まなび

人間は生涯発達が可能な生き物、の一言に力を得て学び続けていきたいと思う管理人のブログです。

嫌われ松子の一生

2006-06-30 | 日々つれづれ
今日は映画のサービスデーだった。ダ・ヴィンチコードか嫌われ松子かどちらにしようか迷ったが、ダ・ヴィンチコードは上映期間にまだ余裕があるので次回に見送った。とか言いつつ観ずに終わりそうな気もするけれど。

嫌われ松子の一生。
老年期に味わう地獄でいちばん辛いものは何かと聞かれたことがある。
それは「孤独」なのだそうだ。
重い現実をコミカルなタッチで描いているが、やはり重いものは重いのだと泣き笑いをしながら観た映画だった。


心理学実験実習

2006-06-28 | 心理学の勉強
この科目は必修科目のひとつで難関と感じている人も多いのではないだろうか。
昨年から初級の採点基準が厳しくなったようだが、今年は一段と厳しくなっているらしい。
あまりにも不合格のうわさを聞くので、今年度の初級のスタディガイドを見た。ずい分親切になったな、という感じがする。昨年度はもっとあっさりしていた。
これだけ不備レポートなどについて書いてあるということは、そこに書かれていることをクリアできていなければ、容赦なく落としますよという宣告でもあるのだろうか。

今年は中級のスクーリングがある。こちらも採点基準が厳しくなるのだろうか。
もともと得意な科目ではないし、エクセルの操作もそんなに得意なわけではないので不安になってきた。
レポートの書き方についての本はいろいろあるけれど、日本心理学学会で出している『執筆・投稿の手引き 2005年版』は具体的でわかりやすい。
ネットでも公開されているのでありがたい。
http://www.psych.or.jp/tebiki.pdf
スクーリング前に基本的なことをおさらいしておこう。

こどもの虐待

2006-06-27 | 日々つれづれ
このことが社会問題として取り上げられて久しい。
残念なことにその数は減らないようである。
「今の親は!」という単純な非難はこの問題の解決には無意味である。
子育てには一定のスキルが必要で、最初の子を育てるときには、親の過去の育児経験(自分のこども時代にお子守をした経験があるかどうか)は侮れない要素であると思う。
現代は少子化が進んでいるため、こども時代に自分より小さな子(赤ちゃん)の世話をしたことのある親は減っていることだろう。
赤ちゃんから幼児を育てるのには知識より経験のほうが役に立つことが多い。
自分自身を振り返ってみると、上の子を育てていたときには今になってみると自分でも呆れるほどの不器用さであった。この子が育ってこれたのは、周りの人たちの手助けのお陰も大きい。
下の子もいろんな人のお世話になって育ってきた。
そんなわけで、私は子育てについて云々することは出来ない。
ひとつだけ感じることは、
「○○すべき。」
「○○でないと・・」
「そんなことをしていると、こどもがかわいそう!」
といったありがちな言われ方や見方が親を追い詰めているのではないかということである。
周りが感じているよりは、親は頑張っているのではないだろうか。
虐待の問題はこどもに同情しているだけでは解決しない。

はなせばわかるお年頃?

2006-06-26 | 卒業研究
私は近眼なので細かい文字を見るのはそんなに苦にならない。
お米にも字を書けると思う。
でも・・
近眼者にも平等にやって来るらしい。「離せばわかる」が・・

私は卒論絡みで、浄土真宗の開祖である親鸞聖人について学ぼうとしている。
今はまだまだ入り口で、親鸞聖人の年表作成にとりかかったところである。
年表はネットでも拾えるのでそれでおよその流れは掴めるのだが、それだけではやはり物足りないだろう、ということでパソコンに明るいうささんのアドバイスをいただいて年表の作成にとりかかった。
・・が、親鸞聖人は90歳という当時としては大変に長寿の方であった。
それは素晴らしいことなのであるが、年表を1枚のシートに収めようとすると、文字がとても細かくなる。
そんなわけで、離せばわかる・・ということになる。エクセルで年表を作成しているのだが、文字が細かい。少しずつ進めていくしかない。

歴史についてきちんと勉強したことはないが、平安末期から鎌倉時代という親鸞聖人ご生誕からご往生までの時代はなかなか興味深い。
自分の関心のあるテーマに行き着くことが出来るように目をしょぼしょぼさせながら、やっていこう。


健康管理誓約書

2006-06-26 | 心理学の勉強
スクーリング申込者は、7月10日までに「健康管理誓約書」を大学に提出することになっている。
気付いたら、もう26日!プリントアウトして提出できるように準備した。長3形の封筒に入れて提出するらしい。封筒があったかな・・

卒論の中間発表の申し込みの締切日(30日)も迫っている。
どうしようかな・・まだ迷っている。

勉強会参加

2006-06-25 | 心理学の勉強
1回はよその地区の勉強会に参加してみたいと思っていた。
そこの地区の幹事さんは卒論を履修しているのでお話も聞きたいと思って参加した。
参加者は和気藹々とした雰囲気でそれぞれの課題に取り組んでいた。
実験の被験者依頼などもあり、懐かしいなぁと思いながら協力した。
卒論の話はあまりゆっくりお聞きできなかったが、とても真剣にしっかり取り組んでいらっしゃることだけは伝わった。
私はサボりすぎてたな・・
とにかく、卒論ノート作りだけはして脇を固める作業をしていきたいと思う。
とりあえずは年譜作りにかかることにした。歴史のお勉強♪
先生から紹介された文献も集めたままになっているので1冊ずつ目を通していかなければならない。
頑張っている人に会うとよい刺激をいただける。
私も頑張ろうと思った。

レポートの書き方

2006-06-24 | 日々つれづれ
『セックス ボランティア』河合香織著(新潮社 2004年)

この本を読んでいて、レポートの書き方について学ぶところがあった。

内容は、障害者へのセックス ボランティアを障害者サイドとボランティアサイドからの取材によって人間にとっての性とは何かについての考察を行っているものである。
この本を読んでいて何となく薄っぺらい感じがした。それは、障害者の性を取り上げ、丹念な取材がされているのにもかかわらず、そこに登場する障害を持つ人たちの性格描写が表面的なものにとどまっている感じがしたからである。その人の外観や服装などの描写や話し方の描写にとどまっているものがほとんどである。
それはこの著者の人間観に基づくもののようにも感じられた。
障害者というと何か特殊な人たちのような印象を抱きがちである。例えば、脳性麻痺のイメージとか、知的障害に対するイメージとかが漠然としたものではあれ存在するであろう。しかし、当たり前のことであるが、脳性麻痺と一言で言ってもいろんな性格の人がいる。外交的な人、内気な人、怒りっぽい人などなど。知的障害を持つ人もそうである。障害を持ったことによって性格の変わる部分もあるが、本来その人の持っている気質はそう簡単には変わらないものだと思う。そのへんの著者の洞察の浅さが物足らない感じを与えているように感じられた。

しかし、障害者の性というこれまでタブー視されてきたテーマに果敢に挑み、精力的な取材を続け、1冊の本にまとめあげた著者に敬意を表する。
障害者の性を語ることで、障害者と介護者の関係について触れている点もこのルポの成果だろう。

レポートは限られた字数で求められている課題について書き上げるものであるが、テキストの要約を求められている課題を除いて、自分の視点が定まっていないと書けないものもある。また、重要なキーワードについての掘り下げ方もレポートの出来栄えに影響する。

この本は筆者の視点、研究者の立ち位置についても学ぶことのできる本だった。
増刷を重ねた本の宿命か、古書価格が急落しているのがなんだか悲しい。といいつつ、私も安い価格で入手してしまったが。

Contrex

2006-06-23 | 日々つれづれ
飲めば痩せられるというのが売りのミネラルウォーターである。
かなり前から流行っていたらしいが、遅れている私は初めて飲んでみた。
味は・・「にがり水」に似ているかも。
これも痩せるということで飲んでみたが、効果は???だった。
エネルギーの収支が合っていないから太るのだから、楽をして痩せたいというのがそもそもの間違いか。

因幡の国に、(第四十段)

2006-06-22 | 徒然草を読む
 因幡の国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かゝる異様の者、人の見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。

「異様(ことよう)の者」は「変わり者、異常者」と注釈がある。
栗しか食べない娘さん、栗鼠のようなお顔立ちだったのかな?

何事も入りたゝぬさましたるぞよき。(第七十九段)

2006-06-21 | 徒然草を読む
 何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。
 よくわきまへたる道には、必ず、口重く、問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ。

この段は、「能ある鷹は爪を隠す」という諺に通じるものがあるような気がする。
兼好法師がこれをわざわざ書き記しているということは、「よくわきまへたる道には、必ず、口重く、問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ。(よくよく事情を知り抜いている方面のことについては、必ず、物の言い方を慎重にして、人が尋ねない限りは発言しないでいるのが立派なのである。)」このことの出来る人が少なかったからなのではないだろうか。
慎み深い人、そうでない人、いろんな人がいるから賑やかに学び合えてたのしいのではないのか、とも思う。