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十五の心(石川啄木 短歌)

2016年07月08日 | 日記

十五の心

「 不来方のお城の草に寝ころびて
  空に吸はれし
  十五の心   」

不来方は「こずかた」と読む。
歌集『一握の砂』で
「煙」一の八首目にくる石川啄木の短歌である。
よく知られた短歌の一つではないだろうか。
「空に吸はれし」が効いている。

十五の頃の不安定な、
それでいて野心にも満ちた夢想が、
浮かんでは消え浮かんでは消えていく
白い雲のように青い空に吸い込まれていく。
啄木のみならず誰にもそういう思いを抱いた日が
あるのではないかと思う。
この歌にはそんな十五歳の頃の自分が
ふと思い出されるような切なさと、
広がる空を見上げている
情景の明るさがあってつい口ずさみたくなる。
そういう魅力をもった歌である。

思うに人の感受性の基本形というのは、
十五歳くらいの頃に決まってしまうのではないか。
好きな音楽や映画や小説など、
自分のアンテナに引っかかるものは
実は十五歳の頃とあまり変わっていないような気がする。
つまりあまり進歩していないということでもある。
いや進歩なんかしていなくてもいいのじゃないか。

一番多感だった十五歳から
十七歳くらいの頃に自分が見たり、
聴いたり、感じたりしたことというのは
余計な夾雑物が無くすっと入ってきているものだから、
その時選択したもの
あるいは選択しなかったものにはウソがない。
何の予備知識も先入観もなくふらりと偶然ぶつかって
出会ったものが
その後の人生を決めてしまうことだってある。
今みたいに情報が多くなかった時代の方が幸福だったのかもしれない。
誰かの目を通した情報で先入観を持ったりせず、
自分で面白いものを見つけだし
感受性を形作ることができたのではないかと思うからだ。

しかし、
案外今の十五歳も同じなのかもしれない。
手に入れられる情報ははるかに多い。
私たちが十五歳だった頃とは
比べものにならないくらいの情報が即座に入手できる。
だが情報の洪水のただ中にいても
本当に心を揺さぶるものは限られている。
自分の琴線に触れるものや
人や出来事はそれぞれであり、
そこでは選択するかしないかという
取捨がたえず行われている。
だから単に接することのできる情報の総量が多くなっただけで、
何を選び何を選ばないかという個人の事情は変わらない。

十五歳の自分に出会えたら何と声を掛けるだろうか。

"Take it easy!"かもしれない。

人生成り行きだから先のことをあまり心配してもしょうがないよ
。今ここにある時間を最大限に楽しんだ方がいい。
それは享楽的な意味で言うのではなく、
いやなことやつらいことにも楽しめる要素があるということだ。
十五歳の自分に見えなかったもので
少しは見えるようになったものもある。

逆に見えていたもので
見えなくなったものもあるのだろうが。
物事は多面的なのであり、
それをどう受け取るのかどう感じるのかは
自分次第なのだ。だから深刻になりすぎない方がいい。
最悪だと思う時間の中にも何らかの意味はある。

http://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/
     塾長日記より

「☆観覧車回れよ回れ
  想ひ出は君には一日
      我には一生☆」

これは作者の恋の切なさを歌ったうたです。
「君には一日」「我には一生」という対句を使うことによって、
この恋のはかなさを感じます。
読んでいるだけで、
何だか自分まで恋をしているような気持ちになりました。


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