The world beyond...

井の外に出たい蛙です(^^)

イハレアカラ・ヒューレン博士 サイン会

2008年09月30日 09時56分48秒 | INFO:イベント、テレビ、映画、その他
現代版ホ・オポノポノの提唱者、イハレアカラ・ヒューレン博士の新刊発売に際し、サイン会が行われます。

   LIBRO池袋本店(東京都)
   10月4日 午後6時半~

   整理券は9月29日から配布開始(新刊購入の先着150名)

詳しくはオフィシャル・サイトをどうぞ:
http://www.libro.jp/web/topics/


私はセミナーに行く気もサイン会に行く気も全然なかったのに、
なぜかサイン会には行きたくなってしまいました…(笑)
(セミナーは盛況らしいから、行きたいなら申し込みは早めがいいらしい)


以上、お知らせでした~

あおい珈琲店

2008年09月22日 23時07分51秒 | おいしいもの☆
徒歩圏内に ここ、好き!!! っていうカフェがあるのは、ほんとうに嬉しいことで。
でも、我が家の周りはカフェなるものが極端に少ない地域で、電車に乗らないと好きなお店に辿り着かないのでした。
(それでも電車に乗ればすぐに好きなお店に行けるから恵まれていますが^^)

そんな中、やっと出会いましたよ、素敵なお店に!
あおい珈琲店です。(東京都板橋区の大山駅前)

職人っぽいマスターの佇まいからして、良い仕事するお店だろうなってすぐにピンと来ました。その予感を裏切らない、大当たりのお店でした。
ピリッとしつつもリラックスできる雰囲気もいいし、もちろんコーヒーも美味しいし。
(これで私がコーヒー好きだったら更に幸せなのだが!)
(あのマスター、チャイもメニューに加えてくれないかな…・笑)
自然光がたっぷり入ってくるところもとっても好みです。
お店の人が、お店のことを大切に思っているのが伝わってくるところが一番好きかな~(^^)

このお店、以前から視界には入っていたのに、なぜか、「きっと変なお店に違いない」って思い込んでいたのよね…。
私のアンテナ、どんだけ錆びていたんだ(^^;


…ま、徒歩圏内といっても、実は徒歩30分(片道)かかるのよね~(笑)
電車に乗ったとしても、20分はかかるな。
ウォーキングが日常になっていて良かった☆
また行こうっと(^^)


あおい珈琲店 サイト:
http://home.att.ne.jp/wave/aoi-cafe/

大いなる罠。

2008年09月18日 11時46分10秒 | インナー・ワーク
罪悪感は、ほんとにタチの悪い罠!
自分で自分を陥れちゃうんだから。
自分で自分の首を絞めてしまうんだから。
それも、わざわざ自らハマリに行ってしまう。


罪悪感を持ってるな~って気づいたときに、
自分が悪いとか、アイツが悪いとか、そう考えることは不毛だなって思い直して、
その瞬間に、「私はもう罪悪感は持たない! 手放す!」って決めると、結構景色が変わります。
決めるだけでいいんです。
決めたつもりでもいいみたい、何度も何度も重ねていくと、そのうち、罪悪感に自動的にシフトするっていうパターン自体が変わってきます。


そして、罪悪感にはまっていたときには見えなかったものが見えてくる。
で、「ああ、じゃあ、こう考えよう、こうしてみよう」と、素直な前進に繋がる方向を向いていけるようになる。


いろんな感情があるけれど、罪悪感は、私には特にタチが悪かった。
とにかく、自分でも他の誰でも悪者にしてるうちは、全然ハッピーじゃあないのよね。

でね、特にタチが悪い!って感じてた罪悪感ですら、思いの外簡単に外れていったのが一番良いニュースでした(笑)


いらないものがあれば、も、思いわずらわず、ただ、手放しちゃいましょ。

それだけ^^


愛あればこそ。

2008年09月17日 21時10分19秒 | インナー・ワーク
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章1~3節

13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。

13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。

13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会 (c)日本聖書協会


+++++++++

キリスト教徒でもなんでもないけれど、この有名な一節は知っていた私。

ここ数日、「愛がなければ私は無にひとしい」というくだりがずっと心にこだましていて、そのたびに、「ほんとうに、そうだよなぁ」と感じることしきり。

愛がなければ、何ができようとも、何を持っていようとも、そんなものは全くなんでもない。
愛があってはじめて、すべてのいのちが輝くんだよな~、きっと。


でも、「じゃ、愛ってなによ?」なんて思考ゲームに嵌まる必要もない。

まいにちまいにち、アホのように(笑)、自分自身に向かって、
「大好きだよ! 愛してるよ!」って語りかけ続けると、それだけで自動的にわかってくるもんだなという実感を得ている。
(ヒューレン博士のホ・オポノポノを愚直に実践していますよ^^
だって、効果ばつぐんなんだもん! もう、世界が、違ってくる。ほんわかのキラキラ・笑)


そして、ほんとうに、愛が鍵なんだなと思うのであった。

大切なのは、違いをつくるのは、テクニックとかメソッドではないのだ。
同じことをしているようでも、まったくかけ離れた(思わしくない)結果しか得られない人だっているんだもの。
知識をいかに身につけて、個々の状況で応用できるか。
その、いちばんのキモは、知識などなどではなく、
いわゆる愛やハートと呼ばれるものなんだなと強く感じる。



何が素敵って、愛することに、なんの資格も条件もいらないことだ。
●●な人にならなければ、●●ができるようにならなければ、愛することはできない…なんて、そんなことはないんだもの。

愛する!と決めるだけ、それだけでもう十分。
そして、それを実践するだけで、しっかりと愛の道を進んでいける。
始める前にはわからなかったことも、継続していくうちに、次第にわかってくるってものでしょう。

そして、どの一歩も、愛は、とっても優しい…らしい。


へへ。 

手書きの字。

2008年09月17日 20時43分05秒 | ヨシナシゴト
人の手書きの文字を見なくなって久しい今日この頃。
私は、文房具好きだけあって(?)、手で文字を書くのが大好き。
とにかく字を書くことが好きで、別に書きたいことがなくても、目についたものをただ紙に書くときもある。

そして、人の手書きの文字を見るのも大好き。
字を目にすると、その人をより近しく感じることもしばしば。

でも、最近は、葉書や手紙を出し合ったりすることもほとんど無くなってしまった。
なにかというとメールだし。(便利だからね、自分も多用しています)

なので、時々、無性に人の手書きの文字を見たくなることがある。
そこにぬくもりを感じるからかも。
上手かろうが下手だろうが、そんなことは全く関係ない。

しかしそんな機会は身の回りにないので、ネットを見たり雑誌を見たりするのであった。
ネットのほうはね…手書きで書いた文章をスキャンして、画像としてアップしてらっしゃる方がいるのですよ。
でも、そういうことをしていらっしゃるブログは一つしか見つけられてない。
もっと見られたらはっぴーだなぁ。あるかな?

そして、雑誌のほうは。Ku:nel(クウネル)ってのがありますよね。それに、江國姉妹の往復書簡、というコーナーがありましてね、それを眺めたりします(笑)
何気ない日常をお互いにしたためていて。とはいえ、内容にはさっぱり反応しない私なんですが、それでも、手書きの文字を見ているだけで、なんだか心がすぅっと落ち着く。面白いものですね。

気づけば、クウネルには手書きの文字がそこかしこに見られるのですが、自分で購入まではしない私なのだった…。カフェに置いてあったりすることがあるので、そういうときに手にとって見たり(とはいえ、クウネルが置いてあるカフェなんて2,3軒しかしらないなぁ)、あるいは、書店の雑誌のコーナーでブラブラしているときに、ふと思い出して手にとって見たり、というくらいです。それくらいで十分なの^^


文通(笑)をする予定もなし、とりあえずは、自分の予定など、手書きで書き込んでみましょうかね…(← いつもと変わらん)


拍子抜け。

2008年09月14日 11時01分42秒 | マジメな話☆
ねばならぬ、を外すと、それだけで、とっても楽ちんだ。


かつての私は、ありとあらゆることを、「ねばならぬ」で考えていた。
あれをしないといけない、これをしないといけない…
あるいはこれをやってはいけない…

そんな have to のなかには、自分のきもちなんて、割り込めようもなかった。

仕事や税金(笑)などの、いかにも「外側から押し付けられました」と考えがちなことは、「ねばならぬ」で考える傾向があってもある程度もっともなことだが、
自分で決めた自分のやることに対して、「これをやらなくちゃ」「あれをやらなくちゃ」って思って、自分の首を自分でものすご~~~~~~く絞めていた。


そんな「ねばならぬ」を外すだけで、おそろしく楽になるもんですよ。


骨身に沁みた思い癖をはずすのは、最初は「無理!」って思うかもしれないけど、
つべこべ言わずに出来るところから実践して、
できるかも?っていう角度で見続けるようにすると、
思ったよりも早くあっさりとその呪い、解けますよ。
経験者は語る(^^)

興味ある方はお試しあれ。
いつでもどこでも出来るんで、習熟の機会はてんこもりです。


+++


重要度。

「このことはものすっごく重要だ。しっぱいするわけにはいかない! しっぱいしたら死よりも酷いことがまちうけている!」
…な~んてね、悲壮感が募れば募るほど、問題それ自体に自分が翻弄されてしまう。
自分がそれを問題としているからこそ、それが問題になっているのに。

それはつまり、問題が自分よりも大きなものであるはずがないという証左でもあるのに、そこをすっかり忘れて、問題にキリキリ舞いさせられ、ヘトヘトになるほど疲れてしまう…。

であれば、その問題なるものの「重要度」を下げれば、問題は、なんてことのない事象に成り下がる。
そうすると、自分の扱えるものになり、本格的に問題消滅!
…なんだけど。


…ええ??? なにそれ???
今まであんなに苦労してきた問題が、そんなにアッサリ解消されてたまるもんか!
そんなことになったら、私のしてきたこれまでの苦労の立場はどうなる!!!

…ってな想いが湧き出したりしてね(爆)
そんなふうに重要度を引き下げる前は思う(人もいる)ですよ。ええ。
それで、悔しさも手伝って、問題の重要度を下げることを選択しないなんていう、わけのわからない事態にもなったりするけど。

あ、それはそれで悪いわけじゃないけど、
つらさが継続するなら、どうかとは思うがね。
そしてそれも選択ですが。


++


理想ともいえるほど究極の素晴らしき何かがないのならば、
こんな世の中に誰が生きていたいと思うもんか、
ただのつまらない世界じゃないか、
一体誰が好きこのんでこんなところに、

だから私はあり得ないほど素晴らしいものを見つけ出さなければならない、
そうでなければとても生きていたいなんて思えるはずがない…

どうも、そんな思いを深い深い深~~~~~~いところに抱きつづけて来たようです。
そうやって、城を築き上げて、なんとか自分の思いを宥めようとした。
でもそれは所詮砂の城。
理想を持つのはいいけれど、現実を見ないようにするための理想は、なんの実体もない、たやすく崩れる砂の城なのですよ。

たやすく崩れるからこそ、いつも必死で保ち続ける努力をしないといけない。
それで余計にほかのことに気を回す余裕がなくなり、どんどん消耗するという悪循環。



しかし、やっと、認められました。
ああ、この世界には、予め素晴らしいものなんて何もないんだ、って。
私の築こうとした砂の城は、その努力は、徒労以外の何物でもないんだって。

そうしたら、驚くほど、軽く楽になりました。
まるで自分を押しつぶしていた大岩が、一瞬で消えてなくなったかのよう。


予め素晴らしいものなんて、ない。

なくて、いいんだ。

ありのままを見つめて、その上で、その時々に自分がふつうにいいなって思うものを、楽しめばいいんだ。
いいなと思ったら、その「いいな」を、そのまま受け取って味わえばいいんだ。

何も、自分の虚しさを埋め合わせようなんて勢いをこめて、
むりやりそのもの以上の輝きをくっつけようなんてしなくていいんだ。
メッキはいらない。ただ、そのままで、十分なんだ。


そういうスタンスでいるほうが、よっぽど簡単に、世界はその輝きを増してくる。
いえ、もっと正確に言うと、自分が見ることを拒否していた世界の輝きが自分の視界に入ることを、やっと自分に許せるってことでしょうね。


そうすると、やっとやっと心の深いところでわかるんだ、
世界はもうすでに輝きに、愛に、豊かさに満ちているんだってことが…


なんたる逆説。
なんたる皮肉。

笑えない… だからこそ、笑い飛ばそう!(爆)


ありえないほど簡単な、ありえないほどいつでも手に入る解決策。
なんにでも適用できる、ある種万能の考え方。


+++


ってなわけで、ますます軽く楽しく、ふつ~に、この世界の波乗りを淡々と楽しんでいこうっと。


みなさまもいい「今」をお過ごしください!^^

涼しいぞよ

2008年09月08日 23時59分25秒 | 健康オタク
厳しい残暑が、とかテレビでキャスターがよく言ってるけど、
もう全然平気じゃないですか…と心の中で呟く私。
特に今日は湿度がこれまでよりも低く感じられ、「爽やかだ~~!」と、風を受けつつウットリしてました(笑)

とはいえ、確かに、就寝時でもタオルケットすら要らんと思うくらい温度はしっかり高いわけだけど…この夏の連日の猛暑に鍛えられたらしく、ここのところの暑さなんて、辛くも何ともない。(汗ばみはするけど、それだけさ。)

ふふふん(^^)、この夏もしっかりと汗をかいてかいてかきまくったし、この分だと来年の夏はさらに過ごしやすくなるかもね!☆と期待はふくらむ~~

++

あ。
例の、肌のブツブツですが。
あっという間におさまってしまいました。らっきー^^
結局あせもだったような気が濃厚にします。
盛夏の時期に出来ずに、今更っていうのが不思議と言えば不思議だけど、過ぎたことなのできっとさっさと忘れることであろう(笑)

さ~、では今日もおつかれさまでした!
幸せな眠りを貪ろうっと☆

皆様も良い夢を^^

これは、なに?

2008年09月05日 20時41分44秒 | インナー・ワーク
右耳の裏やら首筋(背面のほう)やらに、ぶつぶつなにかが出来てきました…。
なんだろうなんだろう。少しだけ痒みはあるけど、別に気になるわけじゃない。
絶妙に見えない位置なので、想像するしか出来ない。
なんだろうなぁ。
あせも? 湿疹? っていうかあせもと湿疹って違うの?
(私は皮膚疾患を殆ど経験したことがないので、違いがわからない)
ネットで検索しても、わかったようなわからないような…
「私のこの肌の状態」がなにかなんて、ネットじゃやっぱりわからないもんですね。
となると専門家であるお医者様に行くのがいいのでしょうが、
なんちゅーかそこまでの必要性を感じない(笑)
そもそも皮膚が強いほうなので、困ったことがないからでしょうね(ありがたい!)。
(ほぼ唯一気をつけているのは、日焼け。ヤケド状態になると困るから…)


とりあえず、あせも(?)に気付いて3日目なので、もう少し様子を見るつもりです。(もっと正確に言うならば、全然思い出しもしないまま過ごすことになりそう。そうしているうちに、勝手に治るんじゃないかと高を括っています・笑)
結構範囲が広くて、ぶつぶつの数も多いらしいんだけど…、しかも思いっきり人目に触れる場所なんだけど、他の人の目は(自分でも呆れるほど)全く!気にならないしなぁ(笑) (お目障りですみません、とも思わない。あはは)
あ、髪の毛による刺激がよくないかもしれないとは思うので、いつもの通りゴムやヘアピックで束ねて、髪があせも(?)に触れないようにはしています。


…今はこういうふうに気持ちが決まったんですが、それまでは、いろいろこねくり回してました、頭の中で。

 これ、なんだろう? あせも? 湿疹?
 なにか塗ったほうがいいのかな?
 好転反応かな?
 好転反応だとしたら、皮膚に出てくるのもしかして初めてかも。
 ホメオパシーのレメディとか試したほうがいいのかな…

こんなふうに、です。


しかし。なんか今日はスッキリした。

「あ。価値判断をしようとしてた。なんかそういうの、もうめんどくさいな。
好転反応かどうかなんて、確かめようがないからどうでもいいや。

事実だけを観よう。

皮膚に何らかの異常が起きている。ほぼ痒みはない。痛みはない。生活に不都合はない。ヤバイ!って感じはない。

なんだ。それだけか。

じゃあ、観察を続けて、病院に行ったほうがいいなって感じたときには行こう。
それだけでいいんだ。

もしもこうだったら、ああだったらって不安を勝手に膨らませる必要もないんだ。」

…と。


そうしたら、そういう価値判断フリーな感じが、他の事にも波及しました。

一見ネガティブって思えることが起きても、感情を交えず、ただ淡々と事実だけを確認するということです。

例えば、コップが壊れたとしても、ただ、コップが壊れただけと事実認識をする。
そこに、「何か悪いことの前兆?」とか、「私が不注意だから悪いんだ」とか、別に、そんなものを絡めなくてよろしいってこと(笑)

そういう思いが自動的に湧きあがる仕組みになってるなら、それはそれでいい。
湧き上がるものを無理やり押し込めるのも苦労なので、ほっときましょう。
一通り出てきたら、終わるから。
あ、無理やりあれもこれもと追加はしないでいいんですよ(爆)

そうやって、終わったら、出てきたものに引っ張られず、自分の好きなように決めてしまうのがいいらしいなと。

私はわざわざ嫌な気持ちを膨らませたくないので、自分が気にならない、あるいはポジティブな気分になれるようにすることにしました。

「ただコップが壊れただけ。」と淡々とまとめてもいいし、
あるいはもっと景気良く、「これは素晴らしいことの起きる前兆だ!」とか(爆)


そう思ったら、とっても気が楽になりました。
少なくとも、嫌な気持ちを抱いているよりも、ずっとずっとずっといい展開に結びつくのが当然だっていう感触です。

+++

てなわけで、ネガティブな性質を物事に与えて、自分で自分をがんじがらめにするご苦労様な営みとは縁を切ることにしました(笑)


んで、もとの話題に戻って、皮膚ですが。
とりあえずデジカメで現在の状態を記録しておこう。そんで推移を観察しようっと。

あせもだとしたら、子供の頃以来です。
もう9月になったけど、宿題の観察日記をやるような気持ちも覚えたりして、微妙に楽しくもなっているのでした(^^)



体質って変わるのね。

2008年09月03日 21時18分28秒 | 健康オタク
またウォーキングネタです。(飽きた方には失礼^^)

毎日歩いているんですが、大きな変化が一つ。

しょっちゅう出来てた水ぶくれ(靴擦れ)が、全然出来なくなりました!

皮が厚くなったわけでもなく。

ただ、出来なくなりました。ふわぁ。驚いた。

靴擦れ対策として中敷を入れ、かつ出来そうなところにクリームを塗って、刺激を和らげるようにしていたんだけれど、
ある日、(中敷はいれっぱなしなのでいいとして)クリームを塗る暇もなく出かけたところ、何も起きず。

「あれ?」と思って、その後も意図的にクリームを塗らずにいたんだけれど、やはり何も起きず。

それで、体質って変わるんだなと確信した次第です。


体質が変わることなんて、いままでも体験してたんだけれど(笑)、
何回でも驚くな~。

特に、靴擦れは、小さいといえば小さい悩みだけれど、このストレスが減ったのには大感激。嬉しすぎる…☆


こういう嬉しい変化があるのって、励みになるもんですな。

うふふ。あれもこれも変わるのを楽しみに待ってようっと(^^)


ポニョ

2008年09月03日 15時09分15秒 | 日帰りのお出かけ
崖の上のポニョ、見てきました。(映画ネタばっかりだな)

全然観る気なかったのに、ふと、「あ、いいかも」という流れで観て、「よかった!」と思うあたりは、ダークナイトと同じだ(笑)

しかし、後半部分は、、、ねぇ…
あまりにも無理がある展開とかあって、疑問符が湧き上がりまくりでした。

が、前半部分があんまり楽しくて勢いがあるから気になりませんでしたがね。

なんたってポニョが可愛い!

「ポニョ、そうすけ、好き!」
「ポニョ、そうすけのとこ、いく!」

そう決めて、後はその勢いに乗っかってわき目もふらず爆走状態(笑)
超ほほえましいです。



「引き寄せの法則」ってひところ流行ってましたよね。今も本とか売れてるのかな?
私は、こういう本が出てくる前から、「思いは現実になる」っていうのを実体験を通じて知っていたので、この一連の本にはピンときて、感心しつつ何冊か読んでいます。
これは使えるな!って思うところは実践し続けてるし。

でも、まだ上手く活用できていないところがありました。
その一つが、意図の立て方と、立ててからの振る舞い。

そして、まさにポニョがそれらの疑問への完璧な答えとして立ち現れてきた感、あり(爆)

「意図ってどうやって立てるのがいいのかな?」なんて頭で考えてたけど、

「そうすけのとこ、いく!」

これだけでいいんだ、このシンプルさが一番なんだ!とビビビッときたし、

いくって決めたらいけばいいんだな、って。


そして、
「行くって決めたけど、でも、どうやったらいけるんだろう?」
「人間じゃないとだめだな。でもどうやって人間になれるの? ほんとになれるの?」
みたいな疑念や不安を私だったら持ってしまうんだけど、
引き寄せの法則に書いてある、
「どうやったら叶うかなんて考えなくてよろしい。実現を信じて、実現したときのワクワクを感じて、ピンと来たことを行動に移せばいいんだよ」って、こういうことなんだなあと目の当たりにしました(笑)

そして今やよけいな思考でぐるぐる巻きになってたら、一旦思考を止めて、
「ポニョ、そうすけのとこ、いく!」
を唱えるようになってしまいました(笑)

それだけでも、自分自身の願望にスッと戻れる。
「そうだ、私も、私のすきなところにいこう!」と思い出すきっかけになるのです。

ポニョがあんまり可愛かったので、唱えるだけで自然と笑みがこぼれるし。


あ~楽しかった。
その日は映画だけでなくお喋りなどを友達と存分に楽しんだ、充実した一日でした。ありがとね○○さん☆