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日々のスピリチュアル日記です。

障害者に思う事

御無沙汰してすみません。

私のスマホが虹の橋を渡ろうとしている。
「📢頑張れ私のスマホ👯💥」は通用せず、アマゾンの預りboxが開けられなくなり青ざめて諦めた。

宥め、いとおしみながらなんとか入力。
数日後には新しいスマホへ。
半導体不足は、田舎のスマホショップに負担をかけているようだ。



《本題》
「障害者」この言葉は親や本人に受け入れ難いのは、直面した当事者でしか解らない事なのだと思う。
私だったら・・・
私が親だったら・・・
そう置き換え想像するのが怖い。
壮絶な苦労の体験が無いから、障害を語る資格は本来私には無いとさえ思う。
それでも、私は魂として知り得た事と今後も彼等を貴重な存在と位置付け、魂レベルに置いて自分の立場が下にあると思う意味を記しておきたい。

嘗て、発達障害児童の放課後預り先で働いた際、障害を受け入れられない親を見る機会があり、外部からは口を挟め無い、家族内での子に対する過剰な負担を見せつけられた。
また、上手に寄り添う親の姿を知り頭が下がる事もあった。

悲しいのは、父親が理解を示さずに子にノ―タッチのまま離婚、
若しくは普通学級に無理に押し込む、
母親も子の為と過剰な注意を浴びせ学習ドリルの1日量まで管理し強要。

逃げた父親は、ある意味御自身も発達障害、しかしそれにさえ気付いていない。

普通学級にねじ込まれた子は途端に笑わなくなり、汚い言葉を発し始め周りの子から受ける違和感排除被害に対抗し始める。

母親からの監視と過剰勉強を課せられた子は、繊細故にお漏らしを起こしやすくなり、その流れで余計に怯え不安を深める。

特別支援学級に入れる事の間で「何とか普通の子供と同じ環境に我が子を」との親の葛藤は人として解らないでも無いが、脳機能問題を的外れな対応で当たれば一番苦しむのは子供。
親が障害の詳細傾向を理解し、子の言い分から何に不安や不満を感じているか受け止め、共に消化し対応をしないと子供は更に苦しむ様に見えた。

上手な親は、学校行事でパニックを起こす子供の不安を払拭する為に、行事の行われるホ―ルを事前に親子で下見にならし訪問していた。

施設の小旅行でファミレス食事の際は、担当宛に短い手紙を子供に持たせ、外食で起こす拘り傾向の注意を知らせ、むやみな制止をしても無駄を知らせてきた。
本当に頭がさがった。

何れにしても、どの親御さんも一生懸命に頑張っている。

話は飛ぶが、嘗てカトリックとして生き学んだ際に障害を持つ事が、魂としてどんな存在であるかを知らされた時があった。

ルルドの泉を御存知だろうか?詳細は↓

ルルドの聖母 - Wikipedia

全ての人に癒しの奇跡が起こる訳ではないが、こちらでのミサ(礼拝)に参加した女性の話がある。
車椅子にのり、話す事も不可能な肢体麻痺の少年の近くでミサに預かった女性が、ミサ後に神から知らされ理解した事。
「この子は、私の罪を償っている」

個人だけでは無く、少年は見知らぬ人々の為に。
そう神は教えてくれたと・・・。

カトリックでは、他人の罪を自身の苦しみにより償う事が出来る。十字架の死によってキリストが成した事と同じ。
カトリック以外でも、人は集合意識の為に苦しみ関与する事は、御理解頂けると思う。

この償う事により現世の善悪のバランスを悪に強く傾かない様に、自ら人生を自らの意志で神に捧げるのが修道者、修道女、修行僧なのだと思う。しかし、表向きは称賛されても、その生活や生命は保証されており、務め以外に素に戻れる自由な時間は当たり前にある。

一方、障害者はその障害から逃れられる時間が与えられない。常に不自由さの檻に閉じ込められ、克服しようとすれば常人の何倍もの努力や葛藤を強いられ、素の状態ですら肉体を脱ぎ捨てる事も出来ない。

たとえば常人が骨折ギブスをしただけで、不自由さを感じ、完治すれば「祝い事」さえするのに・・・。
このギブス状態が終生続くとなったら受け入れ難いのでは無いだろうか。
そして、外部から見えない、聴覚、視覚、記憶のコントロールが出来ない、気付けていた事が気付けなくなる。
終生そうなると診断されたら・・・どう感じだろうか。


神の語られた事で、
「死後、貴方達は彼等(障害者)に膝まずき、感謝するだろう。」と

別の宗教でも、
寝たきりで語る事もコミュニケーションも取れず、時折空を見つめていた娘さんが成人後に亡くなり、不憫に思った親が「何の為に産まれたのか」と相談された話しで、
霊視により、娘さんは美しい天女の様な姿で現れ幸せそうにしていた。
そんな話もあった。

こう言った障害はある意味世の乱れや悪に傾き過ぎた時代に、壮大な世の浄化に貢献する事を目的に産まれてくる魂なのではないかと、御当人には申し訳ないが・・私はそう受け止めている。

そして発達障害として産まれてくる人は、魂として本来否定される魂存在ではなく、人々に今の社会が積み上げてしまった負や闇に気付かせ、人の心の奥にある愛を問いただす写し鏡なのではないか・・・とうなだれながら、申し訳ない様な気がしながら思っている。

その障害を素直な心で受け止め、生きる為に間断無い努力を続け、苦しむ発達障害者は多い。
私はやはり、彼等が時代のかどきに悪に傾き過ぎた善悪のバランスを助け、集合意識に善なる貢献をしている様に感じるし、死後はカトリックで聞いた様に、彼等の前でひざまづき感謝するのだろうなと思っている。

現実の世、社会生活の中で、高齢者を重荷と扱う風潮が蔓延る昨今・・・そして、高度障害者を殺害した事件もあったが、こういった事は善悪バランスには大変な損失であると私は思う。

答えを突き詰め求めるとしたら「愛」なのだと思う。
創造主が「愛」であるのだから、分け御霊である私達は、今「愛」を問われていると思う。
言うのは容易いが、社会の成り立ちの中で「愛」を示す事はとても難しい。

全ての発達障害者に同じ思いを向ける事も難しい。全ての障害者を持ち上げるつもりはない、対面すれば私自身が鬱になりかね無い人もいる事は現実だ。
認知の歪んだ人、しがみつく様な依存性のある人、DV、虐待・・・直視できない問題を抱えた人もいる。

それでも素直で努力し続ける人、ましてや子供、幼児には、「愛」をもって見る事を務めるよう創造主は望んでいると思う。
我が身を反省しながら、難しい事と感じながら、
その苦しみを生き抜いた魂に、耐えしのんだ日々の積み重ねのご褒美として、発達障害が軽減され創造主の愛で癒して欲しいと私は祈っている。神は拒否為さらなかったし、以前夢を見た巨大な大仏様が私を指に乗せて下り「やってごらん」のはげましの言葉を今も覚えている。
ただ一つ、帰ってきた答の注意事項は。
「カルマを除いた分だけ」

学びの邪魔は出来ない。

私達、先に生きた者達が止める事の出来なかったケミカル、放射能、農薬等の皺寄せが発達障害を加速させたと思っている私は、「無意味かな?」と折れる時もあるけれど細々とこの祈りを続けていく。

現在進行中の○引き被害にも、答は「創造主の愛」だと思っている。
被造物は創造主を超える者では無い。
被造物が支配する事はあり得無い。
現在の個々の命を保証する事は出来ないが、彼等に対する答えは創造主が出すと思う。

生命も地球も愛なる創造主に帰るべき物であり、慈しみ生み出した者を守る力を持つのは「創造主の愛」

私は深くを語る立場には無いけれど、今一度全ての人が生まれた意味、そして真我を知る為に、創造主の愛に触れられる様に願い祈っている。

創造の愛=宇宙・・・と思っている。
三位一体の父
大日如来
天御中主
が、宇宙に繋がる道と思い祈っている。
創造主の愛がどんな形となって現れるかは解らないし、猶予のある間はただ、ただ、その愛を地に満たして頂けると信じて祈る。
解っている事は、思い上がった被造物が神の分け御霊の命、魂を奪い支配する事は、その罪の重さ故に自滅するであろう事だけ。(私は生きてそれを見る事は出来ないけれど・・・。)


******************

もし、感じるところがある方々には是非御協力を頂けたらと思います。
どうか、子供達、次世代の為にもお祈り下さい。

キリスト教、仏教、神道の神々様に願い祈っています。御自身の信じる神様にロザリオ、真言、祝詞を通して創造主の愛で日本を、広くは地球を満たして頂ける様願って頂けたら幸いです。

アインシュタインの娘への手紙を最近よく目にするようになりました。 まだ御存知ない方は、お時間がある時に読んで頂けたらと思いリンクを貼っておきます。




2回分程の長文になりました。
次回は新スマホが馴染むまで、少しお休みになる予定です。



日々のスピリチュアル日記です。

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