野原通信~スローライフ・ピースライフ

スローでハッピーでピースな暮しと社会を目指したい私の記録と、ココロを動かすできごと・情報をお届けします。

福知山線の事故から3年

2008-04-24 11:10:33 | 社会
JR西日本の福知山線脱線事故から3年が経ちます。

もう3年。まだ3年。

実は私、あの列車に乗る予定で乗らなかったひとりです。
たまたまだったけど、ダイヤでいうと2本前、
快速列車でいうとちょうど1本前に乗って大阪の職場に出勤しました。
それに乗らなかったら私は絶対、あの事故の列車に乗っていたはずでした。

こうやって書いているときも、
職場のパソコンからネットのニュースで事故の第1報を読んで、
血の気が引いた感触が、つい今しがたのことのようによみがえります。

前から、JRの乱暴な運転や、粗雑な客あしらいには嫌な思いをしていました。
通勤ラッシュ時間帯のホームにも駅員はいなくて、いつホームから人が
転落しても不思議ではない、いつ事故が起こるかとヒヤヒヤしながら
毎日、乗っていました。

それが・・・・
私はたまたま乗らなかっただけ。
乗っていたら、どうなっていただろう。
どうしただろう。
2両目、3両目、駅のエスカレーターを駆け下りて、よく乗っていた。

へんな話し、自分が居合わせなかったことに後ろめたさのようなものまで
感じてしまい、苦しくてしばらくJRには乗れませんでした。
駅まで行って、涙が出てしまい、引き返したこともあります。

あれから3年。
家族の支えで、今はJRにも乗れるようになりましたが、
JR西日本の企業体質は、なにも変わっていないことを感じます。

そして、事故関連の新聞記事を読むのは辛い。
そんなJRを利用しながら何もできない自分も辛い。
辛いけど、二度とこんな悲惨なことが起きないよう、私もJR西日本の存続を
許している社会の一員として、向き合って、このことを伝えたいと思います。

事故にあわれた方々が、社会の中で忘れられたり、孤独に思われないためにも。


スーパーチューズデイより岩国選挙

2008-02-08 01:12:13 | 社会
きくちゆみさんが、ブログに詳しく書いておられるので、ぜひそちらを
読んでみてください。
きくちゆみのブログとポッドキャスト

地方の生活は、地方の市民が自らの意思でつくりあげたい。
岩国市民の皆さんの、ぶれない思いを応援したいと思います。

そう言えば、この問題に関して気になっていたのですが、
大阪府知事になった橋下氏が、先日、自治体が国政に文句を言うとはなにごとだという
主旨の発言がありました。
地方自治体は、国の言いなりでいろとでも?
こんな発想の人が府知事なんて、信じられませんね。
頭がおかしいんじゃないかと、びっくりしました。

まあ、タレント活動で年間3億円を稼ぐ人ということですから、
一般的な市民生活の感覚はもはやないのかもしれません。
自分のこどもが5人いようと、10人いようと、その子たちは、
他所の子とはちがうのでしょう。
そもそも、弁護士「先生」だし。

こどもがいるのに、石畳のまちをつくろう、なんて発想も
どうかしてんじゃないかと思う。
だって、石畳のところってベビーカー押しにくいんだよ、
赤ちゃんだって、脳みそがおかしくなっちゃう。
車いすも、杖をついている人も、歩行がしんどい人も歩きにくい。
おしゃれでいいって言っても、ハイヒールだってひっかかって
嫌なんだけど。
発想が貧困でミーハーだなあ、ってあきれます。
まあ、石畳の横に、フラットな歩道でもつけてくれるかな。

それはともかく。

市民生活がなにものかによって脅かされる、不利益を被るなら、相手が国だろうと
アメリカだろうと、断固としてそれを排除し、市民を守るのが自治体の仕事ではないでしょうか。

「国で決まっているからしょうがない」
それで、これまでどれほどの苦しみがあったことでしょう。
あきらめることなく、抵抗し、市民生活を守ることこそ、首長、自治体の議会、
地方公務員の務めだと思います

橋下さんが、早くそのことに気がつき、改められることを願います。

大阪の光と影、みてきました!

2007-12-13 13:05:00 | 社会
大阪の光と影、みてきました


先日、「軍都・大阪 戦争の被害と加害~砲兵工廠跡を歩く~」というイベントに参加してきました。
大阪城公園の中に、昔の軍需工場の史跡などがあるのはなんとなく知っていましたがずっと大阪で育ったのに学校でも習ったことがなくて、興味津々で出かけました。

「工廠(←こうしょう、と読みます)」とは、
旧陸海軍に直属し、武器・弾薬など軍需品を製造した工場、ということで要は軍隊に必要なものを国営の工場でつくっていたところということのようです。

太平洋戦争の終わりまで、東京と大阪に大きな工廠があって、東京は主に小銃器とその弾薬を製造。
大阪は、大砲や戦闘機を打ち落とすための高射砲、戦車や軍用トラックなど大形のものもつくっていたそうです。

自前の技術がない時代、最初は外国のそれらを輸入し、研究して自前で鋳型からつくって製造できるようになったとか。
「まねっこ」が得意な日本の技術開発力は、大阪の砲兵工廠でも発揮されていたようです。

軍需工場といっても日中戦争など戦火が国外だったり、太平洋戦争の末期ほどずーっと切羽詰っていたわけではないので、多少ひまなときは、民用のものもつくっていたそうです。
たとえば、水道管。
河川から水を引き込む大きな水道管を鋳造できるところは他に無く、日本中の多くの水道管が大阪砲兵工廠でつくられたそうです。
大阪市の水道管も、大きなものが残っていて、大阪城壁に沿って設置されている一部分が見ることができます。今でも現役!大阪城から西側はほとんど、この水道管からの水を使っているそうですよ。
そういったものが、まだまだ各地で残っていそうです。

さて、
大きな工場ではたくさんの人がはたらきますから、その家族も工場の周辺地域に集まってきます。
それで、学校もできるし、商店もできる。安くてうまい食文化の発展も、労働者が多い町ならではのことだったんですね。

工場では技術を身につけて、職人がたくさん育っていきます。
退職した人が、その技術を生かして地域で事業を起こし、町工場の発展に貢献します。
東大阪とか、堺に小さな工場が多く、しかも技術力が高いのはそのためだそうです。
砲兵工廠のまわりの工場では、兵隊が使うベルトから靴下までも製造していたため、繊維・縫製関係の工場や商店も発展しました。

戦況が厳しくなり、工廠内だけでは製造が追いつかなくなると、民間工場にも製造させるようになります。そこでも、技術や効率はどんどん高まっていったんですね。
というわけで、どこの企業もかつては戦争と無関係ではいられなかったけど、
そのことはどこの企業も触れていません。

大阪は商人の町、と思っていましたが、実は技術も大変高く、
物売りの後ろでたくさんの産業が栄えていたのです。

大阪が最も輝いていた戦前。
戦争は、人の暮らしや技術の発展も促しました。

講師の三宅先生は、大阪城内に残る工廠があった跡を丁寧に説明しながら、
砲兵工廠があったからこその技術・産業と大阪の発展のことをお話し
くださいました。
大阪砲兵工廠からは、多くの兵器や兵隊の装備が戦場へ送られていきました。
それらによって傷き、苦しめられた町・人々がどれほど多かったことでしょう。
三宅先生は、そういうことは良いとか悪いとか、だけじゃない、
そのことを認めていくことからしか、先へ進められないんじゃないでしょうか、
ということを言われました。

何をどうせよ、ということはわかりませんが、私自身は知らなかったことが
多くて、学校でもっとこういうことを教えてほしかった、と思いました。
こどもの頃、日本史、特に近代史はめまぐるしいし、つまんない、なんて
思っていましたが、とんでもない。
自分とつながっていることが、よーくわかったと思います。
歴史を学ぶ、ということの意味と重要性をあらためて思い知ったような
気がします。

晩秋の大阪城公園は心地よく、静かで、とても平和でした。

当時の塀の上で日向ぼっこのねこ
  
旧陸軍の施設跡

わくわくすること、企画中!

2007-11-30 13:25:46 | 社会
朝はどんより曇っていたのですが、お昼前から暖かな陽がさしてきました。
だいぶ寒くなってきましたが、ベランダで新しく買ってきたガーデンシクラメンが、
風に揺れて気持ちよさそうです。

さて、2年前からフォトジャーナリズムについて一緒に活動・勉強している仲間たちと
来年の2月に大阪で講演会を企画しています。
今回は宇田有三さんという方にきていただけることになりました。
数年前に朝日新聞などにもフォトエッセイの連載があったので、読まれたことがある人も
多いと思います。

今日は、気持ちよさそうなベランダを見ながら、その企画案づくりをしていました。

テーマはビルマ(ミャンマー)の過去と現在と私たち。

日本の私たちとビルマの関わりってなんでしょう?
「ビルマの竪琴」という映画も2作つくられていて、3年ぐらいは日本の占領下にあった国。
マスメディアの情報は、断片的な情報とイメージしかもたらしてくれません。
日本の占領期から今に続く、ビルマの長い長い混乱・苦しみと、私たちとのつながりを、
一緒に考えられたら、と思っています。

宇田有三さんは、ビルマ、中米、オーストラリアを中心に軍事政権下の人々、
先住民族を中心にドキュメンタリー写真を撮影し続けてこられました。
スモーキーマウンテンではたらくこどもたちの写真など、ウエブでたくさん公開されています。
(宇田さんのHP→http://www.uzo.net/indextop.htm

どんなお話が聞けるか、今からわくわくしています!


憲法9条ってどう思いますか

2007-08-23 00:25:27 | 社会
現行の日本国憲法についてどう考えていますか?
なかでも、戦争の放棄と戦力の不保持を定めた「憲法9条」についてどう考えていますか?


「日本のこれから」~考えてみませんか?憲法9条~2007年8月15日放送
というNHKの番組の質問です。
ショックだったのは、冒頭の数人の市民へのインタビュー。

ある女性は、私と同年代ぐらいで、こどものいる人。
彼女は「このまま(の憲法や自衛隊の在り方)では、自分の国の安全も守れない。自分たちのことは自分たちで守れるようにして、こどもの世代に渡したい」と。
びっくりしました。こういう人が、多いのかな。
この人はこどものことが大切で、こどもを守りたいんだろうけど、その自分のこどもやこどもの大切な人たちが戦場でなにかを「守るために」人を殺し、あらゆる生き物の暮らしを破壊し、自らもそのために死んでいく、あるいは死んだほうがましだと思うような一生の苦しみを受ける、そういうことを考えたことがないのでしょうか。

もうひとりは、派遣ではたらく20代の青年。
定職に就けず、アルバイトや派遣の仕事でつないでいる暮らし。自分の存在が社会の中で必要とされていないような気がして、不安と虚しさを感じている毎日。
彼は、このままの社会では、どうしようもない。社会も自分たちも行き詰っている。自分たちのような存在も社会にやがて必要とされなくなる。もし9条が改定されて、戦場に兵士として行くことがあれば、もし死んでも「英霊」として死ぬことができる。英霊ってよくわからないが、このままで自分が死んでも社会はなにも関係ない、でも英霊なら・・・と。

鳥肌がたちました。このような社会になりつつあるのでは、と米国をみながら恐れていましたが、もうなってしまっているのです。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――
【日本国憲法】 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――


小田 実さん逝く

2007-08-01 10:17:27 | 社会
参議院選挙の翌朝、小田 実さんの訃報。

胃がんを公表されてからたった3ヶ月ほど。
とても残念です。

参議院選挙の結果を、これからの社会の進む方向に活かさなければいけないと思います。
小田さんほどの行動力はありませんが、あきらめず、私にできることを続けていきたいって、いつものことですが。


選挙、選挙!

2007-07-30 00:23:57 | 社会
参議院の開票速報を見ながら。

民主党が大幅に議席を伸ばした。これは大変化。

今日、娘に選挙行ってもなんにも変わらないんじゃないの、と質問されて
「そんなことないよ~。みんなが行けば、変わるんだよ~」と自信たっぷりに返しました。

結果は、すごい、すごい。
娘に「ほらね」と言いましょう。
ただ、すごすぎて他の野党や小さい党が吹っ飛んでしまったのがやや残念。
他方へ一気に振りきると、そのあとのコントロールはとても難しいのでは
ないだろうか・・・と、やや懐疑的な私です。

いつだったか、自民党がやっぱり野党に第1党を譲ったときも、マスコミは社会全体がものすごく盛り上がった感じを、盛り上げてくれたけど、野党に大きく振られた針は、勢いづきすぎたのか、残念ながらすぐにもとに戻っていったことは忘れません。

なにがなんでも、民主党にがんばってもらわなければ。
落選した人たちの分の責任があるのです。民主党には。


池田小事件から6年

2007-06-08 12:55:40 | 社会
池田小の事件から6年。各紙で報じられているけど、読売新聞が一番詳しいみたいです。
付属池田小事件から6年、「祈りと誓いの塔」で追悼式典
・・・

遺族代表の塚本さんのメッセージが代読されたそうです。
読売新聞の記事からは、
~「子どもたちの安全を守ることは私たち大人の責務。『生きる』ということ、『命の尊さ』を伝えることも、子どもを守る大切な心の教育であり、私たち大人の課題」とのメッセージに、出席者は事件の教訓を継承することを誓った。~
とあります。

犯人は、超スピードで死刑になり、あっという間に執行されました。
彼はなにを残したかったのか。

あの頃のことを思い出します。
裁判が始まる頃だったと思います。
大阪・梅田の繁華街で池田小の保護者たちが中心になって署名活動をしておられました。
「犯人を極刑に!」ーつまり、死刑です。死刑を要求する署名を集めておられたのです。
お願いします、と差し出された署名用紙に私は、どうしても書けませんでした。
ごめんなさい、と言ってその場を逃げるように去りました。

だって、子どもを傷つけられた親の気持ちはよくわかります。
今でも涙が出るほど、胸が痛みます。

でもね、彼にも親がいて、彼だって小学生だったときもあって、
誰だって好き好んで殺人鬼になりたかったわけじゃなくて、
どうしようもなかったわけですよね。
ニヒルなポーズをとっていたそうだけど、それだけ社会に絶望していたはずで、
その社会をつくっているのは私たち。あなたたち。

簡単に、殺されたから、傷つけられたから、殺していいのか!

塚本さんのメッセージに
「『生きる』ということ、『命の尊さ』を伝えることも、子どもを守る大切な心の教育であり、私たち大人の課題」
とあります。

こどもを守るのは、堅牢な校庭のフェンスでも、監視カメラでも、居場所がわかるケータイでも、不審者がいないか監視するような地域のパトロールでもなく、
厳罰に処分する法律でもない。

ひとりひとり、どんなに課題を背負って生まれてきた人も、
等しく尊重し、尊厳をもって生きていける社会を実現すること、
そのことが、哀しい犯罪者を産み出さない社会になり、誰もが安心して生活できる地域になることにつながる、と私は思っています。

「事件の教訓」・・・得た教訓はなんだったのでしょう。
あれから、いっそう、暮らしの安全・安心は脅かされているように思います。
私たちが背負った課題は、なお重く、解決には長い道のりのようです。

山本たかしさん-いのちのメッセージ

2007-05-22 04:22:59 | 社会
参議院議員の山本たかしさんが、再選を目指している。
腰の重かった民主党も、ようやく公認をだしたそうだ。
絶対に当選してほしい。

山本さんのメルマガ「蝸牛のつぶやき」5月20日付

山本さんは、なんでやねん、と思ったらともかく動かなあかんよ、と教えてくれています。
動いて、具体的にどうしたらいいだろう、と一生懸命考えて、人に伝えなければ何もかわらないけど、動けば変わるかもしれないやないですか、と。

山本さんはともかく政策に結び付けないと、社会は変わらないとも教えてくれました。
今、国会議員だから特にそのメリットとか効果をもっと市民が使うべき、と実感すするのだろうと思います。

安倍政権で進んでいる、福祉、教育、憲法などを変えていこうという動き・・・他人事のようにのんびりした市民たちに、歯がゆい思いをされていると思います。

今、私にできるのはこうやってつたない思いを書くことだけ。
でもこれが日々の一歩となり得ることを信じて。

すっかり、「朝」の時間になってしまいつつあります。
今日もがんばろう。

「赤ちゃんポスト」はこうのとりのゆりかご

2007-05-21 09:26:34 | 社会
ちょっとだけニューじゃなくなった話題だけど、大切に考えたいから
遅くなりましたが
「赤ちゃんポスト」に3歳のこどもが預けられた!
という話題を書いておこうと思います。
(マスコミの話題性だけに振り回されてはいけないと思うのね。
タイムリーに反応できない自分の怠慢への言い訳だけじゃなく、忘れてしまうことは、大切なことを見失うかもしれないと思うから。)

このニュースを見たとき、親はどんな思いだっただろうと考えました。

報道によると、誰と来たの?どうやって来たの?という質問ににこにこと答えた、とありました。きっとその子の親御さんは、とてもとても大切に愛情を注いで育てたのではないかと思うのです。
大人への信頼感がちゃんとあるんだと思うのですね。それは虐待を受けた子どもの反応とはちょっとちがうんじゃないかと思うんです。専門家ではありませんが、人として、幼少期に必要な愛情をきちんと受けてきたのではないかと思うのです。

そうすると、今回の件はよほどのことがあっての決断だと思うんです。
安倍首相には「想定外」!
そりゃ、あなたのようなおぼっちゃまには想定外でしょう。暮らしに行き詰って、大切なこどもを手放すなんて、想像もできないでしょうね。なんていやみをいいたくなります。児童相談所に相談すればいいのにって、できればしませんよねえ。

少子化担当相の高市早苗は「子どもを産み育てる親の責任を軽視するな」と発言。あなたがそんなこと言うから、こどもを産み育てる自信がなくなっちゃう親が何千人と出てくるのよ。

直後、児童相談所に相談したのに、結局1歳の子を死なせちゃったっていう若い二人の事件が報道されました。
相談したんですよ、安倍さん。

3歳の子の親は、相談してもあれこれ調べられて、説教されて、結局自分たちが傷つくだけということがわかっていたから、ああやってはるばる連れて来て、こどもの人権を大切に思ってくれそうなところに託したんだと思います。

その気持ちを思うと、胸がいっぱいになります。

この子の命は救われました。
「こうのとりのゆりかご」の面目躍如ではないですか。
こどもを年齢で差別するなんてできません。

政治を司る方たちには、弱い立場・弱い気持ちの人たちの状況への想像力と配慮、思いやりをもってほしい。いえ、もたなければならないと思います。
甘くするとつけあがる、という意見がありますが、そういう人たちもいることは確かです。でも、それで守られるたくさんの命があります。

今の私たちの社会に必要なのは他人の痛みを思いやり、支えあうことを誰もが身につけることではないでしょうか。それを「親学」などといって、親になった人たちだけに押し付け、家庭で怠慢をしているから社会全体が悪くなるという論調で攻め立てるのは、社会の責任放棄に他なりません。

社会に未熟な親をいたわる包容力があれば、どんな状況でも出産した女性はこどもを愛おしく育てることができるはずと信じます。そういう生物だから。
それができなくなってしまうのは、その人だけの責任でしょうか?
怠慢でしょうか?愛情がないのでしょうか?

そこまで追い込まれた責任は、私たちの側にもありませんか?

追い込むような発言しかしない「政治家」と名乗る人たちを代表に選んでいる、私たち市民の側にも責任はありませんか?

つらいときに、踏みつけるのではなく、支えあって新しい一歩を踏み出せる社会にしたい。
強く、強く、そう思います。