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日々のスピリチュアル日記です。

過去世の精算の追加―2

blogを書くに当たり、引っ掛かるワ―ドを記してしまうと閲覧デ―タが削除されてしまい当然ランキングに上がる事が出来ず、他部所に反映されない。

しかし、自己の霊的対処記録に関しては曖昧な表現を極力避けたいので、人様が参考になる部分は神々様の御縁で繋がると信じている。

日記に記す過去世の精算は、誰にでも必要な事では無く、今現在の私が先に進む為、又今世の私の課題として記憶を引き出しても自己で自覚して理解対処する必要があって出現している物だと思う。

何度も前進を阻まれ、他人頼みに出来ない根深い事をプロセスを踏んで自己クリアする事で学べと言う神からの諭しなのだと思う。

前回記した件に取り掛かり、祈りながら龍族であった頃の私の記憶を探ると、
「悲しみ、無念さ、怒り」
が強く、まだ大人の龍になっていないのか体つきは小ぶりで「怨み、憎しみ」の激しい念は感じられなかった。
たった1回の癒しでは「憎しみ」の念を読み取れなかったかのどちらか私にも解らない。
祈りで無念の感情を理解した後に、動画を利用して過去世の癒しヒ―リングをすると、
「泣く、叫ぶ、嗚咽する、体がバタつく」
こんなにも強い念を抱いていたのかと、自身でも驚く反応だった。
「繰り返さないと駄目だな」が私の感じた事だった。


思い返せば、先月頃から
「これは絶対に許す事は出来ない」
「同じ事を繰り返されたら堪らない」
「この縁から解放されたい」
そうした現在の生活で思う事が起きていた。
頑として相手を受付無い思いが強くなり縁から去ろうとしていた。
同時に霊的な元となる私の過去世の強い原因念が浮上してきて、現世での根深い嫌悪の念と一致した。

個人的な事なので、ツラツラ書いても「馬鹿な」と思われるだけとは思う。

しかしこの過程を踏む事の利益は、無意識に相手に「怒り、憎しみ」の念を送っている事を止める事になる。
過去世におこった共通の記憶を持つ対象が今世に存在する事を知っているなら、尚更この私発信の念を止めないと、対象に迷惑な上、私自身も悪念から自由になれない。現世での縁解消は、この私の念を止めてフラットにしないと成り立たない。そう感じた。

生き霊を飛ばす者は無意識。
過去世であれその加害対象が今世にいれば、これだけの「念」は無意識に作動するのだろう。

この「悪念」を私が解消する事で、他者を寄せ付けない程の「怒り、憎しみの念」から、欲によって裏切り死に至らしめた加害者側も解放される。

正直、被害者はこちらなのだから、己の事は己の命で勝手に解消して欲しいし、解放の負担を被害側でする事の不満がある。

しかし、「悪念」を消して「許し」で縁をフラットに変えて我が身を自由にする事が何よりも大切な私の今世の課題の一つなのだと思っている。

完全とは未だ言えない「悪念」の癒し、「許し」「手放し」を暫くは続ける。





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