「兄貴ってさ、頭、ケガしてから、--うちに戻って来てから、ずっとアルフィンのこと見てるよね」
リッキーという新入りの機関士に言われた。からかってる風ではなく、気づいたことを単純に口にしているといった風に。
<ミネルバ>のブリッジで通常運行の最中。俺は数日前から仕事に戻った。リハビリは継続しながら、薬も常備しながらではあったが。
「……そうか?」
俺は副操縦席に身体を収めたまま、背後を見ずに答える。リッキーは俺の斜め後ろの座席に着いている。頬杖をついてきっとフロントスクリーンをぼうっと眺めているに違いない。今の俺と同じように。
「そうだよ、自覚ないの」
「うん……」
なかった。普通に接していたつもりだった。
でもーー。
俺はそこでくるっと後ろを振り返った。
「だってよ、あんな美人、同じ船にいたら見るだろう普通。俺、あんなきれいな子、今まで側に居たことなかったし、ましてや同業、クラッシャーだなんて信じられない。いったい、なんだってこんなとこに……ええと」
名前、なんだった。俺は焦れた。
「アルフィン」
「そう、そのアルフィンは俺の船に来たりしたんだ」
リッキーは頬杖を解いてじろっとジョウを見やる。
「ダーカーラー、何度も説明したじゃんそこはあ。ピザンっていう連帯惑星の王女様だったんだって、トラバーユしたの!」
「そこんとこが解せねえんだよなあ……。そんな話、現実的にあるか?お前たちみんなして俺を担いでるだろう」
俺は首をひねる。
手術を終えて、タロスが病室に見舞いに来て、あれこれ説明をしてくれた。医者と一緒に。
俺の記憶がどうやら欠損していること。それも、直近の数年ばかり。
その間いくつか、大きな事件に俺のチームが関わり、そのためにメンバーが入れ替わったこと。ガンビーノが鬼籍に入ったこと。邪神を奉る教祖との戦いも悪霊が蠢く都市での財宝探しも、銀河連合主席暗殺未遂事件のことも、タロスはとつとつと話してくれた。
「けっこう、大活躍、してたか。俺」
控えめに感想を言うと、タロスも医師も苦笑した。
「大活躍でしたよ、ジョウ。おやっさんも鼻が高いはずです」
「あの人のことはいいサ」
目の上のたんこぶ。昔からそれは変わらない。
現に、俺が大手術した今だって、見舞いはおろか電話一本寄越さないんだからな。
「とにかくそんなこんなで、今、あんたははたちで押しも押されぬ業界トップのクラッシャーにのし上がったんです。そんな矢先の事故だった……」
俺より目に見えて落ちこんでいるのはタロスの方だ。ずううんんという効果音を背負って俯いてしまっている。
でもなあ。俺は案外楽観的だった。
「……喪ったのはここ数年の記憶だけだろう。幸い、運動機能や言語機能は損傷していないみたいだから、リハビリしたらすぐに仕事に戻れるだろう」
俺はタロスではなく、医師に聞いた。白衣の先生はわずか頷いた。
「まぁリハビリの様子を見ながら徐々にですが、はい」
「ここ数年の記憶だけって、ジョウ、失くしたのはって。それは」
タロスは顔を上げ何かを言いかけた。でも、うまく気持ちを言語化できないみたいに口を震わせ、言葉を呑み込んだ。ややあって、
「……それを、アルフィンや、リッキーの前で言っちゃいけやせんぜ、頼むからあいつらのために、そんな風には言わんでやってください」
腹から絞り出すように、それだけ言った。
俺は口を噤むしかなかった。
リッキーはローデスで浮浪児をやってたという。クラッシャーの前身としてはよくあるパターンだ。根無し草。孤児。身寄りのない、流れ者。そのせいか、割と彼とはすぐ打ち解けることができた。俺の方が年上でリーダーだと言うが、ほとんど気分は友達みたいなノリだ。
でもなあ、一国の王女様だっていうんだぜ、あの女の子は。
アルフィン。
あんなに華奢で、あんなに綺麗な青い目をして、金色の髪はさらっさらで。声は鈴を転がしたみたいに澄んでいて。別の種族みたいじゃないか、まるで。同じ人間とは思えねえよ。
いったいぜんたい、なんだってこんなクラッシャーなんて言う粗野な仕事に身をやつすことになっちまったんだ。しかも、自分から進んで。
俺は伸びかけの坊主頭を掻いた。兄貴、短いのもめっちゃ似合うね、とリッキーがいつも褒めてくれる。GIジョーみたいだよと俺の知らない映画の主人公の名を出して。
絵面は浮かばないが、悪い気はしない。洗うのも乾かすのも簡単だし。
「船の中に、ちょうちょが舞い込んでいるみたいに見えるんだよ。なんだか、場違いなとことに迷い込んで、困ってるんじゃないかと。アルフィンを知らないうちに俺が目で追っかけてるんなら、そのせいだ」
「……ふーん」
リッキーは半目で俺をじっと見つめていた。同意するでもなく、否定するでもなく、うまく感情を掴めない眼。
「なんだよ」
「いや。訊いてみりゃいいじゃん。気になるんならさ」
「え」
「なんでクラッシャーになったんだよって。俺の船にやってきたのは何でだって、直接聞いてみりゃいいよ。アルフィンに」
確かにリッキーの言うことにも一理ある。っていうか、それが最善だ。
そう思って、機を窺っているのだが。これかその……なかなかうまくいかない。
キッチンで料理をしているとき、決まってアルフィンは一人なので、そのときに話しかけてみようと思ったが、なんだか一緒に料理を作る羽目になってしまった。こないだ。
いや、羽目っていうより、流れ、というか……雰囲気? あれはあれで楽しかったからいいんだが。別に。
ガンビーノがいた頃は作ってもらうのが当たり前で、キッチンに一緒に立とうなんて思ったことなかったな……。
そうかガンビーノはいないのか、もう。ピザンの叛乱の事件で、殉職したって聞いた。タロスがさらっと流したせいで、追及できなかったけれど、どんな風な最期だったんだろう。じいさん。気になる。
「……」
なんだか変な感じだった。寝て起きた後、世界が以前とちょっと変わっていて、--まるきり変わってしまってるんじゃないんだ、なんていうかこう、地軸が、あと2,3度傾いてしまったっていうぐらいの変化なんだが、ーー知っているはずの人間がもう他界して久しかったり、自分の評判が知らないうちに上がっていたりするんだから、なんだかなあって思ってしまう。
俺はぼんやり思った。
リビングに親父の写真は飾ってあるのに、ガンビーノの遺影ひとつ、ホログラフ一枚飾ってないなんておかしいんじゃないのかって。
明日、タロスに言ってみよう。