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チンチラらいおんみるく&ひめ&ビックスに目覚めたママの部屋

★おっとりみーたんとすばしっこいひめたん
2にゃんのほのぼの毎日覗きにきてね★ママもビックスクーターデビューしたよ

本牧 帰郷

2010年06月01日 21時56分14秒 | ふるさと・横浜・本牧・etc


先日もお話したように
最近肘が痛くてしょうがない私。。。

そうだ!!
前回の時のようにお墓参りに行ってみよう~

って事で今回は横浜の千代崎町に有る
母方の方のお墓参りに行って来ました (*^_^*)

ナビで見ると40分も有れば着くはずなのに
有料道路の降り道を間違えて倍の時間が(ノ)'ω`(ヾ)

何たって今まで自分で運転していった事が無いので
緊張緊張(。>0<。)

やっとの事でお墓参りを終わらせて
地元のお友達とご飯を食べて

帰りに思い出の場所を散策してきました



私が3年間通った大鳥中学校



何だか立て直して有るし都会っぽくなっちゃって~




毎朝校門を入った所で片思いの好きな子を待ってるのが日課だったな~



そして本牧に向かう途中の山手警察



昔は警察警察してたのに今はお洒落な建物になっちゃって
同じ公務員でもこんな所で働けるおまわりさんは羨ましいね~ (*^ー^)ノ



そして今ではもう無くなっちゃった我が家の跡地



このあたりに小さな食堂がありました
私は食堂の娘だったのです<(^∀^*)ゞ



この駐車場に車を止めてちょっと辺りを散策

裏の路地にあるロイヤルホテル






そういえば来るまで忘れてたけど
こんなホテルがあったっけな~
よく外人さんやテレビの撮影(大追跡)も来てたっけな・・・





こちらは昔から本牧では有名なゴールデンカップ
まだ有るんだ~♪d(⌒〇⌒)b♪





私が高校生のときに毎日降り立ったバス停



バス停は勿論綺麗になっちゃってるけど
回りの家並みも殆ど変わっちゃって
浦島太郎気分ですね~





そそこの電信柱は家の目の前にあったもの
我が家の住所でした~

昔はとっても広い町に思えてたけど
この年になって歩いてみるととっても小さく感じちゃって。。。

暫く本牧を散策して想い出に浸り
又ドキドキの帰り道を必死に帰って来た私でした (b^-゜)






そして2にゃんは暖かくなって来たせいか
並んでお外見物が多くなってきたこと



帰ってきたにゃか~?   お帰りなさ~い




そろそろご飯かにゃ?      まだ明るいけど・・・


ついこの前安いカーナビを購入した為お試しで行ったものの・・・

私の使い方が悪いのかナビの性能なのか
100%信用は出来ないのよね

現地で子供の頃通ってた保育園を検索したんだけど
同じ場所を何度もクルクル回っちゃって~
(それも超狭い道!!)

そっちよりこっちの方が近道でしょう(゛ `-´)/みたいな・・・
疑い深い私にはカーナビだけを頼るのは無理そうです



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本牧 横浜 大追跡

2009年06月03日 14時48分39秒 | ふるさと・横浜・本牧・etc

 

もう30年も前のドラマである【大追跡】って覚えてる方は居るでしょうか?

私の住んでた本牧は色々なテレビの撮影が来ました

そのなかでもこの【大追跡】は本牧辺りを中心に毎回撮影が行われておりました

【大追跡】
悪がはびこる犯罪都市に集められた5人の刑事達
それは確実に検挙率を上げなければ廃止されてしまう組織なのだ・・・

そんなフレーズから毎週始まった刑事ものドラマ
加山雄三・藤竜也・沖雅也・柴田恭兵・長谷直美
とてもスピード感のある面白いドラマでした

 

そしてある日我が家の裏にこの撮影隊がやって来ました
殆どの撮影がこの近辺
本牧・元町・中華街・伊勢崎町・山下町・横浜西口などなど

本牧は電車が通っていないので移動手段はバスのみ(市電も無くなってしまって)
当時高校1年生だった私達は丁度夏休みに差し掛かった事も有って毎日のように
この撮影隊を大追跡したのでした

 

 そして私は沖雅也さんの大ファンになったのでした

 
 ★ここは山下町の材木座

バスが大通りまでしか通ってないので海辺に入るまで歩いたな~

 

 

 
 ★これは友達、今でも仲良くしてる大親友

 

 

  
 ★ここは伊勢崎町

人ごみの中なので撮影はやっぱり大変、それでもくっつくくっつく

 

 

 
 ★ここは山下町マリンタワーの裏

とっても早朝だった気がします

 

 

 
後ろには彼の白いベンツが見えますね

こうしてファンの人とくっついて写真を撮ってくれる人だったから
フレンドリーで人気があったんだろうな~

お金が無い私達は昼も取らず追っかけをしていたら
沖雅也さんが「お腹へってないか?」って自分達がお昼に行った
お店のシュウマイをおすそ分けしてくれたり~
その時は涙が出るほど嬉しかったな

 

 

 
 ★そして恭平ちゃん。ここは横浜西口

かれは凄い売れっ子だったのでいつも車の中に篭っていたような
無口でちょっと近寄りがたいオーラがあったかな
でも可愛くて格好良かった~
そんな彼ももう50歳過ぎてるんだよね

 

 

 
 ★そして藤達也さん ここは中華街

この方怖そうに見えますが凄く優しいのです
このメンバーの中では優しさダントツです
藤さんには色々お世話になりました
毎回毎回来る私たちのことを不憫にでも思ってくれたのか
夏の暑い時にはエアコンの効いてる藤さんの車で休ませてくれたり
お腹が減ってるといえばおすそ分けしてくれたり

あるときは横浜での撮影が終わり東京の世田谷の撮影所に行くという時に
お金も行き方も知らない私達を藤さんの車に乗せてくれて
世田谷の経堂まで連れて行って貰った事もあります
帰りも待ってれば送って行くと言われたのですが
夜遅くなってしまったので自力で帰って来た記憶もあります

藤さん本当に色々どうもありがとう
何十年もたった今頃遅い御礼で申し訳なく思います

 

  
 ★これは中華街、最終回に来た若き日の阿藤海さん 

この頃は全然名前も分からなかったけどこの後
段々人気が出てきましたね~

 

 

そしてやっぱりトリはこの方でしょ

 
 ★中華街にて、若き日の松田優作さん

やっぱこの方は他の人とオーラが違いますね
回りの人たちもピリピリムードで撮影をしておりました
でもおっきくて凄く男らしい人だったように思えました

 

こんな感じで私の横浜での青春時代は始まったのです
まあその後は普通の女の子のように色々有りましたがね。


横浜、本牧、こんないい町に住めてホントに良かったと思います
もしタイムスリップでも出来るならきっとこの時に帰るでしょう。

 

私の故郷の思い出でした。
(何だか記憶の薄れていくのが怖くて今回文にしちゃいました
はぁ??私アルツ入っちゃうかな~~)

 

 
 そんな当時のわたしで~す
 今は??載せられませんf^_^;

 

 

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★そしてこの沖雅也さん京王プラザホテルから飛び降りてからもう26年
「オヤジ涅槃で待つ」と言う言葉を残してこの世を去りました
当時は綺麗なままでいたいなどと精神的にも病んでいたのでしょう
今月6月28日が彼の命日です
皆さん時々は彼のことを思い出して上げてくださいね (*^ー^)ノエイエイオー


本牧 フェンスの向こうのアメリカ

2009年05月31日 21時42分18秒 | ふるさと・横浜・本牧・etc

 

 私の生まれは横浜の本牧。
 小さな定食屋の娘として20歳位まで本牧で過ごしました
 今は本牧はとてもお洒落な町として栄えてますが
 当時はホントに田舎。

 その頃は家からほんの数メートルも行けば米軍基地(外人ハウスPX)が有りました
 外人ハウスはみんな緑の芝生で大きな平屋の一軒や庭にはビニールプールや
 ブランコやら私達庶民からするととても憧れの世界。

 その二つの国を隔ててるのが高さ約2~3メートルはあろうと思える鉄のフェンス

 
 (こちらは山側から見た外人ハウスかな)

 

 毎日中学校に通う時は本牧側の大通りの外人ハウスの前を通って
 1キロ近くある鉄のフェンスの横を歩いて学校に通いました
 途中、白人の子供達とフェンス越しに慣れない英語の会話をしたり
 名前を聞きあってお友達になったり
 でも決して日頃は中には入れない場所だったのです

 

 
 (とても怖かった記憶が残ってます)

 

 ただ夏になると毎年日米合同の盆踊り大会が3日間続けて開かれました
 PXには外人用のボーリング場や映画館、スーパーにバーなどの店がありました
 そして盆踊りはPXの大きな駐車場でとても盛大なお祭りです

 今では見られないほどの大きな輪が2重3重にもなって日本人アメリカ人が
 浴衣を着て皆で盆踊りです
 駐車場の回りのお店はみんなPXの人やらアメリカの人達
 このときばかりは日本では食べれないホットドッグやアメリカンドッグ
 手つくりのチョコレートケーキも美味しかったな~

 
 (見つけました、この駐車場。写真は大分昔かな)

 

 そして秋になるとハロウィンがあります
 その時だけは日本の子も外人ハウスの中に出入り自由
 紙袋を持って各家々を回ります

 「Trick or Treat?」とホントは言うのでしょうが
 私達が現地の子から教わった言葉は「チェカチェリー」
 そういうと中からアメリカ人のお母さんとも思える人達が
 玄関で待ってる子供達に片手にいっぱいのお菓子を
 袋に入れてくれます

 今となってはあんなに広い敷地を真っ暗な中よく迷わずに
 戻ってこれたのだと不思議に思います
 子供心に年間を通してこの二つの行事は
 とても楽しかったのを覚えております

 柳ジョージさんの「yokohama」と言うアルバムにある
 フェンスの向こうのアメリカと言う歌は今でも聴くと涙がこぼれます。

 そういえばHIROMI郷もここに雑誌の写真を撮りに来た事が有ったようで
 私は数日過ぎてこの話を聞き非常にショックを受け
 彼がもたれ掛かったと思われる鉄の棒をナデナデした記憶も有ります

 そんな外人ハウスも今はもう無くなり
 今で言うマイカル本牧と言う町が出来たのです

 その後私にとってこの横浜で生涯忘れられなくなる思い出となる事がおきたのです。

 次回に続く。

 ★みったんひめたんを見に来てくれた方私の話でゴメンなさい
  何だか急に心の中に残っている本牧(故郷)を文に残したくなりました
  やっだ~私老い先短いのかしら。゜(゜^∀^゜)゜。

 

 

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