
その教師は、集団で授業に遅れてきた生徒から「ハゲ」「死ね」と暴言を吐かれたうえに、その集団の中から笑い声さえあったという。教師はかねてから「差別はいけない」と注意をしていたというから、「ハゲ」発言はバカたれ中学生どもの中で常態化していたのではないかと推察できる。教師は、笑ったものはだれかと追及したが名乗る者はなく、16人を廊下に正座させ、さらに問いただしたが、やはり名乗り出ないので、「卑怯だ」として全員に平手打ちをしたんだとか。
ニュースでは単に「体罰」として報じていたが、教育的な意味が全然違うじゃないか

この場合、人としての心得を教えようとする教師の指導を、聞き入れよう、耳を傾けようという意思がないと思われるような生徒に対して、差別を受けた側の思いをぶつける、人道的といっていい指導ではないか。もちろんその方法が適切かどうかといえば、それはわからない。しかし、こんなもの、ガキどもを張り倒して、親を呼びつけて、「人として誤っていることをどう思うか!」と迫っていいほどのことだ。教師は謹慎しているそうだが、しっかり休んで、己の行為のどこを改善すべきかをしっかりと考えるといい。思いは間違っていないのだから、方法だけを考えればいい。私はそう思う。
これを、桜宮高校の件と同列に並べるべきではないと私は思う。
桜宮の場合は、指導を聞く意思がある生徒に対して、自分が強い立場にあることをよいことに、暴力をふるったに過ぎない。桜宮の教員は、生徒の、人としての間違いを許せずに、つい行き過ぎて暴力に及んだのか? 違う。単なるパワハラだ。しかし、この中学校の一件は、生徒が根本的に人としての過ちを犯しているのだ。しかも、指導を受け入れる態度ではないのだ。人と人との健全な関係を維持する意思が生徒から感じられない。人でない者には、犬のように叩くことで教える、それでいい、とまで言うつもりはないが、その教師の気持ちに、私は同情を禁じ得ない。
古いかな、やっぱり。