野原通信~スローライフ・ピースライフ

スローでハッピーでピースな暮しと社会を目指したい私の記録と、ココロを動かすできごと・情報をお届けします。

被告は社長1人ではない~尼崎脱線事故

2009-07-09 10:36:33 | 社会
今朝の各新聞トップは、JR西日本の山崎社長の起訴です。

これまで大事故で企業が起訴されることはほとんどなかったので、これは検察がそうとうがんばったということだそうです。
1人でも被告人席に立たせることができる…まずは第一歩ということで評価しなければいけないのでしょう。

毎日新聞が12~13面の見開きで特集記事を組んでいます。
神戸地検の見解や鉄道事故調査委員会の07年6月当時の最終報告を紹介し、編集時局長の若菜秀晴氏による総括的な一文を掲載しています。

若菜氏は、私と同様、偶然あの列車に乗り合わせなかったそうです。
少し、引用させていただきたいと思います。

「私は偶然、難を逃れた。そうでなかった人とを分けたのは運、で済ませていいはずがない。」
私も同感です。自分は運がよかった、とはとても思えません。そういう問題ではないと思うのです。
JRの体質が事故後、大きく変わったという実感はありません。
確かに、尼崎駅の前後での激しい揺れや乱暴な運転は減ったように思います。
でも、それ以外に変わったことは見当たりません。
通勤にJRを使わなくなり、めったに乗らなくなったのですが、たまに乗ってもそれほど変化を感じられないので、乗るたびにとても残念な思いをしています。
事故はこれからもいつでもあり得る、誰もが乗り合わせる、その可能性は今だってあるんじゃないか、そう思わずにはいられない現実があります。

「何が原因か。なぜ防げなかったのか。それを明らかにする作業が、裁判所という公開の場で行われることになった」

事故がおきた当時は、バブル崩壊後に「負け組み」を切り捨て、犠牲にしながら一部で経済が持ち直したかのような錯覚と錯乱に日本中が陥っていたようなときでもありました。
マネーゲームやグローバル競争が過熱し、格差が顕在化しながら、効率が重視されていたと思います。JRに乗ると、ものすごいスピードで列車は走り、揺れが激しくて毎日、嫌な思いをしながら通勤で乗っていたことを私もよく覚えています。
ホームに駅員・係員の姿はなく、時間が来たら、乗客が乗ろうとしていても容赦なくドアを閉め、「危険ですから、駆け込み乗車はおやめください」のアナウンス。
人があふれているホームを電車がスピードをあげて通過する。
家族や友人には「怖いよ、そのうち事故になるよ、JRは事故にならんとわからないんやろうけど。事故になってもわからんかもしれへんけど」ともよく言っていました。

そして、その事故が起こってしまった…。
若菜氏は書いています。
「事故が時代を映す鏡だとすれば、被告席の背後には、私たちの生き方、幸せの物差し、価値観もあると考えるべきなのだろう。」

法廷で裁かれるのは、被告人だけではありません。
法廷は、すべてを社会全体、市民一人一人で共有し、事故が教えてくれることすべてをこれからに生かしていくためにあります。
事故は社会の中の企業組織の仕事と結果のはずです。
たった1人の被告人に、すべての責任と罪を負わせるなんて、あり得ないのです。

遺族は検察審査会に不服申し立てをするそうですが、私も注視していきたいと思います。


こどもたちが、たむろしない状況をつくりたい

2009-07-05 21:14:49 | 社会
またまた毎日新聞ですが…6月27日の「闘論」というコーナーで足立区長の近藤弥生氏と夜回り先生水谷 修氏が意見を掲載していました。

最初、近藤氏の論を読み、「集まってカセットコンロのガスを吸っている子供もいるという話を聞いて、子供の命を守るためにも手を打つ必要性を痛感していた(中略)子供の命に何かあっては遅いと考えるのは当然だ」というあたりで、まあそりゃ~そうだけど、公園から追い出したって、そういう子は別のところで吸ってるんじゃないの?と思いました。

 一見、説得力のありそうな「子供の命」を出してきてますが、「という話を聞いて」とあるように、実際には聞いただけで、たむろしているこどもたちに会いに行ったわけじゃなさそうです。
後段でご自身が引きこもっていた話などを出し、家庭環境に問題が…ということも言っておられますが、区の管理する公園でなにかあっては責任が取れないという、単なる責任逃れに思えてしまうのは、私だけじゃないはず。

 その点について、水谷氏はたむろしない状況をつくらないと別の場所に移動するだけ、と最初からご指摘です。水谷氏は、もしたむろする状況がこどもに危険だと考えるなら、その公園でこどもたちの居場所をつくって話を聞いてあげる場をつくってほしい、と提案されています。
 どんなに荒れている子でも、寂しくて逃げている子でも、ちゃんと向き合って、否定も拒否もせず、馬鹿にもせず、人間として尊重して話を聞いてみれば、その子に必要なこと、持っている力が見えてくるのではないでしょうか。

 私自身にはそういう実践はありませんが、児童福祉の最前線の最後尾にいると、そういうことをいつも感じています。

「モスキート」って名前も嫌ですね!こどもは害虫ってわけ?!
そもそもがひどい発想なわけですよね。
水谷氏の書き出しは「悲しいとしか言いようがない」です。
本当に、そう思います。
夜回り先生は有名になって本も売れてるけど、彼の訴えていることが、肝心のところに届いていないことに、寂しさと悔しさを感じます。

最後尾でも、私にできることを考えたいです。


児童労働をなくしたい!

2009-07-01 11:09:16 | 社会
久しぶりの発信です。
読んでくださった方、ありがとうございます。

児童労働をなくしたい、と常々思っています。
今の日本ではなじみが薄いですが、世界中で小さなこどもたちが危険を伴う労働に
従事しています。性別にかかわらず、性的奴隷・搾取を受けているこどもも多く、
問題だと思っています。

日本国憲法に保障されている健康で文化的な生活をおくる権利は、すべての人に
保障されるべきです。人種や住む場所、生まれた国によって権利がないなんてことは、本来、理屈にあわないことです。

こどもたちに、健康で安心・安全な生活を提供し、良質な教育を受けされることなく労働させることは、その子だけでなく、地域社会も、人類の未来をも奪う、許してはならない行為だと私は思っています。
オンライン署名は数分もかかりません。ぜひ、ご協力ください。

署名数:2,684名(6月24日現在)※署名用紙+オンライン署名

まだ、署名されていない方はこの機会にぜひご署名と、
ご家族や友人、職場、学校などでの呼びかけをお願いいたします!

☆オンライン署名サイト「署名.TV」
http://www.shomei.tv/project-1018.html

☆児童労働に関して、以下のサイトが詳しく紹介しています。
⇒ 特定非営利活動法人ACEのサイト http://acejapan.org/
ご存じない方は、ぜひアクセスしてみてください。


アフガンとペシャワール会と農業用水

2009-06-05 22:46:02 | 社会
毎日新聞に掲載されている記事です。
アフガン:農業用水路完成へ ペシャワール会・故伊藤さんも参加、緑化で10万人恩恵 (→アフガン:農業用水完成へ

中村医師のお話は、私も一度聞いたことがありますが、
人と人をつなぎ、信頼関係をつくり、そこからお互いができることを
模索しながら、新しいものを生み出していく、そんなことの大切さを
考えさせられました。

とても印象深い方です。

そのときは、伊藤さんの事件の前で、水路をつくっているお話を
お聞きしていました。
完成したことは、本当にすごいと思います。

経済的な支援は、確かに必要ですが、こういった庶民の日々の暮らしに
直結する技術支援が有効であり、「友好」を築き、平和を築いていくのだと
思います。
こうした技術が日本にあるということも、誇らしいです。
国内でも、もっと有効活用できたらいいのに!

新型インフルから~リスク管理と集団心理の怖さ

2009-05-21 07:09:43 | 社会
 新型インフルエンザ騒ぎが、少し落ち着こうとしているのでしょうか。
厚生労働省が18日にようやく、通常のインフルエンザと同様の扱いに移行させる、
と発表しましたが、「遅いわ!」と思わず言ってしまったのは私だけでは
ないはず。

そんなに騒ぐ必要があるのか、と最初から思っていました。

そもそも、最初からそんなたいそうなウイルスじゃなさそう、ということは
わかっていたし、海外の死者だって持病のあった人か、病院に行けない事情の
ある人が多かったようだし、ニューヨークじゃ、インフルエンザで毎年2000人も
亡くなっているそうです。

感染を繰り返すうちに凶悪なものに変異するかも…という説があって、それで
日本はパニクったのですが、それだって「かもしれない」であって、
同時に「そうじゃないかもしれない」わけでもあります。
慣れた感じのあるA型インフルエンザだって、絶対変異しないとは限らない
わけでしょ。

周りには、「もう、いい加減にしようよ」「企業は動いてるんだから、
保育所と学童保育は開けようよ」という声がけっこうありました。

でも、凶悪変異を信じている人にこういうことを言うと、「とんでもない、
そういうなめたことを言う奴がいるから、困るのだ」とまるで犯罪者扱いです。
とてもしんどいです。

以下、「そうそう」と共感できる記事を見つけたので、
ちょっと引用させていただきます。

・・・・・・
リスクはゼロにできなくても、適切なリスク対策を適時に取ることでリスクを小さくできる。その基本は、リスクの大きさを測り、それに合った対策を取り、それを関係者にタイムリーに分かりやすく伝えることである。

 リスクが未知でどれほどかが科学的に評価できないということがあろう。その場合には、念のためと、通常よりも層の厚いリスク対策手段を取る。経済的コストとそれから得られるベネフィットの考えも当然入ってくる。

 リスクをゼロに近づけるためと、そこだけに対策や予算が集中することで、他の必要な対策がないがしろになることがあるからバランス感覚が重要だ。また、リスク対策には、社会の無用な混乱や風評被害などを避ける観点も欠かせない。

(中略)

マスクをすると「安心」という心理はよく分かる。しかし、着用することのマイナス効果はどうなのだろうか。マスクはどうしても不自然に見えるし、している人の数が増えるとどうしてもハリウッド映画のようなパンデミック(世界大流行)の事態を連想させ、「怖い」という人のリスク認知を増幅させていないだろうか。

 リスク対策は、それをタイミングよく、的確に行わなかった場合に、実はそのリスクよりももっと大きな2次的、3次的リスクを呼ぶ場合があるから冷静にかつ迅速に実行しないとならない。

 それは、経済的、政治的、心理的なリスクを含む。BSE(牛海綿状脳症)問題では風評被害が起こり、多くの飲食店が倒産し自殺者も出た。鳥インフルエンザが発生した際にも、過剰反応が起き、養鶏所の経営者が自殺に追い込まれてしまった。我々は新規のリスクに対応する際に、これらの苦い経験を生かしていかなければならないのではないだろうか。

「新型インフル、騒ぎ過ぎの代償~マスクが“演出”するパンデミック」
西澤 真理子 *日経ビジネスオンライン2009/5/21より一部抜粋
(http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090520/195272/)

・・・・・・・

こうやって、日本人は簡単に誰かの「言いなり」になるんです。
私は、この現実が怖いです。


農園に向かう道

2009-04-17 06:24:33 | 社会
オリーブ色のカーディガン『verda』の続きです。

2009年夏カタログが届きました。
商品に添えられている説明は、物語です。掲載されている商品たちが、どうやって作られているか、誰がどんな思いで紡いだものなのか…ひとつひとつが手作りですから、すべてに、作り手の物語がこめられています。

また、カタログですが、いろいろな記事が載っています。
この春号で胸が熱くなった記事は、特集の「農園に向かう道」です。

ネパリ・バザーロ代表の土屋春代さんが紅茶の産地、ネパールの一番東の小さな村をたずねた記事です。
ネパリでは農園にかかわりながら、そこに住む子どもたちが勉強して、地域にかかわれる大人になるようにと、奨学金を出しているということで、その子どもたちと農園の大人たちを紹介した記事です。
インドとネパールにはカースト制度が根強く残っていて、子どもたちも生まれた時からその中で生きています。最下層の「ダリット」という階層の人たちに触れられることや、ダリットの人たちが触れた食物や同じ井戸の水を口にしないという人たちもまだ多いそうです。

そんないろいろな社会の一端を紹介されて、最後に
『子どもたちは未来そのものです。世界中どこの国でも地域でも、子どもたちが夢や希望に満ちて育つ、そんな社会をみんなで創りたいと強く思いました』と、記事は結んでいました。

土屋さんは、体調不安を抱えながら、何時間もかけて山奥の村をたずねたそうです。私もいつか、そういう人と人をつなぐはたらきができたら、どんなにいいでしょう。

いつか、きっと。そう、心に秘めて、毎日を大切にしてくことにしましょう。


オリーブ色のカーディガン

2009-04-16 17:49:53 | 社会
このごろお気に入りのフェアトレードの商品は、ネパリバザーロというフェアトレード団体のもの。(カタログ『verda(ベルダ)』)
前から気になっていたのですが、ついに先日、通販で初めて買ってみました(東京のようにあちこちにフェアトレードや自然食のショップがないので、通販はほんとにありがたい仕組みです!)。

買ったのは、オリーブ色の綾織のカーディガン。手触りがほんとによくて、着ていると気持ちがよくなります。
一緒に買った、卵を使わないクッキーもやさしい味で美味しかった!
紅茶のティーバッグはくせがなくて、香りもおだやかなお茶です。
日本では紅茶というと、ちょっと気取ったもので薫り高いブランドが有名ですが、このヴェルダの紅茶は、肩の力を抜いた普段着のお茶という感じです。オーガニックだから、安心して飲めます。

この買い物で私はとても幸せな気持ちになれて、なにより、ネパールの人たちともつながっているということが、満足感を与えてくれます。
自己満足?いいえ。これは、確実に私が、自分でできる「しごと」です。


児童労働って他人事?

2009-03-20 11:06:06 | 社会
“私たちが身近に使っているコットンは、どこで、
誰の手によって、どのように作られているかご存知ですか?

中国に次ぐ、世界第2位のコットン生産国、インド。
そのコットンの種子を作る現場で、児童労働が大きな問題になっています。
特に多くの少女たちが学校へ通えず、
日の出から日没まで長時間、低賃金で働かされています。
また畑で使う農薬により、健康被害を訴える子どもたちがたくさんいます。”
 ~(ACEメルマガより転載)

セメント工場で、危険な化学物質にさらされながら働かされているこどもたちも
いるそうです。

子どもの権利が保障され、すべての子どもが希望を持って安心して暮らせる社会を
実現するために活動している、ACE(エース)というNGOがあります。
主に、児童労働の撤廃・予防に取り組んでいるところですが、さすが情報が
充実しています。
世界の児童労働ニュース

私たちが安く、気軽に買い求めて、飽きたら捨ててしまう商品は
幼い子どもたちの手でつくられたものかもしれません。

学童保育を考える

2009-03-19 21:47:47 | 社会
今日はあるニュースを見て、思ったことを書いてみます。
ポイントは、
「アンケート調査の結果」や「報道」から何を読み取るか。
どの立場から政策を考えるか、立場によってどんな課題が読み取れるか、です。

保育所に通うこどもの保護者が、子育て支援に関するアンケートを実施したという記事を見つけました。
子育て支援施設で1000枚を配布し、6割の回答を得たということです。
行政の子育て支援策7項目から、必要と思う2つを選択する方式で、
“小4以上を対象とした夏休みなどの学童保育を求める声が多いことが分かった”
そうです。

“最も多かったのは児童手当などの「経済的支援」で54・3%、
次が放課後や長期休暇中に小学生の居場所となる「学童保育」の43・4%。
「保育所」25・7%、「幼稚園」20・2%と続き、
その自治体が力を入れている、幼稚園入園前の子と保護者が集う「子育てひろば」
への回答は6・8%で最少だった。”

私はこのアンケートの実物を見ていないことと、回答した人がどういう人たち
だったのかがわからないのですが、記事だけ読むとものすごく疑問が湧いてきました。
私もそうだったのですが、保育所に通わせている頃から小学校1年生ぐらいの時期
は、親は4年生以上にも学童保育がほしい!と切実に思います。
でも、小学校に入り、こどもが実際に学童保育に通い始めて1~2年経つと、
たいていの子は「行きたくなーい」と言い出すのです

「え~、頼むから行ってよ~!」とフルタイムで働く私も私の友達の母たちも、
子どもにお願いしたり、「放課後ひとりでなんかあったらどーすんの!」とか
言って脅したり怒ったりしながらなんとか行ってもらいました。
でも結局、3年生の3月まできっちり行く子は少なくて、早い子は2年生ぐらいで
やめてしまうんです。うちの子たちも3年生の夏休みまでで、やめてしまい
ました
(最後は、夏休みだけは行ってくれ~と「お願い」しましたよ)

親の心、子知らず・・・とはいえ、行動も空間も制限される学童保育です。
学年があがってくると嫌になってくるのは、健全に成長している証でしょう。

不審者の出没やこどもが巻き込まれる事件も後を絶たず、親が心配になるのは
当然でしょう。このアンケートの回答者も、多くは小さい子がいる働く親たちでは
ないかと思いました。0歳児から保育所に預けている親には「子育てひろば」は
不要なものです。その費用を保育料の減免に使ってほしい、とか思っちゃいます。

一方で、働いていない親にとっては天気が悪くても安心して遊べる「子育てひろば」
は今や無くてはならないと言ってもいいほどの施設です。
母親が孤独にならず、子どももゆったり遊べるありがたい場所なんです。

さて、今や学童保育がいらなくなった子の親として私が思うのは、
子育てに必要なのは、こどもがのびのび自由に遊べる地域づくりだということです。
路地に潜んだり、探検したり、公園や放課後の校庭で大人の干渉なく、
自由に安心して遊べる地域を用意してあげるにはどうしたらいいか、
大人たちが真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

「今の子どもは家の中でゲームばっかりやってるし」と嘆いていても始まりません。
ゲームを与えているのも保護者です。家の中でゲームでもやっててもらうほうが
外へ遊びに行って、日が暮れても帰ってこない心配をするより楽だからです。
子どものためと言いながら、いつの間にか自分たちが安心したいから
かごの中へ閉じこめておくという発想になってはいないでしょうか。

税金でできることもありますから必要なことは要望していくべきですが、
市民の知恵と手でしかできないことがあるように思います。
ここまでやります、だからこの部分には予算を組んでください、といった
建設的な提案ができなければ、いつまでも子育てに安心なまちには
ならないのではないでしょうか。

逃げてばかりいないで、私もそういうことをやっていくべきだな、と
思いました。

誰も救えないのはなぜ!

2008-06-12 09:55:51 | 社会

秋葉原の無差別殺人事件。
今朝、ラジオのDJが言っていた。
事件のいきさつが明らかになるにつれ、甘えるのもいい加減にしてくれと
あきれるばかりである、と。

多くの人がそう反応するんだろうな。

無関係の人たちを無残なやり方で犠牲にし、悲しみの底に叩き落した行為は許せない。

でも、許せないのは回りの社会も同じだ。
甘えることができなかったから、甘えてるんだろう。
幸せなこども時代がなかったから、誰も信頼できず、誰からも愛を受け取れず、
人を傷つけ、命を奪うことの惨さを感じることができず、
甘えたかったから殺してしまった・・・

光市の元少年と同じ。
池田小学校の児童殺傷犯と同じ。
死刑にして、事件は終わったのか?遺族の中でも、誰も事件は終わっていないと新聞で読んだ。
こんな事件は二度と起きてほしくない・・・そう願ったのに、
奴の死刑からはなにも学べなかった。

みんな、愛されていなかった。社会が、彼らを社会から追放した。
私もその社会のひとり。

なぜ、掲示板をみたひとたちは管理会社に警告をするのではなく、
「やめなよ!友だちになれるよ!」ってひとこと書かなかったのか。
自分に関わりができるのを恐れたの?
誰かがなんとかしてくれると思ったの?
みんな、何を避けているの?
なぜ、知らないふりをするの?
自分には関係ないと思うの?!

だから、彼は実行するしか行き場がなくなった。
自分を追い詰めてしまった。

彼を許せない。
私の家族や親しい人が、あの中にいたら、とうてい許せない。
なぐって踏み潰して、引きずりまわして・・・・
でも、そのあとは?自分の手で殺すことができたとしても、
そのあとどうしたらいいんだろう?

死刑にはしたくない、と思う。
生きて、生きて、這いずり回って贖罪し、
人を信じ、人から託されることを学んで、命を奪い、奪われることの辛さを学び、
苦しんで苦しんで、
それでも生きなければならない苦しさの中でもがいて、
その中からやるべきことを見つけてほしい。
亡くなった人々に報い続けてほしい。

亡くなった人たちの死を無駄にしないために。
なぜ、こんな目にあわなければならないのか、という苦しみにこたえるために。