#長渕剛アンバサダー
長渕「ツアーが始まってやっぱりピリピリしてるね。なんだろうね、『俺、これで最後になるんじゃないかな』っていう恐怖もあるというかさ」
校長「そのお話、以前もしてましたよね。オールナイトライヴはこれが最後になると」
長渕「いや、オールナイトだけじゃなくて、長渕剛というものが最後になるというか、終わってしまうんじゃないかなっていうぐらいの恐怖だよ」
校長「・・・え?」
長渕「本当にそんな気持ちになる時もあるんだ。実際8月22日が終わってみたらさ、また違う目標に向かって動き出すかもしれないけど、現時点ではそういったことも頭をよぎるよね。ツアーの初日を迎えてそういった想いがより色濃くなったかな」
校長「桜島の時はそういった想いはよぎったりしたんですか?」
長渕「あの時は俺もまだ若かったからね。親父も生きてたし、『やってやるぞ!』『いくぞテメェら勝負だぞ!』っていう攻めの姿勢が強かったよね。でも自分も60歳を目前にしてさ、さらに富士を目の前にしてみると・・・やっぱり富士には母性があるというか、お母さんだなって感じるんだよな・・・」
校長「お母さんですか」
長渕「その富士に立ち向かうことを考えるとさ、『テメェこの野郎!』とはならないんだよ。この前、雪の降る時にふもとっぱらの会場に足を運んで、富士を見つめながら拳を上げてみたんだけどさ、やっぱり11年前の自分の感情とは全然違うよね。おそらくみんな来てくれるだろう・・・という祈りに近い感情と、人間が束になってお母さんに向かって、気持ちをひとつにしたいという気持ちっていうかな。これはもう祈りを捧げる儀式なのかなっていう気がしてさ」
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校長「なるほど・・・」
長渕「じゃあ何の祈りなんだよ?ってなった時に思うのは、俺達みんなで幸せになんなきゃよ!幸せにしてくれよ!っていう祈りなのかな。ていうことは、今幸せじゃないと思うんだ、俺も、ラジオを聴いてるみんなも、父母も、おじいちゃんもおばあちゃんも、先祖も。みんな幸せじゃないんだと思う、勝手ながらね。そういう風に思わざるを得ないというか。特に震災を経験してね、俺たちが知らなかった現実をつきつけられたじゃない?負の遺産であるとか、国に対する不平不満も沢山あるし。僕らはそんな負のオーラに包まれながらも、我々民衆の力、人間の力は素晴らしかったと思える希望もあったじゃないか。みんなで支え合ったりとかさ、自衛隊の方々の行動とかさ・・・そういったものが僕らにとっても励みになったし、そういったことができるのだったら、もう一回日本を信じてみようという気持ちになれるんじゃないかってね。その時、純粋に思ったのが『俺ら、幸せになろうよ』ってことなんだよ。じゃあ幸せを勝ち取るためにはどうしたらいいのか?その機運を富士のライヴで得るためにはさ・・・戦うって攻めの姿勢とか、戦うとかじゃもはやないと思うんだよな。おいで、って言ってくれている富士に、安らかな母性にさ、今の僕らの不安や恐れを抱きしめてもらいたい、そう思うよね。それが一夜の祭典としてふもとっぱらに集まった時に、僕らが束になって『幸せにしてくれよ!』と富士に向かって叫びたい。幸せを願って一晩中歌い続けて、みんなで共に朝日が昇るのを見つめてさ、幸せになって欲しい!幸せであれ!って気持ちをひとつにしたい。俺はそのために生まれてきたんじゃないか、そのために父母は俺を産んで育ててくれたんじゃないかなとすら思えるんだよ、大げさかもしれないけどね」
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M HOLD YOUR LAST CHANCE 2014 / 長渕剛
校長「僕、これまでは8月22日を迎えるのが怖いと思う部分があったんですよ。それはなぜかというと、8月23日以降の剛先生が想像できなかったというか、もう日本の最高峰に挑むわけじゃないですか。それを終えたら剛先生が灰になっちゃうんじゃないかって、本当に終わってしまうんじゃないかって思ってたんです。でも今のお話を聞いてて、8月22日が終わりじゃないんだなって、そこから新しい場所に、新しい世界に到達することができるんじゃないかって思いました。新しい行動や新しい思考が生まれたりとか、当日集まってくれる全ての人に、もちろん剛先生にも新しい何かが芽生えるんじゃないかなって思えてるんですよね」
長渕「いつの時代もね、時代が変わる時は犠牲者が出るものなんですよ。犠牲者っていうか、犠牲的な精神を持った人が現れるっていうほうが正しいかな。そういう想いがなければ時代は変わらないですよ。その想いをどれだけ真剣に思い続けることができるか・・・こういうことを口に出して言うと、陳腐に聞こえてしまうから嫌なんだけど、これを聴いてくれている10代はもちろん、これまで自分の音楽を愛してくれている仲間、つまりファンのみんななら分かってくれるんじゃないかなって思うよ。とにかく今の自分は『変えたい!』という想いだけだね。自分自身がどうやって灰になっていくのか、それはもう当日にならないと分からないけど、次のバトンは若い10代の連中が引き継いでくれると思ってるんだ。だったらさ、しっかりバトンを渡すためには俺もしっかり灰にならないと。そういう意味では8月22日はバトンを渡す58年の集大成っていうかな、これまで全国各地で歌ってきた中で得た僕の歌を愛してくれた人達が富士に集って、幸せを願う祭典にしたいね」
長渕「ツアーが始まってやっぱりピリピリしてるね。なんだろうね、『俺、これで最後になるんじゃないかな』っていう恐怖もあるというかさ」
校長「そのお話、以前もしてましたよね。オールナイトライヴはこれが最後になると」
長渕「いや、オールナイトだけじゃなくて、長渕剛というものが最後になるというか、終わってしまうんじゃないかなっていうぐらいの恐怖だよ」
校長「・・・え?」
長渕「本当にそんな気持ちになる時もあるんだ。実際8月22日が終わってみたらさ、また違う目標に向かって動き出すかもしれないけど、現時点ではそういったことも頭をよぎるよね。ツアーの初日を迎えてそういった想いがより色濃くなったかな」
校長「桜島の時はそういった想いはよぎったりしたんですか?」
長渕「あの時は俺もまだ若かったからね。親父も生きてたし、『やってやるぞ!』『いくぞテメェら勝負だぞ!』っていう攻めの姿勢が強かったよね。でも自分も60歳を目前にしてさ、さらに富士を目の前にしてみると・・・やっぱり富士には母性があるというか、お母さんだなって感じるんだよな・・・」
校長「お母さんですか」
長渕「その富士に立ち向かうことを考えるとさ、『テメェこの野郎!』とはならないんだよ。この前、雪の降る時にふもとっぱらの会場に足を運んで、富士を見つめながら拳を上げてみたんだけどさ、やっぱり11年前の自分の感情とは全然違うよね。おそらくみんな来てくれるだろう・・・という祈りに近い感情と、人間が束になってお母さんに向かって、気持ちをひとつにしたいという気持ちっていうかな。これはもう祈りを捧げる儀式なのかなっていう気がしてさ」
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校長「なるほど・・・」
長渕「じゃあ何の祈りなんだよ?ってなった時に思うのは、俺達みんなで幸せになんなきゃよ!幸せにしてくれよ!っていう祈りなのかな。ていうことは、今幸せじゃないと思うんだ、俺も、ラジオを聴いてるみんなも、父母も、おじいちゃんもおばあちゃんも、先祖も。みんな幸せじゃないんだと思う、勝手ながらね。そういう風に思わざるを得ないというか。特に震災を経験してね、俺たちが知らなかった現実をつきつけられたじゃない?負の遺産であるとか、国に対する不平不満も沢山あるし。僕らはそんな負のオーラに包まれながらも、我々民衆の力、人間の力は素晴らしかったと思える希望もあったじゃないか。みんなで支え合ったりとかさ、自衛隊の方々の行動とかさ・・・そういったものが僕らにとっても励みになったし、そういったことができるのだったら、もう一回日本を信じてみようという気持ちになれるんじゃないかってね。その時、純粋に思ったのが『俺ら、幸せになろうよ』ってことなんだよ。じゃあ幸せを勝ち取るためにはどうしたらいいのか?その機運を富士のライヴで得るためにはさ・・・戦うって攻めの姿勢とか、戦うとかじゃもはやないと思うんだよな。おいで、って言ってくれている富士に、安らかな母性にさ、今の僕らの不安や恐れを抱きしめてもらいたい、そう思うよね。それが一夜の祭典としてふもとっぱらに集まった時に、僕らが束になって『幸せにしてくれよ!』と富士に向かって叫びたい。幸せを願って一晩中歌い続けて、みんなで共に朝日が昇るのを見つめてさ、幸せになって欲しい!幸せであれ!って気持ちをひとつにしたい。俺はそのために生まれてきたんじゃないか、そのために父母は俺を産んで育ててくれたんじゃないかなとすら思えるんだよ、大げさかもしれないけどね」
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M HOLD YOUR LAST CHANCE 2014 / 長渕剛
校長「僕、これまでは8月22日を迎えるのが怖いと思う部分があったんですよ。それはなぜかというと、8月23日以降の剛先生が想像できなかったというか、もう日本の最高峰に挑むわけじゃないですか。それを終えたら剛先生が灰になっちゃうんじゃないかって、本当に終わってしまうんじゃないかって思ってたんです。でも今のお話を聞いてて、8月22日が終わりじゃないんだなって、そこから新しい場所に、新しい世界に到達することができるんじゃないかって思いました。新しい行動や新しい思考が生まれたりとか、当日集まってくれる全ての人に、もちろん剛先生にも新しい何かが芽生えるんじゃないかなって思えてるんですよね」
長渕「いつの時代もね、時代が変わる時は犠牲者が出るものなんですよ。犠牲者っていうか、犠牲的な精神を持った人が現れるっていうほうが正しいかな。そういう想いがなければ時代は変わらないですよ。その想いをどれだけ真剣に思い続けることができるか・・・こういうことを口に出して言うと、陳腐に聞こえてしまうから嫌なんだけど、これを聴いてくれている10代はもちろん、これまで自分の音楽を愛してくれている仲間、つまりファンのみんななら分かってくれるんじゃないかなって思うよ。とにかく今の自分は『変えたい!』という想いだけだね。自分自身がどうやって灰になっていくのか、それはもう当日にならないと分からないけど、次のバトンは若い10代の連中が引き継いでくれると思ってるんだ。だったらさ、しっかりバトンを渡すためには俺もしっかり灰にならないと。そういう意味では8月22日はバトンを渡す58年の集大成っていうかな、これまで全国各地で歌ってきた中で得た僕の歌を愛してくれた人達が富士に集って、幸せを願う祭典にしたいね」