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Tシャツとサンダルの候

左座家と緒方家


雁俣山を降り駐車場に着いた頃合いで、予報通り、小雨がパラついてきた。

計ったようなタイミングである。

時刻も丁度正午だ。



車を止めさせて貰った東山本店で昼食にした。






私が注文したのは、



「地鶏そばでーす。」


and 



「山女魚の串焼き、お待たせしました。」


20cmを超える山女魚が目の前に。

では早速、



ガブリ


うんめえ。

やっぱ山女魚は美味いね。




食事の後は五家荘へ。


さて、ここで問題である。

菅原道真は、傷心のうちに太宰府でその生涯を閉じた。

ここまでは誰しも知っている。

では、道真の子供らは、どうなっただろう?



数年前に五家荘に来るまでは、私はついぞ知らなかった。

読み辛いとは思うが、下の由来を読んでいただきたい。



藤原氏に追われて、遙々こんな山奥まで逃げ込んで来ていたのだ。

平家の落人がここに住み着く、実に300年も前の事である。



左座(菅原氏)二家と緒方(平氏)三家を合わせて五家。

五家荘の由来である。



そんな左座家の歴史を語ってくれるのは、無論、左座さんちの奥さん(向かって左)である。

早い話が、菅原道真公直系の子孫の奥方様なのだ。

世が世なら、ハハーっと土下座して拝謁すべき所である。









入口が3つある。

ここは身分の高い者しか上がれなかった、一番格式が高い玄関。

菅原家の家紋である梅の文様が(写し忘れた)彫られている。



二階の隠し部屋。







江戸末期に書かれた古文書。

当時の左座家の当主が、子孫に向けて書き残したのだろう。

左座家代々の歴史が記されている。





移動。

国道沿いには、平家の落人である緒方家がある。

私は2年前に立ち寄っていて、スルーしたいところだが、


「私らは行ってなーい。」(ブーフーウー)


勿論、行きますとも!



緒方家。

平清盛の孫の清経は、公式には壇ノ浦で死んだ事になっている。

ところがどっこい、この家の伝承では、

長い逃避行の末、この地に辿り着き、緒方と名を変え住み着いた。

となっている。

真否はどうであれ、少なくとも、平家の貴人だった事は間違いなかろう。



それにしてもである。

先住の左座家が、よく受け入れたものだ。

平穏な暮らしの中に、突然やって来たのは、いつ何時、追討の兵がやって来るか分からない平家の落人なのだ。

この地に密かに隠れ住んでいた左座家にとって、これほど迷惑千万な集団はなかったろうに。



こちらも丁寧に説明してくれる。


「この家は築300年です。」(オジサン)

「ほほう。」(ブーフーウー)

(知っとる 私)



「あれをご覧ください。屋根裏の黒い壁の裏は、隠し部屋になっとります。」(オジサン)

「ほほう。」(ブーフーウー)

(知っとる 私)






「これは生首を入れた棚と伝えられています。」(オジサン)

(え!それって、初めて聞いた)

「ほほう!」(一同)






ん?


ちょっと待てよ。

さっき、築300年って言ったやん。

この家が建った頃って、とうに、太平の世になっとらんか?



とは、


言ってないけどね。



「裏に回れますバイ。赤マンサクが綺麗かですよ。」(オジサン)




ほんとだ。

マンサクだ。






「そんじゃ、皆さん。そろそろ久留米に帰りますバイ。」

「ハーイ ( ̄∇ ̄*)ゞ 」

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