東大寺のお水取りー火と水、懺悔によって清められる大切さ
今年1259回目となる東大寺のお水取り。このお水取りに魅せられ、新刊「心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い」では、私がこれまで撮ってきたお水取りの作品も載せています。『アサヒカメラ』のグラビア(2008年10月号)でも紹介されましたが、私が惹かれるのは「炎」に象徴される「いのちの願い」です。
2月24日発行になった拙書は、写真集を兼ねたフォトエッセイですが、「日本文化深層への旅」という解説エッセイも添えました。
以下、同書「心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い」から少しばかりご紹介させてください。
「東大寺の『お水取り』では、古代の日本人が思い見た、さまざまな聖なるものとの出合いがあります。 仏と神、火と水、祈りと懺悔、過去と未来 ... ご本尊は十一のお顔をもつ大小二つの観音さま。
仏教の行でありながら、神道のお祓いの作法も行う、神仏習合のかたち。火は人間の罪過を焼き尽くして浄化する力であり、水は生命や霊力の源です。
『火と水の行法』として『達陀(だったん)』(*1)と『水取り』(*2)の二つの峻厳な儀式が執り行われ、火と水の神秘的な力が崇められ、仏と神の前でこころを祈り浄めながら、春の到来という再生の時を祝福します。」(P.132)
さて同書では書かなかったことですが、火は、イスラム教以前のペルシャの宗教であるゾロアスター教では神の化身です。火を神格化された聖なる力としてみなし、正義または天則(アシャ)を具現させるものとして、火は古来より崇められてきました。それは「いのちの願い」というよりも、もっと運命的なものです。
火は最後の審判の際に、すべての物が火によって試され、清められなければならないという畏怖の力の象徴なのです。
ゾロアスター教では、「火」によって「終わり」と「はじまり」が区切られ、火によって歴史の摂理そのものが考えられるようになったといわれます(『ゾロアスター教』岡田明憲著)。火は、世界と己の運命を投影させるだけでなく、まさに歴史という「時間」の誕生の生みの親ともいえるのです。
同じアーリア人の拝火信仰の流れを汲むインド(ヴェーダ教典)では、火神アグニは、天空では太陽を象徴し、中空では稲妻、地では祭火など、世界に遍在する火の源となります。これが仏教では火天となり、お水取りの終盤の「陀達」の儀式を執り行います。
いっぽう、すべては水によってまた清められるのです。
ヴェーダの天を司る神ヴァルナは、ゾロアスター教の最高神アフラマズダとなったといわれますが、ヴァルナはまた水神です。
仏教では水天となりました。この火と水の両方を崇める儀式が東大寺のお水取りです。
さて、東大寺のお水取りは、正式には「十一面悔過(けか)」という名の法会として、かつては旧暦の二月に行われていたものです「修二会(しゅにえ)」といも呼ばれます。大仏さまの開眼供養と同じ年の752年に始まり、以来1250年以上、一度も途絶えることなく続けられていることから、「不退の行法」といわれています。
「この法会で最も大切な修行となるのが『懺悔(さんげ)』です。インド哲学者の中村元氏によると、万民のための『悔過』を集団で行う、世界的にも珍しい修行体系であるといわれます。
毎年 3月1日から14 日まで二週間に亘り、東大寺二月堂の内陣で11人の『練行衆(れんぎょうしゅう)』とよばれる俗世界を離れた参籠僧によって、尊い祈りが捧げられます。僧侶はいわば、私たちの『身代わり』となって万民の罪を浄め、天下の安泰と豊楽を祈ってくださるのです。」(P.133)
自然への畏敬の念、祈りと悔過を通して、私たちが自然の恵みによって生かされていることに気づくとき「過去から現在、そして未来へ続く力の源」とひとつになることができるのではないでしょうか。
火はいのちの願いであり、そして運命さえも投影させながら、「こころ」そのものを本来の清浄なあり方へと正す、偉大な力そのものなのです。その火や水と向き合うとき、ひとりひとりが火によって「まっさらなこころ」として再生され、水によって清められ、「懺悔」という謙虚さの大切さを教えてくれるのではないでしょうか。
お水取りを訪れる機会がありましたら、私たちの大本にある「いのちの根源」と出合える体験をきっと味わっていただけることでしょう。
その経緯は拙書に書いていますので、ご高覧いただければ幸いです。
3月7日は小観音さまの日ですが、奈良では今日も敬虔なる「いのちの願い」が練行衆によって、紡がれていることでしょうか。
伊藤みろ メディアアートリーグ
2010/3/7
Photo and Text by Miro Ito, All Rights Reserved.
記事、写真の無断転載を禁じます。Copyright © Media Art League
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(*1) 「達陀(だったん)」=達陀帽をかぶった八天のうち、水天と向き合った火天が3メートル以上ある松明を抱えて、内陣を引き回す、東大寺お水取りの独特の行法として知られる。
(*2) 二月堂の下にある若狭井(わかさい)という井戸から、若狭遠敷明神を祈請して、本尊の観音さまにお供えする「お香水(こうずい)」を汲み上げる儀式。
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書名: 心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い
古寺・古社・古儀に学ぶ「いかに生きるべきか」のメッセージ
著者: 伊藤みろ(写真・文)
企画・編集: メディアアートリーグ
出版社: ランダムハウス講談社
刊行日: 2010年2月24日
定価: 2,000円(本体1,905円)
判型: A5上製 ページ数: 144ページ
ISBN: 978-4-270-00564-4
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今年1259回目となる東大寺のお水取り。このお水取りに魅せられ、新刊「心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い」では、私がこれまで撮ってきたお水取りの作品も載せています。『アサヒカメラ』のグラビア(2008年10月号)でも紹介されましたが、私が惹かれるのは「炎」に象徴される「いのちの願い」です。
2月24日発行になった拙書は、写真集を兼ねたフォトエッセイですが、「日本文化深層への旅」という解説エッセイも添えました。
以下、同書「心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い」から少しばかりご紹介させてください。
「東大寺の『お水取り』では、古代の日本人が思い見た、さまざまな聖なるものとの出合いがあります。 仏と神、火と水、祈りと懺悔、過去と未来 ... ご本尊は十一のお顔をもつ大小二つの観音さま。
仏教の行でありながら、神道のお祓いの作法も行う、神仏習合のかたち。火は人間の罪過を焼き尽くして浄化する力であり、水は生命や霊力の源です。
『火と水の行法』として『達陀(だったん)』(*1)と『水取り』(*2)の二つの峻厳な儀式が執り行われ、火と水の神秘的な力が崇められ、仏と神の前でこころを祈り浄めながら、春の到来という再生の時を祝福します。」(P.132)
さて同書では書かなかったことですが、火は、イスラム教以前のペルシャの宗教であるゾロアスター教では神の化身です。火を神格化された聖なる力としてみなし、正義または天則(アシャ)を具現させるものとして、火は古来より崇められてきました。それは「いのちの願い」というよりも、もっと運命的なものです。
火は最後の審判の際に、すべての物が火によって試され、清められなければならないという畏怖の力の象徴なのです。
ゾロアスター教では、「火」によって「終わり」と「はじまり」が区切られ、火によって歴史の摂理そのものが考えられるようになったといわれます(『ゾロアスター教』岡田明憲著)。火は、世界と己の運命を投影させるだけでなく、まさに歴史という「時間」の誕生の生みの親ともいえるのです。
同じアーリア人の拝火信仰の流れを汲むインド(ヴェーダ教典)では、火神アグニは、天空では太陽を象徴し、中空では稲妻、地では祭火など、世界に遍在する火の源となります。これが仏教では火天となり、お水取りの終盤の「陀達」の儀式を執り行います。
いっぽう、すべては水によってまた清められるのです。
ヴェーダの天を司る神ヴァルナは、ゾロアスター教の最高神アフラマズダとなったといわれますが、ヴァルナはまた水神です。
仏教では水天となりました。この火と水の両方を崇める儀式が東大寺のお水取りです。
さて、東大寺のお水取りは、正式には「十一面悔過(けか)」という名の法会として、かつては旧暦の二月に行われていたものです「修二会(しゅにえ)」といも呼ばれます。大仏さまの開眼供養と同じ年の752年に始まり、以来1250年以上、一度も途絶えることなく続けられていることから、「不退の行法」といわれています。
「この法会で最も大切な修行となるのが『懺悔(さんげ)』です。インド哲学者の中村元氏によると、万民のための『悔過』を集団で行う、世界的にも珍しい修行体系であるといわれます。
毎年 3月1日から14 日まで二週間に亘り、東大寺二月堂の内陣で11人の『練行衆(れんぎょうしゅう)』とよばれる俗世界を離れた参籠僧によって、尊い祈りが捧げられます。僧侶はいわば、私たちの『身代わり』となって万民の罪を浄め、天下の安泰と豊楽を祈ってくださるのです。」(P.133)
自然への畏敬の念、祈りと悔過を通して、私たちが自然の恵みによって生かされていることに気づくとき「過去から現在、そして未来へ続く力の源」とひとつになることができるのではないでしょうか。
火はいのちの願いであり、そして運命さえも投影させながら、「こころ」そのものを本来の清浄なあり方へと正す、偉大な力そのものなのです。その火や水と向き合うとき、ひとりひとりが火によって「まっさらなこころ」として再生され、水によって清められ、「懺悔」という謙虚さの大切さを教えてくれるのではないでしょうか。
お水取りを訪れる機会がありましたら、私たちの大本にある「いのちの根源」と出合える体験をきっと味わっていただけることでしょう。
その経緯は拙書に書いていますので、ご高覧いただければ幸いです。
3月7日は小観音さまの日ですが、奈良では今日も敬虔なる「いのちの願い」が練行衆によって、紡がれていることでしょうか。
伊藤みろ メディアアートリーグ
2010/3/7
Photo and Text by Miro Ito, All Rights Reserved.
記事、写真の無断転載を禁じます。Copyright © Media Art League
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(*1) 「達陀(だったん)」=達陀帽をかぶった八天のうち、水天と向き合った火天が3メートル以上ある松明を抱えて、内陣を引き回す、東大寺お水取りの独特の行法として知られる。
(*2) 二月堂の下にある若狭井(わかさい)という井戸から、若狭遠敷明神を祈請して、本尊の観音さまにお供えする「お香水(こうずい)」を汲み上げる儀式。
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書名: 心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い
古寺・古社・古儀に学ぶ「いかに生きるべきか」のメッセージ
著者: 伊藤みろ(写真・文)
企画・編集: メディアアートリーグ
出版社: ランダムハウス講談社
刊行日: 2010年2月24日
定価: 2,000円(本体1,905円)
判型: A5上製 ページ数: 144ページ
ISBN: 978-4-270-00564-4
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