【miyoshiya record】上村 吉弥 ブログ【kamimura kichiya】

美吉屋・歌舞伎俳優・上村吉弥(かみむら きちや)出演予定・記録

産経新聞 2010/2/3 上方歌舞伎 28年ぶり部屋子誕生 8歳の上村吉太朗

2010-02-04 | その他★
産経関西(リンク切れ)



「舞台に出ると楽しくてしょうがない」という上村吉太朗(中央)をはさんで、
片岡我當(左)と上村吉弥(右)
=大阪松竹座(澤野貴信撮影)(写真:産経新聞)
■片岡我當「踊りの筋いい。品もある」


上方歌舞伎 28年ぶり部屋子誕生 8歳の上村吉太朗

2月3日15時38分配信 産経新聞


上方歌舞伎に28年ぶりに“子役”が誕生した。
上村吉太朗(かみむらきちたろう)、8歳。
一般の家庭に生まれ育ち、上方歌舞伎のベテラン、片岡我當(がとう)の
「部屋子」になった小学3年生。
「舞台に出るとワクワクする。将来は絶対、歌舞伎俳優になりたい」という。
吉太朗の活躍は、上方歌舞伎再興の明るい材料になりそうだ。(亀岡典子)

吉太朗は平成13年、大阪生まれ。岸和田市内の小学校に通う3年生で、
地元のだんじり祭の太鼓をたたくのが好きという男の子だ。

歌舞伎に興味を持ったきっかけは、祖父が上方歌舞伎の女形、上村吉弥と
知り合いだったことから。吉弥の舞台を見に行くうち、「歌舞伎っておもしろい。
自分もやってみたい」と思い、日本舞踊のけいこをするように。
19年5月、大阪のワッハホールで行われた吉弥の自主公演「みよし会」で、
「国訛嫩笈摺(くになまりふたばのおいずる)・どんどろ大師の場」に
上村吉太朗を名乗って巡礼お鶴の役で初舞台を踏んだ。

同作は、幼いころ別れた母お弓と娘お鶴が再会するという物語で、
吉太朗のお鶴のけなげさが観客の涙を誘い、
以降も「霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)」
(大阪松竹座)の石井源次郎など子役の大役を次々と演じた。

勉強熱心さと「歌舞伎俳優になりたい」という強い希望が認められ、
昨年12月、京都・南座の顔見世で、吉弥の師匠である我當の部屋子に。
「時平の七笑(しへいのななわらい)」の稚児・松乃丸で披露された。
今年1月には松竹座の「仮名手本忠臣蔵」に子守娘と丁稚(でっち)松吉で出演した。

吉弥は「熱心で、お芝居の雰囲気が大好きな様子。舞台度胸もある。
ただ、いったんこの世界に入ったらすべてが修業」と話す。

もともと関西は御曹司や名門の出身でなくても、
素質があれば抜擢(ばってき)する土壌がある。
我當は「吉太朗は踊りの筋もいいし品もある。
小さいころから歌舞伎のにおいを身につけるメリットは大きい。
精進して、将来は上方歌舞伎を背負う存在になることを信じている」と期待する。

「もっといろいろ勉強して、女形も立役(たちやく)もやれるようになりたい」と
目を輝かせる吉太朗。次の舞台は2月10日から14日まで京都・南座で上演される
吉弥主演の歌舞伎鑑賞教室で、初舞台と同じ「国訛嫩笈摺」の巡礼お鶴を演じる。



【用語解説】部屋子
一般家庭の子が幹部俳優の楽屋に預けられ、舞台の芸や行儀などを仕込まれる立場をいう。
一般の子役と違って幹部俳優になるための英才教育を受ける。関西で部屋子が誕生したのは、
現在花形役者として活躍中の片岡愛之助以来、28年ぶり。
愛之助は昭和56年、人間国宝だった十三世片岡仁左衛門の部屋子となり、
その後、十三世の次男、片岡秀太郎の養子になり、上方歌舞伎のホープとして期待されている。

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2012年1月 浅草花形歌舞伎
「吉田屋の太鼓持豊作」



   
   

管理人より…

ご観劇の皆さまから驚きの声が多かった
今年(2012)正月の新春浅草歌舞伎「廓文章 吉田屋」が
来月11/7にWOWOWで再放送されます。

お見逃しなく!

吉太朗くんの「吉田屋の太鼓持豊作」

   
   
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