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みんなで創ろう!みふねの文化!

平成21年夏の開催を目指して、御船町史上最大の巨大文化プロジェクト??が動き出しました!その名も…「郷土に学ぶ文化事業」

御船町で何があったの?(part4)

2008-11-15 14:26:08 | 御船町で何があったの?
写真は当時の美術の授業風景です。
富田先生も見えますね。

実は…初代校長の岩口は2年足らずで、転勤してしまうんですね…
いろいろ深い家庭の事情があったわけですが、岩口は本当に断腸の思いで御船高校を去ったようです。
そのときのことを岩口自身は…「一身上の都合により産声を上げたばかりの愛児とわかるるような悲痛な想いではあるが、御船中学校を去らねばならぬ事情あり。不実と言われても致し方ない生みの親は遠方からわが児の成長をそれとなく幸あれかしと日々祈願するより他になし…」と語っています。
悲痛な思いが伝わってきますね…
しかし、富田をはじめ残された先生と生徒たちは岩口の教育理念の元、素晴らしい学校を作り上げます。
当時の新聞に「生徒と先生が一体となった教育はまさに現代の松下村塾…」と書かれた位です。
…中学校はどこの学校に何人はいったとかを競う物ではない、教育は人作りだ…と、受験教育より人作り、志作りに重きを置き、誠実・自学・自律という、綱領に沿った自由闊達な教育は、結果として多くの生徒たちを一流の学校に進学させることになります。
こんな熊本の片田舎から、日本最高の美術学校、東京美術学校(今の東京藝術大学)を始め、京都市立美術学校(今の京都市立芸術大学)、東京高等師範学校図画手工専科(今の筑波大学芸術学群)、東京高等工芸学校工芸図案科(今の千葉大学工学部デザイン工学科)などに何人もの生徒を送り出すことになるのです。
一時は東京美術学校に御船中学校の同窓生が同時に4人在学するなど、美校始まってらいといわれる快挙を達成しました。
美術だけではありません。
昭和5年には、陸軍士官学校(今の防衛大学)に全国一の合格者を出すことになります。
士官学校といえば、当時は今の東大より人気が高い学校です。
凄い…

そして、富田の教え子達の中から、何人もの日本を代表する画家や美術教師が生まれることになります。
そのお話しはまた今度。

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御船町で何があったの?(part3)

2008-11-15 13:26:17 | 御船町で何があったの?
この写真は旧制御船中学時代の写真です。
○の中はアトリエ式の図画教室。

初代校長岩口石蔵は教育にどんな考え方をもっていたのでしょう。
こんなことを言っていたようです。
「中学校は予備学校ではない…」
「教育の方針は一つ、即、人を作るのです…」
「素志を持ちなさい…」
中学校はどこの学校に何人はいったとかを競う物ではない、教育は人作りだ、大きな志の素となる物を作りなさい・・・こんな感じでしょうか。
そのような、優れた教育理念の元、旧制御船中学は創立されました。
そして、そろえた設備も凄かったんです。
40坪の図画教室は天井板が無く、南に傾斜した屋根の北側は垂直に大きく開口した高窓になっており、数百枚の摺りガラスがはめ込まれていました。
そこからは柔らかな安定した光が差し込み、まるで西洋のアトリエのような教室です。
そしてそこには当時の中学校には珍しい大型の石膏像がいくつも並んでいました。
優れた教育環境は美術のみではありません、県内でも見た事が無いような大型の電気蓄音機を岩口は購入しました。
そして、米国のレコードで英語の授業を行ったのです。もちろん既成の教科書などはありません、教科書は教師達がガリ版で作った手作りでした。
そのように、優れた教育理念と、優れた教育環境は驚くべき成果をあげます。
そのお話しは…御船町で何があったの?(part4)で…


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御船町で何があったの?(part2)

2008-11-15 12:14:38 | 御船町で何があったの?
この写真は今回の物語の舞台、旧制御船中学校、今の御船高校の姿です。
左に見える木々は「天神の杜」500年以上昔、御船城築城の際城を守るため東西南北におかれた天神様を祭った祠跡です。
その前にある石碑は旧制御船中学開校の時にさだめられた「三綱領」の石碑です。
「三綱領」とは…
一、誠実以て人に接す
一、自ら進んで学を修む
一、自律以て己を処す
大正デモクラシーの気風が感じられる、当時としては大変先進的な綱領ではないかと思います。
ということで、大正10年、旧制御船中学校は開校します。
そして今回の物語が始まったのです…
初代校長は「岩口石蔵」、三綱領を定めたのも、富田至誠を美術教師として、つれてきたのも岩口です。
そして、岩口と富田ら教師、そして当時の生徒たちはここ熊本の片田舎御船町に凄い学校を作りました。
どんな学校を作ったかは…御船町で何があったの?(part3)で!


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御船町で何があったの?(part1)

2008-11-15 11:37:42 | 御船町で何があったの?
この写真は御船町恐竜博物館の内部写真です。
御船町にあまりなじみの無い方々には、やはり御船町といえば恐竜がいちばん有名かな?と思って載せて見ました。
30年前、日本ではじめて肉食恐竜の化石が発見され、今も新しい発見が続々!
博物館も規模はあまり大きくありませんが、展示内容は充実!
化石採取体験など独自の企画なども学芸員の方々が一生懸命考えながら頑張っておられます。
詳しくはここをクリック、今は恐竜アートコンテスト受付中!!

ということで、結構恐竜の町としては有名だったりします。
しかし、しかし!
御船は恐竜だけではありません!
隠れた史跡もたくさん!そして多くの偉人を生み出してきたのです。
その中の一人が、「富田至誠」。
舞台は旧制御船中学校、今の御船高等学校です。
時代は大正から戦前、戦後にかけて。
その頃の御船町で何があったのか…
詳しくは、御船町で何があったの?(part2)で!

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