せみ丸御前隠密道中!

社長秘書!慇懃無礼な赤裸々日記!さそり座!B型!既婚!焼酎命!独り言 妄想 無礼講で♪ 夢は猫と犬に囲まれて自給自足♪

豆 芋 麦

2012年01月08日 | Weblog
たこれは
母方祖父母共に74歳滋賀県北部在住に聞いた話しである
当時は戦時中、戦時中とはいえまだ幼い祖父母は戦争に行くことも無く

主食になるもの

まずは豆
豆のほとんどが大豆
湯がいてしょうゆをかけて食べるのが主流
他は味噌汁にもなるので加工して味噌にしたとの事
にがりを加え自家製の豆腐も作ったようだ
小豆はあっても砂糖が希少価値だった為なかなか口に入らなかったらしい

芋はじゃがいも、さつま芋
じゃがいもはご飯に混ぜて一緒に炊く
茹でて塩で味付けおやつ代わりにもなったそうだ
今でこそポテトチップス等バリエーションがありそうな物だが
当時は戦時中油が無かったそうだ
さつま芋も同じく
ご飯に混ぜて炊くかふかしておやつしかないが
天日に干すと甘みが増すので少々硬いが最高のおやつだったそうだ

麦については
やはりご飯に混ぜて炊く
石臼で引いてハッタイ粉と言うものにしてお湯で溶き貴重な少しばかりのき砂糖を混ぜて食べたとの事
他にはうどんにしたり団子にしたりして主食ご飯の代わりにしたようである


あわ ひえはこの健康飽食時代、自然食品で良く耳にはするが
あわはご飯に混ぜて食べたが
ひえに至っては食べたことが無いとの事


野菜に至っては
野草のあざみを茹でて食べたらしい
他にふき、よもぎ、わらび、ぜんまい、
どれも食するには灰汁抜き等手間のかかる植栽であったらしいが
戦時中大切な食糧確保のためには面倒だとは思わなかったらしい
そんな戦時中でもわらび、ぜんまいは今と同じく高級食材でなかなか口に入らなかったらしい
えごまを栽培し大根等の和え物に重宝したようだ

山では栗を拾って栗ご飯にしたり
山椒の実、うど、たらの芽
栃の実を採って栃餅にして食べたらしい
因みに滋賀湖北では栃餅は今ではなかなか手に入らない為
地元の産物として扱われたいる

蛋白源
魚はむつ、いわな、どじょう、鮎
山間の地区であるがゆえ琵琶湖はあっても海には程遠くに川魚がメインで
どれも甘辛く煮付けるか塩焼きで食べたようである

鳥は鶏を飼って卵を食べたようである
他に今では考えられないが、鳩、スズメ、山鳥というものを食べていたらしい

牛豚という肉についてはほとんど口にした事が無いらしい

以上の他にふきのとう、タンポポ、よごみ、どくだみ等食べていたようだ


戦時中何でも口にすると思われてるが蛇や亀というものは流石に食べなかったらしい

何でも手に入る飽食の時代に生き、戦地中食べ物の無い時代に如何においしく食材を使うかと
考えて今を生きる祖父母達に改めて畏敬の念を払わずにはいられないと思った

コメント
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