その中で、マジで怖い霊の話があった。その話の中身はさておき、霊的なんじゃないかと思えるような不思議な経験がある我が家族自身のことを思い返していて、ふと思いついたことがある。
これは、別に霊の話でもなければおぞましい話でもないので、どうか安心してください(笑)。
6年前に父が亡くなりました。なくなって1年ぐらいは、ときおり父の気配らしきものを感じることがあったのですが、まぁそういうのって単なる思い込みや勘違いがありますからね。母親はよく父の夢を今でも見ますが、これは生きている者の思い込みが反映しているんでしょう。
ただ、父が植えておいた果樹が、父が亡くなった次の年からたくさん実をつけるようになったんです。
サクランボは初めて実をつけたし、スダチも収穫できるようになりました。栗は、それまでの倍ほども採れるようになったんです。栗の木なんて、かなり古い木なんですよ。みんなで不思議がっていたんです。
その時はどの木にも手入れらしきものはしていませんでしたから、「不思議やなぁ、じいさんが実らせてくれているんかなぁ」と話していました。
でも考えてみたら、植えた父親自身が一番実りを楽しみにしていたはずなのに、亡くなってから実をつけるなんて、果樹たちに裏切られたようなものですよね。


まぁ、私たちは今、父がそれらを植えてくれたことに感謝しています。父にはその気持ちで満足してもらうことにしましょう。

こんな話だけだったら、物足りないですか?(笑)
では、怖い話じゃない、不思議な話をもう一つ。
今は亡き祖母が、ある歳のお正月に、体調を崩しまして、正月早々、入院させたことがありました。
祖母はひどく消耗してしまい、自力で起きることはもちろんのこと、喋ることさえできない(声が出ない)ような状態で、点滴を打ち続けていました。医者からは、「内臓がもううまく働いていません。今夜が峠でしょう」と言われていました。
病院には母や叔父叔母が詰め、私は家に帰って寝ました。翌朝、当時中学生だった息子が、起きてきて、「変な夢見た~」と言うのです。
「ねんねばあちゃん(私の祖母のことです)がなぁ、夢に出てきてん。ほんでボクに、『みらくん、ワシ、どうしようかなぁ』と言うねん。ボクが『何が?』って訊いたら、『ワシなぁ、行こうかどうないしょうか迷うてるねん、どうしたらええ?』って訊くねん。ほんでボクな、『まだ行かんでええんとちがうのん』って言うてん。そしたら、ねんねばあちゃんが『そうか~、せやなぁ』って言うてん。ほんで、ボク、目ぇ覚めてん」
面白い夢やなぁ、と笑っていたら、病院から帰ってきた母親が、「おばあさんな、今朝からしゃべり出してな、『食べたい、早う歩きたい』って言い出したから、『そんなん、まだアカン』って言うてきてん」と話してくれた。
それから、息子の夢はそういうことだったのかと、家族で合点がいき、「けど、不思議やなぁ」と言ってたんです。
祖母はそれからベッドの縁を持って自ら歩くようになり、すっかり回復しました。それから6年ほど生き長らえ、100歳で大往生しました。
あの時、息子が「まだ行かんでええ」と言わなかったら、100歳まで生きていられなかったんじゃないかと思っているんですよ。

怖い話は、また機会があればいたしましょう。では皆さん、オヤスミナサイ。
