デリーに1泊、リシュケシュに1泊、ピパルコテイに1泊 計3泊してやっと
登山口の「ガンガリヤ」に着きました。
デリーからリシュケシュまでは平地でしたが
後は山地に入りヒヤヒヤのバス旅でした。
人が住むところには棚田あり。それにしてもとても高いところに拡がる棚田。
途中トイレ休憩で立ち寄ったところで見たご老人。76歳とのこと。
そばにいた孫が「日本に連れて行ってくれ」というのです。
「ノーサンキュウ」と丁寧にお断りしてきました。
山はますます深く狭い道路をバスはガタガタ、時にはジャンプしながら走ります。
いつ岩が落ちてくるかわからない箇所が次次に現れます。
道路の作り方が大胆なインド。あの道をバスは走ってきたのかとため息。
4日目のお昼前やっと「ゴビンガート」に到着。
バスはここまで。ここからは歩くか馬で「ガンガリヤ」まで。
14kmの石の道。そして高度3000mのところにあるガンガリヤ。
私はもちろん馬のお世話になりました。
馬で5時間もかかりました。歩く人は8時間くらいでした。
馬上からは一枚も写真が撮れず。緊張の5時間でした。
写真は途中休憩した茶店から見た渓谷。
ホテルの近くにたむろする馬子や駕籠かきの人たち。
ほとんどネパールから夏の間出稼ぎに来ている人たち。
馬に乗るのも大変な人はかつぎやさんのお世話になる人もいます。
この人たちはシーク教の巡礼者で花の谷ではなく「ヘムクンド」への行く人たちです。
*やっと4日目に登山口のガンガリヤに着きましたが、私はすでに軽い高山病にかかってしまいました。
食事がのどを通らず、部屋の水も思うように出ないし電気も故障でした。
大変ところに来てしまったと心細い夜を過ごしました。
登山口の「ガンガリヤ」に着きました。
デリーからリシュケシュまでは平地でしたが
後は山地に入りヒヤヒヤのバス旅でした。
人が住むところには棚田あり。それにしてもとても高いところに拡がる棚田。
途中トイレ休憩で立ち寄ったところで見たご老人。76歳とのこと。
そばにいた孫が「日本に連れて行ってくれ」というのです。
「ノーサンキュウ」と丁寧にお断りしてきました。
山はますます深く狭い道路をバスはガタガタ、時にはジャンプしながら走ります。
いつ岩が落ちてくるかわからない箇所が次次に現れます。
道路の作り方が大胆なインド。あの道をバスは走ってきたのかとため息。
4日目のお昼前やっと「ゴビンガート」に到着。
バスはここまで。ここからは歩くか馬で「ガンガリヤ」まで。
14kmの石の道。そして高度3000mのところにあるガンガリヤ。
私はもちろん馬のお世話になりました。
馬で5時間もかかりました。歩く人は8時間くらいでした。
馬上からは一枚も写真が撮れず。緊張の5時間でした。
写真は途中休憩した茶店から見た渓谷。
ホテルの近くにたむろする馬子や駕籠かきの人たち。
ほとんどネパールから夏の間出稼ぎに来ている人たち。
馬に乗るのも大変な人はかつぎやさんのお世話になる人もいます。
この人たちはシーク教の巡礼者で花の谷ではなく「ヘムクンド」への行く人たちです。
*やっと4日目に登山口のガンガリヤに着きましたが、私はすでに軽い高山病にかかってしまいました。
食事がのどを通らず、部屋の水も思うように出ないし電気も故障でした。
大変ところに来てしまったと心細い夜を過ごしました。
インドは世界観が変わったとハマる人と、
二度行かない人と、どちらかって聞いた事が
あります。
八代は大体晴れでしたよ。
次回、帰省の折はお会いできますように(^^)/
確かにインドに行くと世界観が変わりますね。
私はしばらくはもう行かなくてもいいと思い
ますが、将来どうでしょうか。
毎日猛暑が続いています。お二人ともお体を
大切にね。