SuperDuckGooのブログ

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原爆地上起爆

2019-08-07 07:56:34 | 日記
原爆地上起爆を検索すると、でてきます!
ことらの日記でも解説しています。
以下のブログが分かりやすいです。
https://ameblo.jp/jam512412/entry-12165305366.html
広島の原爆が爆発した瞬間の写真

空中ではなく地上で爆発したように見えます。
これは何かの装置の写真ですが、何かを気づきませんでしょか?

この装置の影のことです。
影は原爆が爆発したときに放つ放射線によって出来ました。
もし、本当に高度500メートルで原爆が爆発したというのならば放射線による影はもっと下の方についていなければならないのです。
ところが、写真は真横から放射線を浴びたかのように影が壁に映っています。

以下のブログでは、
https://rakusen.exblog.jp/26284880/

衝撃的な天皇による終戦工作の人工地震と世界初の日本製広島原爆地上起爆成功と北朝鮮でのチッソの原爆開発:アトランタ紙の記事より

2,3年前まではトンデモ話と思われた事が徐々に当時の真相が明らかになるにつれ、ほぼ広島の原爆地上起爆は間違いない事が決定的になりつつある。

「戦前、理研の仁科・武谷原爆はウラン10%濃縮で使えた。
これに水を加えると立派な核爆発になる。実際に核爆発したのは800グラム。」
『日米がもっとも隠してきたかった事は負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことである......』
「広島で使われたのは、このウランの大砲爆弾だった」
「五式十三糎高射砲は広島でも長崎でも配置してあったろう。
これに10%濃縮ウランをつめ水をかけて地上起爆に成功したということだろう。別の見方では沈没前の大和の製造段階の46センチ砲が使われた可能性もある。大和が地上起爆の実験台になったとの記述もあるし、あれだけの巨艦船が真二つに割れることは考えづらい。」

※私見:ウランの大砲爆弾を使ったとすると、発射場所は江田島あたりが海軍の研究施設もあり、戦艦大和の主砲の最大射程離も42Kmより、広島市は十分な射程距離内であり、かつ山のおかげで海軍の呉港にまで影響はないので、候補地として、最適なのかと思った。

ウソで固めた福島原発事故/槌田敦講演会@甲府7.1集会1/3

https://youtu.be/8nqp_nfZzzU
2012/07/05 に公開
2012年「原発いらない!7.1甲府集会」での講演。
反原発の元祖的存在の物理学者・槌田敦さん。福島原発事故の真相について独自の見解で鋭く迫った。
38分

上記の発言の中の「平和利用の濃縮ウランに水を加えるだけで核爆発を起こす」と言う事実は、まさに核爆発寸前までいった日本史上最悪な臨界事故を起こした東海村JCO臨界事故(バケツ臨界事故)でも実証されてしまった。

そして【戦艦大和の原爆実験】のブログからも
戦艦大和自体が実は建造当初から原爆製造工場だった、ことがわかってきており、その証拠隠滅のため、自爆させたこともわかってきた。また、調査したジャーナリストや映画監督なども地上起爆の事を知っていることもわかってきている。

戦艦大和は建造当初から、原爆製造の秘密が明かされてしまうのを隠すため自爆する設計が施され、そのような計画の下、建造後は活躍の場を与えず、終戦近くなって御用済みとされた。
爆煙をよく見てほしい、沈むなら何十発も受けた砲弾で沈没するところ、胴体を真っ二つにしたほどの爆破。これなら砲撃を受けていなくても沈む。
備蓄していた弾薬が炸裂したとしても、このように一度にしかも6000メートルまで噴煙が上がるものだろうか。
「マッチ箱一つで戦艦を爆撃できる」爆弾を最初に実験に使ったのは大和においてであろう。
この威力を見届けた日米上層部はこの劇の最大のイベントである広島・長崎が成功裏に収まることを確信したに違いない。

ただ、上記の戦艦大和の爆破も天皇側による第2次世界大戦に向けての終戦工作としての「ショックドクトリン」の可能性が高い。
 そうじゃないと、なぜ戦艦陸奥は7割引き揚げられ、遺骨も収集されているのに、いまだに戦艦大和は軍部や遺族の反対(費用がかかる、引き揚げは墓荒らし?)で、できないの?

以下のブログでは
http://aitoinori.imagediagnosis.com/2019/03/23/1-12/

次の動画は、チャンネル桜(カルト「生長の家」番組)がうっかり原爆が地上起爆であることをばらしてしまった貴重な動画です。
広島原爆爆発時に、広島上空を飛行機で飛んでいて、爆風に巻き込まれた「本田稔」氏の証言。
「原爆爆発後、一瞬で広島がなくなった。」
「真っ白い火の玉みたいな光る白い雲が上がって、真ん中が赤と黒の少し色がついていて~広島の町がなくなった。なんにもないんですよ。火も出なければ、煙もでない。」
「エノラ・ゲイは見なかった。」
「空中から爆弾を落としたとは思ってないんですよ。下から爆発」
(注;4分40秒くらいまでの視聴で十分です。後半は宣伝のような動画ですので見る必要はありません。)
https://youtu.be/o1dKP3cv9zw
【戦士の証言】元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く Part3[桜H24/8/13]
2012/08/14 に公開
南太平洋の一大拠点たるラバウル(パプアニューギニア)における航空戦や、本土防空戦など、大東亜戦争開戦時より、名機を駆って数々の航空戦で活躍し、名を馳せた本田稔海軍少尉に、当時の様子や御経験について、改めてお話を伺います。最終回となる今回は、広島上空で原爆が炸裂した瞬間に居合わせて目にされた光景や、皇統護持作戦との関わり、空自での訓練中に二人の米国人教官が見せた対照的な反応、退官後のテストパイロット時代にも支えとなった恩師に叩き込まれた操縦の基本と、本領を試されるかのような仕事のエピソード、そして、世界の空で感銘を受けられたという「日本人の誇り」など、飛ぶために生まれてきた稀代の飛行機乗りが語る逸話の数々を お送りします!

まとめます。
1,広島上空を飛んでいたパイロットはエノラ・ゲイを見ておらず、下から爆発と発言。
2,地上から雲・煙が上昇しており、火の粉や破片が飛び散っている。
3,被害範囲は低地に留まる。
4,B-29 ではファットマンは落とせない。
5,小型の起爆装置は当時作れなかった。
以上のことを考えると、広島、長崎の原爆は地上起爆と考えられます。

ことらの日記より