きクラスの人気者であった。
小学生の癖に画力があり当時キン肉マンに夢中だった我々は彼の藁半紙の連載を
毎日楽しみに学校に行っていたくらいである。
そしてうちの近所で1/60ガンプラを数体持っている「Uたん」。
こいつがすげぇムカツク奴でかなり性格が悪い奴だった。
その頃よくプラモをみんなで持ち寄り遊んでいたんだがプラモ持ってないと仲間に入れなかったりする奴で
ガキ大将系の奴にはペコペコする世渡り上手な細身で背の高いスネオ見たいな感じ。
もう一人ちょっと離れたとこに住んでた女の子と間違えそうなくらい可愛い「Kちゃん」。
性格もよくすげぇいい奴なんだが振る舞いがオヤジ臭かった、見た目可愛いのに可愛がられないタイプ。
そんな4人で秘密基地を探して歩き回ってたときのことです。

Tちゃんの家の近くの駐車場でダンボールを漁ってた我々(ホームレス?。
Kちゃんと俺はダンボールを小脇に抱え後の2人のいるところに向かいました。
TちゃんとUたんはなんか屈みこんで小さいダンボールを見ていました。
俺らも一緒に中を見てみると一匹の小さい子犬がいるではないですか。
毛布に包まれて一人で歩けるくらいの子犬でした。
黒くて何の雑種かわかんないけど耳が小さく毛が少ない犬でした。
Uたんは木の棒で犬をつついてます、Tちゃんは観察してるだけです。
もちろん正義感の無駄にある俺はUたんを押しのけます。
「なにすんねん!」とUたん激怒(MOI当時関西圏在住)。
俺とUたんはよくこんな風に喧嘩してました、それはさておき。
Kちゃんはずれた毛布をしっかり犬に包みなおしてました。
彼は小さい妹がいたようで世話好きでそういうところに気が利くのである。
Tちゃんは犬を見てなんかネタを考えてるだけです。
ふと我々は思いつきました。

秘密基地でこの犬飼おうゼ!と。

Kちゃんは大賛成、Uたんは番犬になるかと妥協、
Tちゃんは地面に新しく思いついた超人をチョークで書いてました(もちろん犬超人。
早速以前作成した秘密基地に連れて行くことにします。
通学途中にある空き地の草むらにダンボールと布袋をかぶせた第一秘密基地。
俺が今の面子意外と作ってみんな忘れてしまったので再利用させてもらった場所である。
拾ってきた週刊誌や万引きしてきたお菓子の食べかすなど散乱しているが広いので子供3人は入れる広さだった。
Uたんはでかいので外で見張りをさせ我々は中で犬を見守る。
とりあえず拾ってきた容器に水を入れ犬に飲ませるが呑まない。
Kちゃんが牛乳なら飲むんじゃないかとの提案をしたのでTちゃんがミルクを飼ってくることになり牛乳を飲ませる。
彼は母子家庭でもしものためにいつも大金を忍ばせていたのでそういう時はいつも頼りになっていた。
子犬は牛乳を飲みだしたがいまいち元気がない、そりゃそうだろう、かなり長い間放置されていた模様だしな。
とりあえずしばらく犬を見守り俺らは解散、明日の夕方再集合ということになる。

翌朝基地が通学途中なので近所のUたんと一緒に犬の様子を見る。
帰り際に入れておいた牛乳を全部飲み干して寝ていた。
安心して学校に行き経過をその他二人にも報告。
夕方妹の世話のあるKちゃん以外が集まり犬を見守る。
Uたんが「この犬片目おかしいでぇ」とか抜かす。
確かに片目が変な方向を向いている。
どこかにぶつけたんじゃない?と軽く流して犬を抱き上げる。
元気が出てきたのか小さい泣き声が聞えるようになる。
ただこの犬、ミーミーって鳴いてたんだよね、犬なのに。
単純だったけど泣き声から名前を「ミー」と名づける俺。
3日目にはちゃんと歩くことができるようになり基地からでて草むらの中で遊ばせたりした。
動きの遅い犬だったけど徐々に動けるようになっていたのは4人とも素直に喜べた。
1週間くらい俺たちの秘密基地と学校と家の往復は続きました。

続くのです。

M-2「小さな指」

2004-12-28 02:10:14 | MOI的メモリアル
小学校入りたての頃だっけかな。
俺は関西方面に住んでおり社宅が立ち並ぶマンションというかそんな感じの団地に住んでたはず。
そこの玄関の扉ってのが重い扉で出入りするのが結構大変だった記憶がある。
こんなのに手とか挟まれたらたまんねぇだろうなぁ・・・とか思ってたがな・・・。

ある時幼稚園時代からの友達のO君と小学校から俺の同級生で友達になったちょっと頭の悪そうなC君と
3人でうちの団地で遊んでいました。
スタージンガーごっことかしてたんでしょう、俺はもちろんジャン・クーゴ、
O君結構細身のいい男(小学生が何を)なのでサー・ジョーゴ、C君変なのでドン・ハッカ(w。
でも文句を言わないでごっこをしてたのだろう、団地の公園で破壊をつくしていた3人。
おやつの時間だったので俺んちに行くことになりました。

俺とO君は幼馴染なのでかなり中がよかったんです。
気がとても合い行動も足が乱れることなく一緒に動きました。
二人ともなんか違和感を感じるんですよ、そう、C君です。
なんかボッケら~~としてトロいんです、俺ら3人で動くと一歩遅れてのたのた付いてくるのよ。
俺たち二人は思いました「こいつ邪魔だ」(今考えると鬼だよな)。
そもそも呼んだ訳でもないのにこいつはその場にいたんだけどね。
「砂場に置いていっちゃおう!」おやつを提供する側の俺としては自分らでC君のおやつを
分けて食べてしまおうという算段でした、O君ももちろん同意し乗ってきます(こいつも鬼)。
特にO君はクラスが違ってC君には義理も友情も何もありません、放置万歳だったことでしょう。
俺こそがC君の味方をすべきなのだが・・・言いだしっぺなんだよね(汗。

んでC君が砂場近くの滑り台に上ったのを見計らって俺ら2人は滑り台の影に隠れました。
ボケてるC君は滑り台の上で笑いつつ降りてきます、降りてきて他の2人がいないことに気が付きます。
「MOIく~~ん、Oく~~ん、どーこー」みたくとろい喋り方だったと思う。
顔は糸目で年中笑顔で欠けっ歯な辺りが特徴だったどこかお多福なイメージなC君。
今思うとかなり可哀想なことをしたと思う、逆の立場なら彼はこんなこと絶対断っていたろうな。
俺がC君の立場なら泣き喚いてその他二人に殴りかかってたはずだ・・・。
そんな幸せないい人を絵に描いたイメージなC君が団地の反対側を向いた瞬間
俺は家の入り口方面にダッシュしました、O君半歩遅れてついてきます。
もちろんC君気が付きません団地の壁際までダッシュした俺たちは影からC君を見守ります。
気が付いてないC君が面白いので2人で観察してました、すぐに帰れば計画成功だったものを・・・。
ニヤニヤしながらC君を見てると突然C君が振り向いたんです、いつもの彼ならノソ~っと振り向くのに!。
やべぇ!気が付かれた!、というかきっと俺ら追われないと面白くなかったんだろうな。
仲間はずれにされたことも気が付かずC君はもったり走ってきます。
俺とO君は足が速いほうだったんで追いつけないのも無理はないがC君があまりに遅いので
団地入り口の水のみ場で休憩、息切れが収まった頃C君が団地横を出てきました。
そこで俺は更に残酷な仕打ちを思いついたんです。

家の玄関直前まで引き付けて締め出しちゃえ!さすがのC君でも悲しい顔するぞと。

子供って残酷だよネェ・・・よくもまぁそんな残酷なことを思いつくもんだ(俺だろ。
O君も我らの友情に煽りを入れたいようで大賛成、あいつは要らないの一点張りです。
結局水のみ場で3人集まってしまいます、C君ニコニコしながら「楽しいネェ」状態。
俺とO君目で合図しながらタイミング見計らって階段にダッシュ!。
俺は自分ちの団地なので2段飛ばしでひょいひょい上がり一気に家の前まで来ます。
O君ちょっと階段が苦手なのかもたついてます、なんとC君O君の後ろに迫ってます。
俺は慌てて扉を開ける準備をします、この扉重いからなぁ・・・。
かーちゃんにばれたら怒られること必死なので静かに事を行わねばならない。
俺は音を立てないように扉を開けました、体をはさみ閉まらないように固定しO君を待ちます。
O君は階段を上りきったようでC君はおにごっこと勘違いしてるのかO君の手をつかみます。
O君計画が丸つぶれになるのを恐れ手をつかまれたまま扉に向かってきます。
俺は早くO君を部屋に引き入れないと!と思いO君の手をつかみ部屋に引き入れます。
O君はC君の手を振りほどくため手を必死に振りますがなかなか振りほどけません。

その時団地内に強風が吹きました。

バターン!

俺とO君は家の中で何が起きたのか状況がつかめません。
うちのかーちゃんが「何今の音!!」って台所から駆けて来ました。
扉が閉まってます、家の中には俺とO君だけいる模様
O君の手を引っ張り合ってるうちに風で扉が打ち付けられて閉まった音かぁ・・・。

「ァァァ・・・・」

??なんかうめき声って言うか泣き声が聞える???
C君かな?まぁ扉厚いし聞えないだろうなぁとか軽く考えます。
俺ら2人は気にしないで家の中に入ろうとしました。
かーちゃんおやつちょーだぁ~~・・・・と母親を見ると
視線は俺らを見てません、玄関を開けようとしてます。
こ、これはまずい怒られてしまう、仲間はずれなんかして他のばれたらおやつどころではない。
でも現実はおやつどころの騒ぎではなかったんですよ。

「何なの!!この血は!!あんたたち何してたのぉ!!」

そしてそこには小さい肉片が落ちてました。
C君の指です。

もうこうなると俺ら二人は泣いてわめくしかできません。
見た光景がそれだけでその後のことは俺もよく覚えてません。
救急車が来たとは思うけど家の中でO君と二人で泣き喚いていた記憶しかありません。
夕方うちの母親はC君の病院に行きご両親に誤りにでも行ってたのか食事の用意もありません。
泣き止んだ俺はO君も親に連れられ帰ったその家で事件のあとを見てました。
玄関は血だらけでC君の指と思われたものはもうありませんでした。
玄関でうめき声を上げていたC君の顔はどんなんだったのだろう。
あの取れてしまった指はくっ付くのだろうか、C君の指は生えてきたりしないんだろうか。
血の後は朝になっても残ってました、母親はその日からその話はしなくなりました。

次の日学校にC君は来てませんでした。

O君もショックでC君の話には触れずにいた。
自分たちのしでかしたことの大きさはかなり子供心ながらにトラウマになっていることだろう。
現実今でも俺は巨大な扉や重量のある扉を見ると指の落ちていた玄関の光景を思い出す。

事件の日から数日後うちにC君とその母親が顔を出した。

どうやら相手の親は子供同士のじゃれあいなのでそんなにご立腹ではない様子。
ただうちの母親が頭下げているのは記憶に残ってる。
その横で俺はC君の顔も見れなくずっと下を向いていた。
でもC君はいつもと同じお多福顔でニコニコしていた。

「指~取れちゃった~けど~くっついたよ~まだ~動かないけど~ほらぁ」

いつもの調子で哂いながら包帯巻いた指を見せてくれた。
くっ付いたんだ、俺はC君の指をちょっとだけ触らしてもらった。
包帯には血がにじんでいる、そんな状態で平気な顔しているC君が凄いと思えた。
指が取れたのに、俺らが指を取っちゃったのに、ニコニコ話してくれるC君がでかく見えた。

「また追いかけっこしようねぇ~」
その日帰り際にC君が言ってくれた。
俺は「ごめんね」としか言えなかった。
でもC君はニコニコしてるだけでなんで謝ってるのかも理解してない顔をする。

その後C君は学校にやってきた。
C君は俺が2年生の頃まで同じクラスで親友ではなかったがそこそこなかの良い友達で終わった。
C君は俺らが仲間はずれなどしていたと微塵にも思っていなく
結局彼に対しての仕打ちは俺とO君の中でのみ記憶されることになる。

その後、O君と俺はあまり遊ばなくなった。
理由は特にないだろうけど元々クラスが違うのだからC君の件は関係ないだろう。
O君はその後2年に上がる前にどこかに引っ越してしまった。
母親に聞けばどこに越したのか分かるのだろうけど聞いたことがない。
彼はその後C君に会えずに話もできずに気まずい状態で引っ越したのだろうか。
現在の彼も大きな扉や重い扉を見てC君の指のかけらを思い出したりするのだろうか。

会社でサーバールームの大きな二重扉を見てC君の指を思い出した。
落とし前つけなきゃいけないのは俺のほうなのに彼が何故指つめないといけないんだろうなぁ・・・。
でかい扉を見ると自分の指を挟んでみたくなったりするMOIだった。

M-1「俺の名はMOI」

2004-12-28 01:58:14 | MOI的メモリアル
---プロローグ---
俺は記憶喪失になった事がある(大マジ。

まぁ引くな、引かずに聞け。
東京に来て専門卒業後フリーターを2,3年していた俺様なんだが
その頃突然記憶が曖昧になってしまうのだよ。
自分の家の電話番号も実家の家の電話番号も忘れてしまうのだよ。
ちなみに自分の名前は覚えていて自分の今までしてきたこととか全て忘却してるという様。
今なんで昔のことが分かるのかって?だんだん思い出したからなのだよ(なんか怪しいけど。
ともかくその時期自分の過去の写真とか記録とか見ると新鮮味があった。
まるで自分じゃないかのごとく、これって俺なの?へぇ俺ってこんなことしてたのかみたく。
またゲームなんかには都合よく始めてやるゲームの状態で買ったあったものが全て楽しいのだ。
けどなんか気力がないみたいな状態になりしばらく自分取り戻しに必死だった記憶がある。

そんな感じで俺は再度そんなことになった時のためにメモリーを残そうと思う。
MOIのメモリーである、松崎しげるの代わりにSHOさんに歌ってもらうことにする(何を。

---プロローグ終わり---(大げさな

まずはMOIの由来だな。
小学校のときからの愛称から使ってるものでもあるんだが
「もいもい」はドラクエでも常に使っていたからな、そっちの方が馴染むであろう。
そしてその「もいもい」にもまた由来がある。
うちの親父方の一族は親族が集まると麻雀してたんです。
バーちゃんがとても麻雀好きだったのかなんだかで親戚が集まると麻雀大会でした。
そんな中ばーちゃんや親父の後ろで見ていた俺は壱索を痛く気に入ってました。
幼少時なので壱筒じゃないのかという突っ込みはナシで。
俺はそれを「むぃむぃ」と名づけたそうです。
2歳半くらいまでほとんど喋らなかったという俺の中で物心付く前の記憶にある言葉がそれ。
それを元に「もいもい」なんです。

・・・わざわざ説明するほどでもないって?いや由来は重要であろう(汗。

小学校のときは近所の勉強できそうな小太りのメガネっ子が(彼は後にビジュアル系バンドを組む)
俺のことを「もいしょ」とか妙な愛称で呼んできて定着、それを気に入る俺も俺。
年賀状に「ああめでたい、byもいもい」と一斉送信するくらい気に入ったらしい。
もちろん目上の人にまでそんな感じで送りお説教を喰らったのは仕方ない事である。
中学で何故か業界用語のゴトク逆から読まれ「しょいも」から発展し「しょり」とか呼ばれる。

たまにチャン付けで呼ばれるときもあるのでオカマっぽい奴に名前呼ばれた時は
もう「何番テーブルご指名です」状態です。
今でも田舎に帰るとそんな呼ばれ方をする時がある、MOI激赤面である。
高校入ってさすがに苗字で呼ばれるが中学から付き合いがある連中はそのまま呼んでくる(汗。
中学からの悪友でなんか高校入って偉くヤン化してしまった奴のクラスに
北斗の拳に出てきそうなアウトローな人がいた(仮にK君としよう)。
頭の色が緑に変貌した中学の時からの悪友(仮にM君としよう)があるときk君を遊びに連れてきたんです。
K君は見た目と裏腹にゲーム大好きでとても優しく気は優しくて力持ち肌な人でした。
Mも俺もかなりなゲーマーだったのでもちろん連れとなります。
俺はもちろん喧嘩が弱いのでK君によく助けられます、Mはよく俺に突っかかってきたのでしょっちゅう喧嘩です。
俺様喧嘩強いのに俺に本気で怒らない欲しいと思ったものでした。
そんな中K君は俺の「もいもい」というあだ名をいたく気に入ります。
理由が「だって可愛いじゃん♪」・・・その目の下にクマがあり人を目で凍らせる顔で可愛いといわれても・・・俺としても微妙な(汗。
そんなこともあり俺は「もいもい」として生活することになったのです。
そして学校を卒業し専門学校ではさすがにそんなこと知る人はいません。
まったりと普通に苗字で呼ばれて卒業していきます。
しかし、その後K君がうちの近所に住んでいるとの情報が入ってきたのです。
彼は東京に単身やってきて仕事場の寮に住んでいました。
会ったときの彼はとてもやつれていて大変な生活をしているようでした。
そしてやはりゲームにとても飢えていました。
ここでMOI君もちろんお勧めゲームを貸してあげます、スーファミの第3次ロボット大戦デス。

・・・彼はゲームに没頭して引きこもっちゃいました・・・。

まぁそんなこんなで再開を果たして酒飲んでたりした中で言われたんです。
「もいもいって名前捨てたらゆるさねぇからな♪」目がマジだったよ(汗。
酒飲んでる席だったので本人も覚えてないことでしょう。
でもそうか・・・そんなに大事な名前なのかと再認識します(思い込み勃発。

それ以来僕はこの愛称を愛してやまなくなりました。
自ら名乗るくらいにお気に入りとしています、ていうか他考えるのめんどくさい。
たまにMOIの後ろにAKGが付くがこれは専門時代のバンドの名前。
適当に音響科なのでマイクのメーカーでいいんじゃん?とかでつけました。
メンバーいわく俺が赤毛だったのでとのことだが不本意なのでそんな理由却下。
余談として赤毛と漢字で書いてカタカナのホモに読めそうということもあったりなかったり。

まぁそういうことで俺の名はMOIなのである。