ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎>に行ってきました。<2002年第3回の招待写真家は相模原在住の江成常夫さん(オープニングトークにおいでいただく写真家のおひとりです)でした。また、2007年第8回は「水俣を見た7人の写真家たち」展が水俣市に次ぐ巡回展として開催されています。宮崎は、その7人の写真家のおひとり芥川仁さんが住み、この写真フェスティバルの実行委員会事務局もされていらっしゃるのです。
今年の招待写真家は本橋成一さんでした。 『ナージャの村』『アレクセイの泉』と、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故のために放射能の降りそそいだ村(たぶん、現在もなお降りそそぎつづけていると思われますが)を撮って、現代にみえなくなった「いのちが見えてくる」写真作品を発表している本橋さんのお話に心えぐられる思いがしました。村から出て行くことを勧める役人に向かっていつもロシアの詩人エセーニンの詩の一節「天国はいらない。ふるさとがほしい」と答える男性。そこだけまったく放射能に汚染されていない水を湧きだす泉は、100年前、もしくは1000年かけて湧きだしているだろうと思えるのだけれど、だとするなら、100年後、あるいは1000年後、放射能に汚染された水を湧きだすことになるのだろうか、と。今生きている誰もがそのときには生きていず、未来のいのちがその放射能を負担することになる、と。
私たちが水俣の写真のなかに見いだすものも、おそらく、「見えてくるいのち」だという気がしています。<ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎>を覗きに行って、写真が刻印する「いのち」に思いを馳せるひとときとなりました。
この写真祭、市民参加の実行委員会方式で運営されています。10月17日から11月1日まで。入場料500円。10月1日に開館した「みやざきアートセンター」のこけら落としの展示会として行われています。来年2月の私たちの写真展は入場無料ですが、あえて入場料を設定することで、入場者の考えや気持ちが実行委員会に還ってくるという意見もいただきました。市民が主催する写真展のあり方として示唆をいただくことになりました。私たちの写真展の入場無料が変わることはありませんが、では、どうやって来場してくれる人や、来場してもらえなかった人の考えや気持ちを汲み上げていくのかという課題は残ります。より多くの方に、水俣の写真を見ていただくために、模索と努力を重ねていくつもりです。
なお、芥川さんには、現在、「さがみはらを見た写真家」となっていただいて、相模原の撮影に取り組んでいただいています。年内いっぱいの取材のなかで、私たちがくらしている相模原がどんなふうに立ち現れるか、とても楽しみです。(報告・田嶋)
<ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎>については、写真家・芥川仁さんのHPで

会場となっているみやざきアートセンターの外観

写真のために作曲されたピアノの音がさらに写真への感性を拓いてくれたようにかんじられた
「写真と音楽 対話のステージ」のチケットです。
伝えるネットのホームページへ
今年の招待写真家は本橋成一さんでした。 『ナージャの村』『アレクセイの泉』と、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故のために放射能の降りそそいだ村(たぶん、現在もなお降りそそぎつづけていると思われますが)を撮って、現代にみえなくなった「いのちが見えてくる」写真作品を発表している本橋さんのお話に心えぐられる思いがしました。村から出て行くことを勧める役人に向かっていつもロシアの詩人エセーニンの詩の一節「天国はいらない。ふるさとがほしい」と答える男性。そこだけまったく放射能に汚染されていない水を湧きだす泉は、100年前、もしくは1000年かけて湧きだしているだろうと思えるのだけれど、だとするなら、100年後、あるいは1000年後、放射能に汚染された水を湧きだすことになるのだろうか、と。今生きている誰もがそのときには生きていず、未来のいのちがその放射能を負担することになる、と。
私たちが水俣の写真のなかに見いだすものも、おそらく、「見えてくるいのち」だという気がしています。<ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎>を覗きに行って、写真が刻印する「いのち」に思いを馳せるひとときとなりました。
この写真祭、市民参加の実行委員会方式で運営されています。10月17日から11月1日まで。入場料500円。10月1日に開館した「みやざきアートセンター」のこけら落としの展示会として行われています。来年2月の私たちの写真展は入場無料ですが、あえて入場料を設定することで、入場者の考えや気持ちが実行委員会に還ってくるという意見もいただきました。市民が主催する写真展のあり方として示唆をいただくことになりました。私たちの写真展の入場無料が変わることはありませんが、では、どうやって来場してくれる人や、来場してもらえなかった人の考えや気持ちを汲み上げていくのかという課題は残ります。より多くの方に、水俣の写真を見ていただくために、模索と努力を重ねていくつもりです。
なお、芥川さんには、現在、「さがみはらを見た写真家」となっていただいて、相模原の撮影に取り組んでいただいています。年内いっぱいの取材のなかで、私たちがくらしている相模原がどんなふうに立ち現れるか、とても楽しみです。(報告・田嶋)
<ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎>については、写真家・芥川仁さんのHPで


会場となっているみやざきアートセンターの外観

写真のために作曲されたピアノの音がさらに写真への感性を拓いてくれたようにかんじられた
「写真と音楽 対話のステージ」のチケットです。
