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写真展 水俣を見た7人の写真家たち2009

私たちの街・さがみはらでの開催のために手を貸していただけませんか
2009写真展開催準備会

プレ・イベント『チョコラ!』上映会の収支報告

2009-10-03 | さがみはら写真展への道
 9月4日、私たちは、来年2月の写真展開催に向けて大きな節目となるプレ・イベントである『チョコラ!』の上映会に取り組みました。もともとは、開催資金づくりの策として企画したものですが、いま、上映会を終えて、得たモノのお金に変えがたい大きさを感じています。なんという学びに満ちていたでしょう。なんという出会いに満ちていたでしょう。そして、その学びと出会いは、この街でくらしていくことを照らしてくれるものになる予感がします。ここで、まず、写真展開催を 
 応援してくださった『チョコラ!』関係者に、厚くお礼申し上げます。小林監督、編集の秦さん、トークにサイン会、ありがとうございました。
それから―。やっぱり、子どもたちにお礼をしたいのです。願いの前に何も怖れることはない、伝えたい気持ちこそ始まり、と教えてくれた子どもたちに・・・。ありがとう!【さがみはら開催実行委員会】

 『チョコラ!』上映会の始まり

 相模原南市民ホールを会場にして行われたプレ・イベント『チョコラ!』上映会は、「ボランティアチャレンジスクール」に参加してくれた相模原市立南新町中学校2年生の少女たちの挨拶で始まりました。「チョコラ」はスワヒリ語で「拾う」を意味する、ストリートにくらす子どもたちの蔑称です。そこには、もちろん社会の歪みや様々な問題が横たわっています。しかし、彼らは自ら「チョコラだぜ!」と「!」を付けて歌うのです。挨拶をしてくれた少女たちは、こう感想を語りました。「少年たちの笑顔を見たとき、彼らは、彼らの人生を生きている、と思った」と。それは、たぶん、声高に諭そうとはせず、ひたすら「チョコラ」たちに寄り添った小林監督のまなざしから見えてきたものでしょう。そう、新潟水俣病を記録した映画『阿賀に生きる』のカメラマンとして、佐藤真監督とともに描き出した、あのまなざし。それは、その後の監督作品『わたしの季節』(2004年)などを経てさらに深くなり、ただ寄り添うことで拓ける「共感」や「共生」を描いているのでした。

            

  小林監督のトークには、編集の秦さんも 

 上映後のトークは、「チョコラ」たちとのやりとりを生き生きと語ってくれた監督だけでなく、1年半の編集作業を果たした秦さんにも加わっていただきました。会場のみなさんとの交流は、トークだけでなくサイン会のときまでつづいたのでした。写真は、会場からの質問を受けるトークのようす。





 サイン会のとき視覚障害の方に映画音楽として使われていた親指ピアノに触ってもらい説明する小林監督。傍らに立つのは秦さん。

  共感を拓いた音声ガイド 

 今回の上映会は、音声ガイド付きのものでした。音声ガイドをつくり、読み、聞いてもらうこと、そのすべてが初めての体験でした。私たちのガイドができあがったのが8月末。台本を手に読む練習が始まったのが9月1日。音声を流すためのFM発信機(下写真の右が音声ガイド役の有山さん。有山さんが手にしているのがFM発信機とそのアンテナ。上映会の最後に、代表の田嶋がマイクで紹介した)を初めて見て、送信テストをしたのが9月2日の夜。思えば、無謀なチャレンジでした。多くの方の援助がなくては果たせないことでした。また、当日用意した48台のラジオすべてを貸し出して、障害の有無なく音声ガイドを体験してもらいました。音声ガイド付き上映を初めて体験したという津久井からおいでの視覚障害の方が、帰り際、わざわざスタッフに握手を求めていかれました。その手の記憶が、写真展開催に向かう元気のもとになりました

                 
 
『チョコラ!』公式サイトへ

モヨ・チルドレンセンターへ 

これまでの報告 4月~9月

2009-10-02 | さがみはら写真展への道
 写真展開催のための動きと諸々の報告 4月~9月

 既に記事でご報告済みものもありますが、時系列で4月以降の動きを掲載してみました。抜けているものや関係ないものもあるかもしれませんが、ご了承ください。
 この間、団体や個人の皆さまに、沢山のつながりをいただきました。ご理解とご協力に心から感謝いたします。

2009年4月 **********

4月9日  第4回<写真展 水俣を見た7人の写真家たち>さがみはら開催実行委員会(南新町児童館にて)
4月15日 「水俣病患者救済特措法」国会上程にともなう患者団体申し入れに同行
4月18日 長野市アースデー分散会に出前
4月22日 さがみはら写真展開催のためのグリーンホール相模大野・多目的ホール施設下見
4月24日 相模原・町田地区大学コンソーシアムに写真展協力依頼
4月27日 相模原市教育委員会教育局長に面会、協力依頼
4月28日 新百合ヶ丘にて、2008年度の伝えるネット会計監査

2009年5月 **********

5月2日 <飲水思源 川本輝夫さん逝去10年の集い>(東京水道橋・全水道会館にて)に参加。
5月4日 新潟<2009年追悼集会 「阿賀の岸辺」にて>に参加
5月11日 第5回<写真展 水俣を見た7人の写真家たち>さがみはら開催実行委員会(南新町児童館にて)
5月14日 芝浦工業大学システム理工学部システム環境学科「環境と文明社会」第5講に出前
5月14日 ひとり芝居「天の魚」(東京不知火座)とトーク「立岩真也(社会学者、発題)×鬼頭秀一(環境倫理学/科学技社会論、応答)“1969”から考え継ぐ」(東京大学駒場キャンパスにて)に参加
5月24日 さがみはらグリーンフェスティバル’09(相模原市横山グリーンプールが会場)に展示参加
5月30日 「公害・薬害・職業病被害者補償・救済の改善を求めて」シンポジウム(水道橋YMCAアジア青少年センターにて)参加

2009年6月 **********

6月3日 水俣病資料館より「水俣を見た7人の写真家たち リレートークinみなまた」寄贈される
6月10日 愛知大学 ボランティア活動論に出前講座
6月14日 伝えるネット総会後、第6回<写真展 水俣を見た7人の写真家たち>さがみはら開催実行委員会(Alma en musique)
6月28日 さがみはら環境まつり出展

2009年7月 **********

7月3日 衆議院議員面会所における水俣病救済法についての臨時集会に参加
7月6日 第7回<写真展 水俣を見た7人の写真家たち>さがみはら開催実行委員会(南新町児童館にて)
7月12日 「相模原のゴミ問題を考える市民連合」MLに以下のメールを投稿
7月30日 タウンニュース社・井坂氏の取材対応(田嶋)、南市民ホールと打ち合わせ

2009年8月 **********

8月3日、7日、19日 「さがみはらボランティアチャレンジスクール」実施。中学生とともに写真説明文づくり
8月10日 第8回<写真展 水俣を見た7人の写真家たち>さがみはら開催実行委員会(南新町児童館にて)
8月14日 バリアフリー映画鑑賞推進団体・シティライツ主催の音声ガイド勉強会に参加
8月18日 「水俣病の診断でウソをつく」等の発言した環境省環境保健部長・原徳壽氏の解任要望書に賛同

2009年9月 **********

9月2日 さがみはらサポートセンター利用者懇談会に参加
9月4日 <写真展 水俣を見た7人の写真家たち>プレ・イベント『チョコラ!』上映会開催(相模原南市民ホール)
9月12日~30日 市民活動パネル展示(サポートセンター主催)に参加
9月14日 第9回<写真展 水俣を見た7人の写真家たち>さがみはら開催実行委員会(南新町児童館にて)
9月21日~24日 写真展準備活動の一環として水俣現地研修

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これからのお知らせ

2009-09-30 | さがみはら写真展への道
 <ノーモア・ミナマタフォーラム in 横浜 「日本の水俣病、そして中国」展>(仮題)

 さがみはらの写真展に先駆け、2009年11月3日~11月29日、JICA(国際協力機構)横浜1Fホールにて<ノーモア・ミナマタフォーラム in 横浜「日本の水俣病、そして中国」展>(仮題)が開催されます。

 主催は公害・地球環境問題懇談会で、「7人の写真家たち」展とともに中国の「黒竜江省・第二松花江沿岸の水俣病検診」「貴州省の水銀汚染と国際水銀会議」の展示が行われます。関連イベントも多彩に企画されるようです。お出かけください。

11月7日(土) ********************************
 
 講演「中国松花江流域住民のメチル化水銀汚染の影響に関する臨床疫学的研究」
     藤野 糺氏(水俣協立病院名誉医院長)

 詩の朗読 「水俣のこころ」 浅見 洋子

11月15日(日) ********************************

 シンポジウム「写真家たちの見た過去と今の水俣」
         桑原史成、小柴一良、宮本成美、田中史子

詳しくはこちらへ

 

さがみはら写真展

2009-09-20 | さがみはら写真展への道
 来年2月には、豊橋でも浜松でも象徴的に使わせていただいた芥川仁さんが撮影した杉本栄子さんと大村トミエさんの写真をさがみはらにいっぱいにしようと思っていました。伝えるネットに縁の深いお二人の、私たちがその場に居合わせてもらった、あの、手を取り微笑み合っている写真をいっぱいにして、そこに、大村トミエさんをお迎えする――。 その願いは、大村トミエさんの突然のご逝去によって果たせなくなりました。

 8月14日、関東でただひとり実名を公表して水俣病体験を語った大村トミエさんは、彼岸に旅立ってしまいました。彼岸の杉本栄子さんのお迎えを受けて、四六時中やまなかった頭痛からも解放されて、お二人で微笑み合っておいででしょうか。2004年10月15日、最高裁の判決をいちばんに仕事先に電話で知らせてくださったのは、トミエさんでした。「勝った、勝った!」という弾んだドミエさんの声を忘れることができません。あのときの判決はどうなったのか。政権交替の直前に成立した水俣病救済法をどういう気持ちで受け止めていたかと思えば、さらに胸が詰まります。

 そして、改めて思うのです。私たちは「水俣」のことを知らなさ過ぎる、と。結局は、誰を救い、誰を救えなくなるか、ということを問いきれずに水俣病救済法を成立させたものは何だったのか、と。―知ろうとする覚悟と、継いでいこうとする意志が試されている気がします。大村トミエさんと出会えたことに感謝を捧げます。(田嶋)



以上は2009.9・16発行のネット・インフォメーションVol.38の冒頭部分の抜粋です。

ご案内です

2009-09-15 | さがみはら写真展への道
 ノーモア・ミナマタ フォーラム in 横浜(仮称)
『日本の水俣病、そして中国』展の開催(ご案内) 

展示 『中国の水銀汚染』展、写真展『水俣をみた7人の写真家たち』
期日 11月3日(火)から29日(日)まで
会場 JICA横浜1階ホール
主催 公害・地球環境問題懇談会

 水俣協立病院名誉院長・藤野先生のお話、写真家たちのシンポジウム、水俣病支援全国連絡会のつどいなど、イベント企画も計画されています。写真家・田中史子さんが関わっていらっしゃいます。

詳細はこちらへ