「さあ、行くぞアルフィン」
ゴーグルを掛けなおして、ジョウがあたしを促す。
えええっ。あたしは怯んだ。足がすくむ。
つい気弱な声が出てしまう。
「ほ、ほんとに行くの? こんなとこから」
「大丈夫。もう基本はマスターした。それに、いざとなったら俺がついてる」
ジョウは笑った。陽光を受けて覗いた白い歯が輝く。
「で、でもオ」
「怖がるな。ただ、転ぶときは思いっきりいけ。変に突っ張ると骨を折るぞ」
「骨?」
それって骨折ってこと?と喚こうとするあたしを遮って、ジョウは「ほら、行こう」と板の先を行く手に向けた。
にこりと笑みを浮かべたまま。余裕綽々、んもう。ほんとににくったらしいったら!
こうなったらやぶれかぶれだわ、ここで行かなきゃ、女が廃るってもんよ。
あたしは腹を決めた。ストックのグリップを握り直し、板を気持ち八の字にして重心を前に預ける。
ぐっと踏み込むと新雪の手応えがあった。
軽い真綿の下、水気を含んだ氷砂糖のようなざりりとした感触が板から伝わる。
「えいっ」
ストックで雪を噛み、身体をぐっと前に押し出す。
少し抵抗があったけれど、すぐに滑らかに雪に乗ることができた。
進む。滑り出す。
白一面のゲレンデに。風を受ける。反射した光がまぶしい。
ゴーグル越しでも、それを感じる。
あたしが進んだのを見届けて、ジョウが追ってくる。雪をエッジが掴むじゃっという音が間近で聞こえる。すぐに彼はあたしの隣に並ぶ。
スピードをセーブして、初心者のあたしに合わせて滑る。
「上手いぞ、その調子だ」
声をかけてくれる。あたしは安心して、勢いに乗る。
へっぴり腰になっていませんように、上手に滑れていますように。
「下を向くな。顔を上げて前を見るんだ」
ジョウが言う。
「怖いだろうけど、大丈夫だ、景色を見ろ。――爽快だぜ」
ああ、そうだ。
この人は、いつも前を向く。それがどんなキツいときだろうと、歯を食いしばってでも前を。
いつだって彼の目には壮大な宇宙や視界を遮るもののない銀世界が映るのだ。
あたしは心強くなる。うん、大丈夫。
隣にこの人がいるなら、何が起こったって大丈夫なんだ。それは、空でも陸でも変わらない。
怖くない。
だからあたしは勢いをつける。八の字だったスキー板の角度を、平行に合わせるようにする。と、スピードが増していく。
加速する。
あはっ。
「すごい、ジョウ、気持ちいい!」
つい声を上げると、ジョウが「だろう」と笑った。
気分は、最高!
あたしたちは緩やかな軌跡を描いてゲレンデを降りてゆく。
白一面の世界に包まれながら。
「っとに、愉しそうだねえあの二人は」
「無邪気なんですよ、デフォルトが。犬っころみたく」
「そりゃちとディスリが入ってますぜ、リッキーの旦那。お前さんもせっかくなんだから、ボードに乗ってナンパでもしてきちゃどうだい」
「へっ、俺らはここでスキー場に来てもすることがなくて、ロッジで暇してるご老体につきやってやってんの、わざわざ。感謝してもらいたいぐらいだね、全く」
「へっへっへ! ナンパしても袖にされるだけなのが分かってるから、出かけねえんだろうが、臆病もんが」
「なんだとう! 聞き捨てならねえな」
「おう、やるか」
「やるとも、表出ろ」
「おうよ、―――あ、」
そこで、拳をかざしていたタロスの動きがぴたりと止まる。ファイティングポーズを取っていたリッキーもつられて窓の外を見た。
二人の視線の先には。
「アルフィン。すっ転んでら」
「派手にいったな……」
「大丈夫かな」
「ああなんとか立ち上がった。――大丈夫だろ、ジョウがついてる」
いつもな、と老クラッシャーが微笑む。
口元に柔和な笑みを蓄えた彼を、相棒が見遣る。知らず同じ表情になった。
二人は目を見交わした。
「にしたって、ジョウはアルフィンには甘いよな。バレンタインのお返しがこれだもん」
スキー場のゲレンデを貸し切って、生まれて初めてのスキー体験をプレゼントなんてなあ。
「普通の男じゃ思いつかねえしできねえよ。経済的にもな」
「まあ俺らたちはバカンスをかねてゆっくりできるからいいことにしておくか」
「そういうことだよ」
タロスは片目をつぶる。
リッキーはまた滑り出した二人を目で捉えた。淡い粉雪が舞い始めたゲレンデ。
「あの二人には海も山も似合うねえ」
そう呟いたリッキーにタロスが言った。
「ばあか、ロケーションは関係ねえんだよ。あの二人が一緒だから似合うんだ」
「あ、そっか」
なるほどね。
「ココアでも飲むか、奢るぜ」
「いいね」
停戦協定をアイコンタクトで結んで、リッキーとタロスは店員に追加オーダーを告げた。
白に塗りつぶされる景色の中、温かなひとときを、彼らは過ごした。
END
ゴーグルを掛けなおして、ジョウがあたしを促す。
えええっ。あたしは怯んだ。足がすくむ。
つい気弱な声が出てしまう。
「ほ、ほんとに行くの? こんなとこから」
「大丈夫。もう基本はマスターした。それに、いざとなったら俺がついてる」
ジョウは笑った。陽光を受けて覗いた白い歯が輝く。
「で、でもオ」
「怖がるな。ただ、転ぶときは思いっきりいけ。変に突っ張ると骨を折るぞ」
「骨?」
それって骨折ってこと?と喚こうとするあたしを遮って、ジョウは「ほら、行こう」と板の先を行く手に向けた。
にこりと笑みを浮かべたまま。余裕綽々、んもう。ほんとににくったらしいったら!
こうなったらやぶれかぶれだわ、ここで行かなきゃ、女が廃るってもんよ。
あたしは腹を決めた。ストックのグリップを握り直し、板を気持ち八の字にして重心を前に預ける。
ぐっと踏み込むと新雪の手応えがあった。
軽い真綿の下、水気を含んだ氷砂糖のようなざりりとした感触が板から伝わる。
「えいっ」
ストックで雪を噛み、身体をぐっと前に押し出す。
少し抵抗があったけれど、すぐに滑らかに雪に乗ることができた。
進む。滑り出す。
白一面のゲレンデに。風を受ける。反射した光がまぶしい。
ゴーグル越しでも、それを感じる。
あたしが進んだのを見届けて、ジョウが追ってくる。雪をエッジが掴むじゃっという音が間近で聞こえる。すぐに彼はあたしの隣に並ぶ。
スピードをセーブして、初心者のあたしに合わせて滑る。
「上手いぞ、その調子だ」
声をかけてくれる。あたしは安心して、勢いに乗る。
へっぴり腰になっていませんように、上手に滑れていますように。
「下を向くな。顔を上げて前を見るんだ」
ジョウが言う。
「怖いだろうけど、大丈夫だ、景色を見ろ。――爽快だぜ」
ああ、そうだ。
この人は、いつも前を向く。それがどんなキツいときだろうと、歯を食いしばってでも前を。
いつだって彼の目には壮大な宇宙や視界を遮るもののない銀世界が映るのだ。
あたしは心強くなる。うん、大丈夫。
隣にこの人がいるなら、何が起こったって大丈夫なんだ。それは、空でも陸でも変わらない。
怖くない。
だからあたしは勢いをつける。八の字だったスキー板の角度を、平行に合わせるようにする。と、スピードが増していく。
加速する。
あはっ。
「すごい、ジョウ、気持ちいい!」
つい声を上げると、ジョウが「だろう」と笑った。
気分は、最高!
あたしたちは緩やかな軌跡を描いてゲレンデを降りてゆく。
白一面の世界に包まれながら。
「っとに、愉しそうだねえあの二人は」
「無邪気なんですよ、デフォルトが。犬っころみたく」
「そりゃちとディスリが入ってますぜ、リッキーの旦那。お前さんもせっかくなんだから、ボードに乗ってナンパでもしてきちゃどうだい」
「へっ、俺らはここでスキー場に来てもすることがなくて、ロッジで暇してるご老体につきやってやってんの、わざわざ。感謝してもらいたいぐらいだね、全く」
「へっへっへ! ナンパしても袖にされるだけなのが分かってるから、出かけねえんだろうが、臆病もんが」
「なんだとう! 聞き捨てならねえな」
「おう、やるか」
「やるとも、表出ろ」
「おうよ、―――あ、」
そこで、拳をかざしていたタロスの動きがぴたりと止まる。ファイティングポーズを取っていたリッキーもつられて窓の外を見た。
二人の視線の先には。
「アルフィン。すっ転んでら」
「派手にいったな……」
「大丈夫かな」
「ああなんとか立ち上がった。――大丈夫だろ、ジョウがついてる」
いつもな、と老クラッシャーが微笑む。
口元に柔和な笑みを蓄えた彼を、相棒が見遣る。知らず同じ表情になった。
二人は目を見交わした。
「にしたって、ジョウはアルフィンには甘いよな。バレンタインのお返しがこれだもん」
スキー場のゲレンデを貸し切って、生まれて初めてのスキー体験をプレゼントなんてなあ。
「普通の男じゃ思いつかねえしできねえよ。経済的にもな」
「まあ俺らたちはバカンスをかねてゆっくりできるからいいことにしておくか」
「そういうことだよ」
タロスは片目をつぶる。
リッキーはまた滑り出した二人を目で捉えた。淡い粉雪が舞い始めたゲレンデ。
「あの二人には海も山も似合うねえ」
そう呟いたリッキーにタロスが言った。
「ばあか、ロケーションは関係ねえんだよ。あの二人が一緒だから似合うんだ」
「あ、そっか」
なるほどね。
「ココアでも飲むか、奢るぜ」
「いいね」
停戦協定をアイコンタクトで結んで、リッキーとタロスは店員に追加オーダーを告げた。
白に塗りつぶされる景色の中、温かなひとときを、彼らは過ごした。
END
あ~スキー行きたい。
板が錆びてしまう。腕前も駄々下がりだ~。
ゲレンデ貸切なら、他人とぶつかる心配要らないし、
ただ懐がね。
稼いでいる人は、考えることが違うね。
リッキーもスキーでも、ボードでもやって、
覚えた方がいいのにね(笑)
すみません前回のレスを打つ前に、コメントをまたいただいて光栄です。恐縮。
ボードにしようかスキーにしようか迷って、まずはラブシュプールを二人に描いてもらいましょうと。笑
BGMはもちろん「ブリザード」です。笑
ぜひ、雪国へ春スキーにいらしてくださいみなさま!
想像してみましたけどやっぱりジョウはボードよりスキーが似合う気がしました。そういやクラッシュジャケットってバブルの頃のスキーウェアにちょっと似てたりして。
あんなに好きだったのにもう10年以上滑ってません。今やったら骨折しそうだなあー。楽しそうでうらやましい。若いってイイね。
そう言えば、あの海辺のシーンの構図に似ていたかも(無意識です)・・・ スキーよりも温泉って年になっていましたが、コロナの蔓延がようやく終息してきましたので、この春は外に出かけたいですね。楽しみv