もしも

2020-07-08 23:02:00 | Weblog
友人がヘンテコな質問をしてきた。
友人「ねぇ、もしあんたの人生を好きなところから、今の記憶をもったまま、やりなおせるとしたら、いくら払う?」
どこからやりなおしたい?とかじゃなくて、その対価としていくら払うか聞かれて少し頭がフリーズした。だって現状無職だし、所持金少ないし…払える額なんて…ほぼないし…
私「うーん、自分がもってる全財産ってところかね…あんたなら?」
友人「私なら何十億でも払うよ!やり直せるのであれば、金持ちになってそんなお金全部返しちゃう!」
人生やりなおしながら、返済ありなのかい…テッキリやり直す前の前払い制かと思った…
彼女は気持ちよく人生を素敵にお直ししながら、どんな高額でも払ってやるというわけだ。やり直す人生が儲かるに決まっている彼女のポジティブさがうらやましいような、馬鹿馬鹿しいような気分だった。何を突然40過ぎたばばぁが今更こんな夢みたいな質問をばばぁに投げかけてきたのだろうか。
ただ、明らかに伝わったのは彼女は今の生き方を気に入ってないということだけははっきりとわかったような気がした。
いや、私だって今の生き方それほど好きじゃないし…
でも、問題はやり直せるのであれば、彼女は金持ちバッチリの人生を歩んでいけるっていう確信に近い自信が私にはなかった。
私の人生を考えると修正が必要なところだらけだ。じゃ、幼稚園児に戻るとしよう。今の記憶を持ったまま私は他の幼稚園児と純粋に楽しんで会話ができるだろうか…じゃ、散々やりたくなかった勉強を学歴を考えて、戻って、頑張って、励んで、いい大学を卒業することができるだろうか。私は今も勉強が嫌いだと思っている。やり直す機会があったとしても嫌いなものを必死に頑張る気がまったくしない…今日の電話の友人とゼロから友好関係を築いていけるかと思ったら、また同じことはできそうもない…考えれば考えるほど、今の記憶をもって過去から自分をやりなおしていくのは共感できる人もいなく、ひたすら孤独に思えた。その孤独に耐えながら、自分を正していくなんてそんな高度なことはどの角度から想像しても難しいし、ある意味やり直せたからって、幸せになるとは私の今日の想像力では考えられなかった。
私「なんか、リアルに考えてみたら、40年以上生きたのに、5歳からやりなおしたいって5歳の世界に放り投げられなら、すごい孤独そう。自分と共感できる人なんていないだろうし、私は多分やりなおしたところでそうそう大きく変われない気がするわ。だからやっぱりやりなおせたとしてもやりなおさない。やりなおしたところで私は相変わらずだらしなさそうだし、やりなおしたからって次こそは!って頑張らない気がする。」
友人「えーーーなんで?私なら絶対やりなおす!いくら積んでもやりなおす!」
だから、なんで友人はやり直す人生は成功(金持)前提なのか、私は理解に苦しんだ。
私「やりなおすって具体的にどんなふうに?」
友人「自分のお店をたくさんもつの。」
私「それなら、ある意味今からでもギリギリ間に合うんじゃないの?」
友人「もう、無理だよ。今更。」
それは店を持つための税金の勉強とか、現在の資金からとかそういう意味なのかな…
いずれにしろ、友人は私の今からでも間に合うんじゃないかという答えはしっくりこないようだった。私は友人の質問の始まりから、何もかもしっくりこなかった。
ただ、今の生き方に満足していないことは彼女も私も間違いない。

普段、こんな質問されることなんてないからなんとなく刺激的であり得ないことをリアルに想像してみるのは少し楽しかった。
友人と電話を切って40年以上の生きた記憶をもったまま、幼い頃の時代に戻った自分をもう一度想像してみた。神童と言われながら周りにチヤホヤはされるかもなぁとか、今は死んでしまったけど、あの頃のおばあちゃんにあえるんだろうなぁとか、忙しそうな母親に気をきかせた育てやすいいい子になれるかもなぁとか、父親とあそこまで衝突せず、冷静に接することができるかもなぁとか、いろんな可能性を想像してみた。 
いまの記憶をもって好きな時代から人生をやりなおせたら、少なくても当時よりはまわりの人達にたくさんの愛をもってお裾分けはできそうな気がした。そしたら、多少孤独でも、勉強等は頑張らなくても、やりなおせるなら、やりなおしてみたいなと一瞬本気で考えてしまった。



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