まなび

人間は生涯発達が可能な生き物、の一言に力を得て学び続けていきたいと思う管理人のブログです。

メラノーマ!?

2007-10-31 | 健康・ダイエット
下の子が、「お母さん、こんなものが指に付いて取れないんだよ。」と親指を見せた。
それは、黒くて禍々しいものに見えた。聞くと、つい最近出来たという。確かに生来のものではないし、最近までそんなものは出来ていなかった。
さっそく皮膚科を受診。
待つこと1時間強。この科は、アトピー性皮膚炎の子どもなども来るので常に混んでいるから、初診の受付終了時間すれすれに受診したのでこの程度の待ち時間で済んだ。
が、診察時間は数秒だった。
彼の指を診た瞬間に医師は、「血豆ですね~」とあっさり一言。
血豆ですか?こんなに黒いのに。
私の反応を見て気の毒に思ったのか、医師はルーペを取り出して、形だけの再確認を行ってくれた。
「やっぱりそうですね。もしも、2週間くらいしてまだ残っていたらまた受診してください。」
ん~
やられた。
血豆だったとは。
診察料の1870円を支払って、すごすごと病院を後にしたのでありました。

帰宅後、その話を長男にすると、
「それって親バカ?」
ん~ それは、用法が違うかも・・
別の意味でまたまた落ち込む私。

が。
とりあえず、ご無事で何より、ということではありました。

ワイン漬けの2日間

2007-10-28 | 日々つれづれ
類は友を呼ぶ、といったらいいのだろうか。私の周りには酒好きが多い。
お酒が嫌い、とか飲みたくない、という人だってかなりいるはずなのだけれど、友人たちはいけるクチの人が圧倒的に多い。

そうして、この週末もまたまたまた飲んでしまいました。2日間で2人でワインを3本近く空けました。その前にビールも飲んでます。
台風のせいで「飲んでるしかない?」ような天候ではありましたが。
帰宅途中で雪化粧した八ヶ岳連峰は見られたでしょうか?せっかくの信州だったのに酒浸りになってただけだったかも知れませんね。
でも、大学卒業後にそれまでの勉強してきたことを生かせる職に就けた話など聞かせてもらったことは何よりでした。
私もがんばらないと・・

旧交をあたためる

2007-10-21 | 心理学の勉強
通信大学を卒業後も勉強会で知り合った方たちとの交流は細々とではあるけれど、続いている。
私も少し落ち着いた時間が持てるようになってきたので、学友と再会した。
大学での学びを今後の生活にどう役立てていくかという情報交換や、在学している方とはスクーリングお話を聞いたり、履修の話も出来るのが楽しい。
履修の話をしていると、ああ、自分の学びはまだまだ浅かったのだなあと振り返った。
次の学びに関して、具体的なイメージはまだないけれど、よい刺激をもらって帰ることができた。

また、社会人学生ということもあり、教員、看護師、産業カウンセラーなどの資格をお持ちのメンバーだけあって、みなさんとっても「聞き上手」です。
人様の話をお聞きするのは、けっこう苦行だったりする。
ちょっとした世間話の中でも、日ごろの経験が生かされているものらしい。

雪の降る前にでもまた再会を果たしたいと思った。



ぽんぽこりん♪

2007-10-19 | 食べる・飲む
お好み焼き道とん堀(チェーン店)に行った。
ここのあいさつがふるっている。
「いらっしゃいませ。お客様○名様お越しです。ぽんぽこりん♪」
「はい、いらっしゃいませ。ぽんぽこりん。」
と出迎えてもらい、
オーダーの際には、
「○○と○○お願いします。ぽんぽこりん♪」
「「○○と○○オーダー入りました。ぽんぽこりん。」
と、いう具合。
こちらは笑いをこらえるのに必死だったが、他のお客を眺めていると別段可笑しくもなさそう。
みなさん通い慣れてるのかな。
味は、普通だったけれど、価格はリーズナブル。
ちょっと肩に力が入ってきたかな、なんていう時にはまた行くかも知れない。
帰りのあいさつは普通だったのが残念。
「ありがとうございました。またお願いいたします。ぽんぽこりん♪」
なーんて言われたら明日にでも行くかもしれないのに(嘘)。

それにしても、店員さんは大変ですね。
慣れたらなんでもないのかな。
「仕事、ですから。ぽんぽこりん♪」

穂高温泉

2007-10-17 | 日々つれづれ
冷え込んできたので、温泉にでも浸かって温まりたいなぁなんて思って出かけた先がここでした。
林の中に車を停めて大浴場へ。1人400円です。
温泉に浸かってみると、肌がつるつるします。
PH8.8の弱アルカリ性の温泉だそうです。
湯温はそれほど熱くはなかったのですが、とっても温まっていい感じ。
外には無料の八面大王足湯もあります。
私の住んでいるところも温泉がたくさんあるのですが、穂高温泉はなんとなくのどかな感じで行くとほっとします。
少し距離があるのですが、お気に入りの温泉になりそうです。

血液検査の結果

2007-10-16 | 健康・ダイエット
4年ぶりにした献血。その間に血液検査もせずにのほほんと過ごしてきたので、結果がどうなのか気になっていた。
届いた結果を見ると、検査項目はすべて標準値内に収まっていた。この結果は、前回の検査結果も記載されているのがありがたい。
4年前と比べると、肝機能を示す数値(GPT・GOT・γーGTP)が上昇気味なのと、血小板数が減少気味なのを除いては、大きな変化は見られなかった。
この結果だけで健康状態を推し量ろうとするのは無謀だろうが、大きな体調の変化はない、と見てよいのだろうか。体重の変化はありましたが・・

父の病気からの教訓は、健康を過信してはならないし、健康管理は、個人だけの責任ではなくて、家族やパートナーの変化にも関心を持つことが重要だということであった。
自分ひとりですべてを背負いこむのではなくて、大切なことは互いに連絡や報告をすることによって病気に対する予防的な役割を果たすことが期待できる。
そのためにまずするべきことは・・やはり定期的に検診を受けることです。

筋肉の凝り

2007-10-15 | 健康・ダイエット
事故後のむちうちは完治しないまま、なかなか接骨院に行かれずにいたが、やっと退院後の父も落ち着いてきてくれたので、治療を再開した。

むちうちの中でも私の症状は軽度の部類。痛みは、上を向いたときのものが主で、首を左右に曲げたり、振り向いたりすることは支障なくできる。
このままにしておいても命に別状はなさそうなので放っておこうかとも思ったけれど、きちんと通院すれば、かなり痛みは軽減するのだと聞いたので通院を続けることにした。
今回の治療は磁気シャワー、ローリング、マッサージ、歪みの矯正など盛り沢山のものだった。
腰痛や肩こりの自覚症状もなく、接骨院のお世話になったの今回が初めて、といってもよいくらい。なので、身体の痛みに関する知識は皆無の私。
首の痛みも、事故で「首に」衝撃があったからだろうくらいに思っていた。
けれど、いろんな施術を受けているうちに、首の痛みがとれてこないのは、首にかかった衝撃のためもあるかもしれないけれど、腕や肩の凝りが強いためもあるらしい。
確かに、腕や鎖骨周辺をいじられるとかなり痛い。
首が痛いから、首の周りだけどうこうすればよい、というようなものではないらしい。
筋肉は、いえいえ、生体は精密に作り上げられているものなのだと改めて実感した次第。
ふだんほぐすこともなく使い続けている筋肉をほぐす機会を与えられたことに感謝。
なんとか時間をやり繰りして、完治をめざしたい。

マコモダケ

2007-10-13 | 食べる・飲む
最近よく耳にする素材のひとつです。
その名称からきのこ類かと想像していましたが、イネ科の植物だそうです。
外観は、若竹に似ています。
たくさんいただいたので試食してみました。
癖のない味、と聞いたので皮を剥いてから生で少しかじってみます。甘みがあって少し青臭いです。
薄く斜めの輪切りにして、油揚げと一緒に炒めてからだし汁を少し入れて短時間煮て、醤油をたらしていただいてみます。
ちょっと芋みたいな食感です。甘みもあってどんな料理にでも合いそうです。
味噌汁の具にもなるかも。
食べやすさと料理のしやすさから、かなりはまりそうな食材です。


自分の家

2007-10-11 | 日々つれづれ
父が退院した。正確には、仮退院、という扱いらしい。
胃全摘・肝臓の3分の1切除という8時間に及ぶ大きな手術に耐え、術後の食欲不振やつかえ感などと戦いながらの入院生活だった。
それに加えて、本人や家族を苦しめたのは、「家に帰りたい病」。
誰しも家は恋しいものだろうけれど、父の場合はそれがかなり強かったように感じた。
五分がゆもろくに口にできず、何かにつかまらなければ歩行が出来ない状態にも関わらず、「家に帰る」と言って聞かなかった。見舞うたびに荷物を手提げ袋に詰めて待っている。
気持ちがわかるだけに、この「帰りたい病」と付き合うのは母も私も大変だった。
医師や看護婦さんも巻き込まれて迷惑された筈。
帰宅時には、父のわがままを受け入れて迅速な対応をしてくださった。
いろいろ感じたこともあるけれど、お世話になったことについては感謝している。
きっとまた近いうちにお世話になることだろう。
その時には私ももう少し病院との付き合い方を学んでおいたほうがよさそう。

ともあれ、家に帰った父は、炬燵にもぐりこんでのびのびと休んでいた。
短い間にいろんなことが起こったから、疲れも大きいことでしょう。
今は目の先のことだけを考えてゆっくりしてください。

QOL

2007-10-09 | 健康・ダイエット
QOL(quality of life)は、生活の質・生命の質を意味することばです。
福祉の現場や医療の現場などでよく耳にしたりします。
そして、当事者の自己決定と濃い関係にある語である、といってもよいかもしれません。

ふだんは、「自分はどんなふうな時間を過ごしたいのか」だとか、「どう生きるのか、生きたいのか」といったことはあまり意識せずに暮らしている人が多いのではないでしょうか。何より、生きていくための糧を得ることが当面の最大の関心事になりますし、今の暮らしを楽しむことがいちばんですから、quality of lifeについては、あまり意識にのぼらないようにも思えます。

けれども、困り度のすくない生活からその度合いが高まってくると、quality of lifeは大変重要な意味合いを持つ語となってきます。
我が身に置き換えて考えてみると-何らかの原因で介護が必要な状況になったり、医療現場で治療方法の選択の必要に迫られたときなど-最終的にどんな選択をするのか、ということに大きな影響を及ぼすのは、自分の死生観なのではないでしょうか。
どう生きて、どう死んでいくのか。自分で決められない部分もたくさんありますが、死生観があるのとないのとでは、自己決定に大きな差が出てくるような気がします。そして、この自己決定がquality of lifeに大きな影響を与えるように感じています。
平均寿命が延びた現代の人類は、かつての人類から学び得なかったこのような事柄について子孫に伝えていく役割を増やされたのかも知れません。