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平成21年夏の開催を目指して、御船町史上最大の巨大文化プロジェクト??が動き出しました!その名も…「郷土に学ぶ文化事業」

富田至誠の教え子たち「浜田知明」

2008-11-29 14:46:45 | 富田至誠の教え子たち

富田至誠先生はたくさんの高名な美術家、美術教師を育てられました。
その中から、まず「浜田知明」を紹介します。
画像は浜田地明氏の代表作の一つ、「少年兵哀歌」(歩哨)です。
この作品で浜田知明氏は国際的賞を受賞し、美術界に華々しいデビューをむかえられました。
詳しいプロフィールは、オンライン百科事典「ウィキペディア」の浜田知明のページを参考にされてください。

浜田知明氏は、なんと東京美術学校に16歳の時に飛び級で合格!
当時合格者はほぼ全員が浪人生でしたのでこれはすごいことです。
たぶん、東京芸術大学になった現在もこの最年少合格記録は破られていないのでは・・・
受験前に上京し、美校受験生たちが通う美術研究所でしばらく受験対策をされたそうですが、他の受験生たちは軒並み20代、その雰囲気になじめなかった浜田氏は1人別の教室でデッサンに励んだそうです。
そうするうちに、「あの少年はすごい・・・」「もしかしたら合格するかも・・・」という噂が研究所内に広がり、こっそり浜田氏のデッサンを覗きに来る受験生たちがあとを絶たなかったとか。
富田先生に「合格したら井手に頭から酒をかけてもらえ!」といって送り出され、見事飛び級で合格。
16歳で頭からかけてもらった酒の味はどうだったのでしょう。
この年に同じく御船中学の先輩「佐久間修」も東京美術学校に合格。
その2年後には御船中の同級生「高木輝朗」も合格。
東京美術学校の西洋画科を卒業し、彫刻科に再入学していた井手宣通氏と合わせて、4人も同じ中学校の同窓生が同時に東京美術学校に在籍していたわけです。
当時、この様な事は例が無く、しかも、田舎の新設中学校の卒業生という事で大変な噂になっていたという事でした。

東京美術学校を卒業した浜田知明氏はすぐ徴用され中国戦線へと赴くことになります。
このときの体験が後の創作活動に大きな影響を与えることになるのです。

現在91歳の浜田知明氏、現在も熊本の地で、優れた作品を生み出し続けられています。


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