お花見の「自粛要請」などというのは余計なお世話だなーと思っていました。
次の「自粛を自粛せよ」という話にはもう、唖然としました。
「過剰とも言えるような自粛ムードが広がっている」とのことですが、皆が自分の意思に反して「自粛」させられているのでしょうか。
私は、単純に桜の下でのんびりした時間を楽しむ気分もあまりなく、桜の下を歩くだけで十分でした。
たまたま今日は、帰宅途中に砧公園を通る必要がありました。
そうしたら、大勢の人が花見をしていて、よかったと思いました。
穏やかに暖かく、桜はちょうど満開で、一瞬、夏の海辺の風景と重なるほど賑わっていました。
写真は、砧公園の名物?になっている3色混じった不思議な桜の木。
歩道から見えるので、多くの人が足を止めて眺めます。
うっかりカメラを持っていなくて、携帯で撮影。
春を楽しんでいる人たちを、不謹慎だなんてまったく思わないし、そもそも、私は自粛などしていません。
個人的に、そういう気分になれない、というだけ。
その程度の自由はあってしかるべき。
夜が主の飲食店や旅館をはじめ、困った状況になっている人たちがいることはわかります。なるべくそういうところに行って、多くの人と語らうことが大事じゃないかと思っている、という知人もいます。
外国人の足もぱたっと止まりました。
輸出も不振になることは明らかです。
大きな宴席の自粛というのはあるかもしれません。
ただ、それは、自粛もさることながら、行事を主催する側が、万が一大きな余震、あるいは地震の発生でどこまで対応できるか、ということを考えた時に、
・参加者の交通、安全確保にどこまで責任が持てるかについての不安
・その他不測の事態の対応が十分できない可能性への不安
・電力消費、原発問題等に派生する今の状況
自粛以上に、こうしたことを乗り越えて開催することは、今はまだそれなりに覚悟が必要です。
普段通りの生活や結婚式や○○のお祝い等の実施を「不謹慎」と言う人がいたらそれは、相当不謹慎ですが、
地震発生から10日程度の頃に、大船渡の実家も津波で流され、避難所生活を経て安全なところに移ることのできた友人から、テレビで、チャリティをネタにしつつもくだらない番組を見て情けなく思った、こんなに大変なことが起きているというのに、東京から見たら「対岸の火事」なんだね、というメールを受け取りました。
不快であるということをはっきり書いてくれるだけいいと思いました。
ただ、被災していない人も多くの人は辛い思いをしているということと、不快なこと本当にごめん、と返事を書きました。
再び、ただ時間つぶしのためだけのようなテレビ番組が始まっていた頃でした。
被災者の多くは見ることができていないテレビ番組の内容。
時期から考えた時、こういうのは、もしかしたら不謹慎と言っていいのかもしれないと思いました。
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