長渕 第一部の最後で「勇次」を歌いきった時には、
「チーム」や「信頼」のもっとも究極のかたちをすべての
スタッフ、すべてのお客さん、すべての人に伝えたかった。
それはなにかというと、もう最期だということです。
☆ 僕はもう「勇次」を歌わない。
「乾杯」を歌わない。「とんぼ」を歌わない。☆
旧譜などくそくらえ、もう生涯歌いたくない、
その決意であそこに立ってましたからね。
それがどうして「信頼」なのか?
毎年毎年「勇次」を歌う度にクラッカーが鳴らされて、
それが定式化していく。
そのことは僕の音楽活動の軌跡からしたら
とてもありがたいことです。
僕がやれと言わなかったことを、
みなさんが主体となって
クラッカーを隣の人に渡し、その輪が広がっていった。
ここまでは本当に素晴らしいことです。
でも僕はもう一つ深い次元で、
みんなと信頼を作ってきたんです。
それはそれぞれが自分の生活に戻った時、
そこで「勇次」が生きてくれよ、
という想いで。
そのためには「勇次」は一度死ななければならない。
だからもう歌いません。
最後に歌うという覚悟で選んだセットリストでもあったんです。
そうして「勇次」は富士で死にました。
過去の遺産に自分が酔いしれて、どれだけ旧譜を歌い続けてきたか…
そういう歌で万の拍手をもらう僕の姿はもういいでしょう
。あとはみんながそれぞれに歌って欲しい。
それぞれの心のなかで
行きている歌であって欲しいんです
[僕は新しい歌をつくらねばいけません。]
時代は動いているのですから。
その歌が感動できなかったとしたら
現役引退だな
。いつまでも同じ歌を歌うなんて嘘ですよ。