The world beyond...

井の外に出たい蛙です(^^)

面白がるという余裕。

2009年05月30日 12時36分43秒 | インナー・ワーク
あああ! いま、閃いたこと。

面白がれればいいんだ!

本気全開で何かに取り組んだとしても、
それを面白がる余裕がある限り、
なんちゅーか視野狭窄にもならず、
楽しく進めていける。
楽に。
自分を追い詰めることなく。


抜き差しならない状況ならではの切羽つまった感じこそ、生きてる実感!
それが面白いんじゃん!
…って人もいるかとは思うが、
自分がそういうパターン持ってるんだって気づいていれば、
抜き差しならない状況でも、どこかで客観的に見られる余裕があるわけで。


そうとう危機的な状況になってしまった、
事態が好転するとはどう考えても思えないが、
でも、そういやハリウッド映画でもこういうのよくあるよね、
さてどこからどういう風にどんなものがやってきて、
どんな展開をしていくのか、楽しみにみていよう…そんな余裕って大切。


必死なときって自分がツライからねぇ。

面白がるという視点を持とうという試み、トライする価値、ものすごくあるでしょうね。ふふふ(^^)


随時変更可能…?

2009年05月16日 23時54分05秒 | インナー・ワーク
起きしなに気付きが降ってくるってこと、結構ある。

今朝の気づき。ま、備忘録ってことで。

++

現実のいろんな出来事が、通常時系列に並んでいると考えているわけだが、
そして、それは変更不可能…つまり過去は過去であり、過去のコマを現在にもってきたりってことは出来ないって考えてたんだけれども、

今朝の気づきでは、様子が違った。

過去やら未来やらいろんなエピソードのデータがあると想像してください。
1データが、1つのカードに記載されてる。
記載されているというか、あくまで象徴的な意味で、どれかのカードを選ぶと、そのデータが活性化されるみたいな感じね。

で、どのカードを目の前にもってくるかは自分の裁量。
そして、その目の前のカードのデータが「現在の状況」であると認識するシステムになってるんだよと気づいたんでした。


ってことは、すでに経験した(=過去の)カードを未来に置き直したり、
未来のところに置いてあるカードを別のところに置いたり、
あるいは活性化されないような一角に置いちゃったりするってのもアリ。

そうやってカードを置いたり外したりしていくうちに、カード同士の間でも繋がりが築かれてきて、ピカピカと光っていったりする(=活性化する)、そんなイメージも浮かんできました。


+++


な~んだ、現実のなかのエピソードってこんなに入れ替え可能でフレキシブルなんだ!
自分で好きにいろいろいじくれるんだ~~、
しかも使いたくないカードは使わないで済むくらい、いろーんな可能性がふんだんに用意されてるんだ、
OK、OK、なんかすっごい気楽に楽しめるもんなのね!って感じましたよ。


+++


これに類することをすでに本やらなにやらで伝えていらっしゃる方って結構いる。

今回の気づきも、おそらくそういうものに影響を受けたものであると思う。

でも、頭でだけ「ふ~ん」って思ってるときには、これって自分には「使えない」ネタなんじゃないかな。

今回のように、自分のなかから自然発生的に「ああ! そういうことか!」っていう瞬間を得て初めて、単なる知識が生きたなにかとして自分に統合され、やっとそれ自体が勝手にいろいろと楽しい流れを創造してわたしに味わわせてくれるんじゃないかな~と感じました。

イメージとしては、仏像に魂を入れるような感じ。詳しく知らないので、テキトーなイメージだったりするけど。

あ、もっと自分にとって具体的なイメージのほうがいいな、
えっとね、電気製品をがしっとコンセントに繋いで通電し、やっとこれで「使えるぜ!」な状態になった感じ!! (そうそう、こっちのほうがしっくりくるね)



過去は変えられない、現在の人生のコースも変えるのは難しい、よって未来も今とそう大差ないんだろうな(がっくり)
…なんて思う必要、全然ないじゃん!ってことにも繋がる今朝の気づきでした。

ほんっとに制限まみれだが、だからこそひとつでも外せたときにはウキウキしちゃうほど楽しいですね!(^^)


ハートに手を当てみた

2009年05月15日 23時49分41秒 | インナー・ワーク
「股関節に手を当てる」の流れは、こないだのエントリに記したとおり、な~にげない変化はありました…てな程度だったのですが。

ある時、ふと、「あ、私はハートに当ててみよっかな」と思いつきましてね。
寝しなにやってみたら…とんでもないことになりました(汗)

夢見が激しいのなんの!!!
もーーのすごい濃くて鮮明な夢。
起きた時すでにぐったりしてるような。
大放出、大浄化ってみなしてます。
しかしね、それが一晩じゃなくて、何日も続くのね。
疲れる…(でもかまわん)



股関節に手を当ててた友達が気づいたのは、怒りの感情の抑圧でしたが、
ハートに手を当てた私が気づいたのは、悲しみの感情の抑圧。

そうだそうだ、そういえば、私にとって自分が怒っていることを認めてそれを表現するのは全然抵抗のないことだったのでした。
(だから股関節に手を当ててもなんてことなかったのかな?←根拠なし)

でも、悲しみの感情には蓋をするしかなかったっけ。
そんなこと忘れてましたが。
子どもの頃、ある衝撃的な出来事に、悲しくて悲しくてたまらなかったんだけど、
泣くと家族を心配させるなってな感じで、それを押し込めてたな~。

それからだって悲しい出来事は当然あったわけで、
その時々で泣いたりして悲しみを自分なりに表現していたつもりだったけど、
きっとそれで手放せてきた悲しみはごく一部分で、
まだまだ私のハートにはしこたま悲しみが溜まっていたんだろうな。
そしていつしか、悲しみを抱いていることがわからないくらい麻痺しちゃってたのかもね。


…ってことも、ハートに手を当て始めて3日目くらいでやっと気づき始めてきたような次第なんですが(溜息)


++


悲しみにしろ諦めにしろ絶望にしろ、
「それを感じたらいけない! 感じたらそれを認めることになってしまう!
そんなことをしたら、それに圧倒されて、お終いになってしまうに違いない。
だから、私は絶対にそれがあることを認めない。
ないふりをしてやろう!!!」…と思ってたみたい。無意識のうちにそうしてた。


でもさすがに最近では「それを見つめれば見つめるほど解放できる」っていうのが実体験として積み重ねられてきているので、見つめることがどんどん気軽で容易なことになってます。
それが何より嬉しいな。

だからきっとハートにアプローチできるようになったんだな。
「やっと」という形容詞がふさわしいような、長い道のりだったと思う。
私にとっては、ハートがラスボスな気がするので(^^)


長い=遅い、ってことではなくて、
ここまで進んできた自分に、心からの素直な賛辞と感謝を覚えますよ。
ほんとにね。
よくやってきたじゃん! 手探りで、コツコツと、ってね。


++


派手な反応…すんごい夢見とか…、いいなと思いつつも、実際に出るとぐったりですが(あはは)、
それでも嫌悪感は全くない。

派手なのが嬉しいのではなくて、
手応えを感じるから。

まだまだ継続してハートに手を当てるつもり。
でも、きっと、拍子抜けするほどすぐに、「あ、もう充分だな」って感じる瞬間が来るような気がする。

溜めに溜めまくった悲しみも、きっとあっさりと霧消するんだろう。
感謝をもって受け入れ、愛を持って手放せば。


おっともう夜中じゃないですか。
パソコンはそろそろ切り上げて、ハートに手を当てて眠ろうっと(^^)




薔薇の香り

2009年05月15日 00時35分27秒 | インナー・ワーク
今日、主に薔薇で出来た可愛らしい花束を頂いた。
お花を頂くなんて、久しぶり。
大きな花束は豪華で、それはそれで素敵なのだけど、
数本の花で出来た小ぶりの花束も大好き。
特に、今回は、ある方がご自宅の庭で丹精されているという薔薇を分けていただいたので、嬉しさもひとしおだった。

中に特に香り高い薔薇が一輪あり、その香りの素晴らしさたるや、
…やっぱりうまい言葉が見つからない(^^;
でもなんとか描写を試みると、
全体的に爽やかさの勝る香りの中に、うすくうすく甘さが混じっているような、
心の洗われるような香り。

濃厚な甘さで酔ってしまうような香りもいいものだろうけど、
今日の私には爽やかな香りがなににも勝る滋養となったようだ。

その麗しさは圧倒的。


たとえば、「人生の目的ってなに」「生きることにどんな意味があるの」的な、
どうにもこうにも抽象的で、納得できるような答がおいそれとは見つからないような問いを自らに投げかけ、どうにもならなくてモヤモヤしているとき。

簡単に言っちゃうと、頭でっかちになってるようなとき(笑)、ありますよね。

今日の私は、同様の頭でっかち系のことを考えて、ひとりで「う~ん…」と眉間に皺を寄せて唸ってるような状況だったのですが、この薔薇の香りには腹の底までゆったりと入れるように深く吸い込まずにはいられないような魅力があり、その衝動の通りに深く深く吸う息と共に香りを存分に味わっていたのです。


その時に素晴らしい香りがもたらしてくれた、圧倒的な感覚。
理屈や小ざかしい思考なぞはすべて一瞬で塵と化してしまうような、
光に満ちた美しさのごときもの。
いのちそのものが持つ、その前では言葉を失って佇むしかないような、賛美のきもち。

そういうものが自分の中に湧き上がってくるのを、ただ受け止めていたのでした。


…そうそう。
そうなんだよね。

生きるのに、いまさら敢えて理由とか目的とか意味合いとか、そんなものをこねくりまわして、まわりくどく正当化を試みる必要はない。

だって、すでに私は生きている。
生きて、今、ここにいる。


いのちというものがこんなにも無条件のものであり、しかも圧倒的な美や輝きであることを、薔薇の香りが教えてくれたように思います。



+++



最近、他の人の至高体験ちゅうものをネットで読む機会があり、
それがえらく楽しそうなんで(笑)
「羨ましいかも…」と感じていた部分があったのですが、
うわ、薔薇の香りでも十分いのちの輝きを感じさせてもらったじゃん!
…と、まさに今書きながら、その二つを結びつけることが出来ました(笑)





残りの蕾が花開いていくのが更に楽しみです。

”今”の最適

2009年05月12日 22時24分31秒 | インナー・ワーク
今の自分が踏み出す一歩

マイナスからでも ゼロからでも プラスからでも

1cmでも 10mでも

その時に踏み出すそれが

その時の自分にとっての最適の一歩




もっと前進した後での プラス500のポイントからの 100mの歩幅の一歩より

今の時点の マイナス3000からの 2mmの一歩のほうが

価値がないなんて、

そんなことはない、はず



比較はしないでおこう  自分の、他の時点の一歩とすら

比較はしないがいい


そして意味や価値からも自由であろう

それらは自分が自由に決めるもの

絶対的な 固定した意味や価値なんて、ありはしないのだから。

いったん決めたとしても、いつでも、どれほどにでも、変更できるものであることを心に留めておこう



今の自分が踏み出す一歩

ぐだぐだと悩みや不安にまみらさせないで

ただひたすらに一歩を踏み出していこう

願わくばそれらが笑顔に彩られているように!


股関節に手を当てた、その後

2009年05月11日 23時58分43秒 | インナー・ワーク
前回のブログで書いた「股関節に手を当てる」っての、
なかなかいいです。

友人に紹介したら、その人には夢見が劇的なものになるという派手な反応が続いてるらしくて、「いいな~」って思わないでもないけど(笑)
いや、私は私のプロセスを大事にするの!って思ってます(笑)

んじゃ私のプロセスってどんなのよ?って言いますと、

ん~とね~、手を当ててるときにしろ、寝てるときにしろ、別にな~んもないのね。
夢も特に見ないし。

だけど、ふっと気が付くと、これまでコリコリに凝り固まってたネガティブな信念なんかがあっさりとほどけてる…そんな感じです。
あ、これ、日常の中で気づきます。

それまで超おおごとだったものが、別にな~んてことない、どうでもいいことに変わってるのを発見する瞬間。
地味っちゃ地味だけど、これ、実はすごいことなんだなと感じます。

以前の自分であれば、派手な変化しか認識できなかったから、
地味な中の良さを察知できる自分になれたのも嬉しいですホント。


+++

それにしてもいきなり暑くなりましたね。

この股関節に手を当てるのも、もうそろそろいいかな?と思い始めてます。
こういうのは直感に従うのが一番って感じてるので。


別に、なにかをしなきゃいけないなんてことは全然ないわけだから。

ま、でもとりあえず今夜も当てるでしょうね、この流れだと(笑)


「もう大丈夫だよ~」

2009年05月06日 11時18分46秒 | インナー・ワーク
きらくかん、という整体師さんのブログを定期的に拝見してます。
一番最近の記事がこちら、「股関節に手を当てよう!」。

詳しくはその記事をご覧頂くとして、その記事内の一言がツボ! ツボりまくりました(爆)

いわく、


「ありがとう。もう大丈夫だよー」


ああ、そうかそうか。私、この一言を聞きたかったし、言いたかったのかもしれない、自分に対して。…と、激しくピンと来まして。

昨夜寝る前にもちろん股関節に手を当てて「ありがとうね、もう大丈夫よ~」と伝えまくりました。
股関節だけでなく、横隔膜を意識して言ったりもしましたね。
(それは単に私がそうしたいから、ってだけです。)

手を当てたけど、特に目覚しい「おおお!」ということが起きたりはしませんでしたが、
じんわりしっかりと気に入り、これは少なくともしばらくは継続の予定(^^)

派手な変化じゃなくて、「おっと気づいたらいろいろ変わってたねぇ、そういえば」ってことになるのかも…ね(^^)


それに、別に、眠る前に限らなくてもいいだろうしね。
何かあるたび…何かに自分が反応して、心が波立つとき…とかにも、その自分の心の動きをしっかり受け止めて、「ありがとね、でももう大丈夫よ」って伝えてあげるだけでも、多分相当な何かが変わっていくな。きっと。

…根拠はないです、単なる手応えですけども(笑)


ってなわけで、皆さんどうせ毎日眠るでしょうし、その前のひとときに股関節に手を当ててみるの、いいかもしれませんよ。ってご紹介でした☆


自分の呼吸音

2009年05月03日 17時12分46秒 | インナー・ワーク
インナー・ワークのカテゴリでいいのかなって一瞬迷うけど、

ま、いいか。

と思ったのは、昨日の夜の瞑想(?)時の出来事。


丹田のところに手を当ててのなんちゃって瞑想、続いていますよ。
なんたって、やっぱりすごくいいんだよね~!
手の温かみを感じることそのものも気持ちいいし、
そうやってどんどん自分が静かに落ち着いていくのも素晴らしい。

自分自身にしっかりと集中することでしか取り戻せないたくさんのことがあると思う、それをまさに実行している瞬間なわけで。


んでですね、昨日も同じようにやってましたです。
丹田に手を当てて、ただただその温かみと心地よさを味わう。


どのくらいの時間が経ったかはわからないんだけども、自分としてはずっと意識がはっきりと明晰であったつもり。

なんだけれどもね、異様な音が聞こえたですよ。
なんだか、今まで聞いたことがないような、すごく大きな音。
音が聞こえたり止んだりが規則的。
というか、この規則性、馴染みがありますよ?と思ったら、

自分の呼吸音だった!!!

ちなみに、いびきじゃないです。

自分の呼吸音が、常より大きく聞こえます。
驚くほどに。


「ああきっとこれ深い瞑想状態に入ってるんだろうなぁ。
きっと、身体はもう寝てる状態に違いない(確かめようがないが)。
こんなことが起きるんだなぁ。
それにしても意識はこんなに明晰なのに。
不思議だな~」

と、ひたすら冷静に考えていた私でした。

その大きな呼吸音にひとしきり聞き入ったら満足したようで(笑)、
「それはそれとして」って考えを切り替え、
そしていつしか眠りに落ちてしまったようです。



別にスゴイことだ~とかは微塵も思ってないですが、
こんなことも起きるんだなと思っての、記録代わりにアップ。


それにしても瞑想状態ってなんなんだろ、とはまだ思う私(笑)