僕の重○筋無力症の様子

変化の様子、調べた事の記録などをメモしておこう。→ 病気以外の事も少々

3月26日(木)20時

2009-03-26 23:32:46 | Weblog
この3年間、辛かったと思う。
辛さにも種類がある
期待とか希望とか、はじめは半々ぐらいかな?
時の流れとともに、不安やいらだちの比率が
増加していき、最後は、希望が消えたのだろう。
連絡があった時、僕は、東京にいなかった。
急ぎ自宅に戻り、両親をつれて病院へ行った。
呼吸補助器具をつけてはいたが苦しそうだった。
姉が亡くなった。
姉の病気は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)
夫と二人の子供(二人とも社会人)
そして、僕の両親、僕を入れて6人が見守って
いた。それぞれの気持ちはよくわかる、でも、
僕は、それらは何も聞きたくない。
僕は心の中で、ただ、精一杯、素敵に生きたね
そう思っていた。
親の反対を押し切り、好きな男と結婚、しかも、
婚約を破棄しての駆け落ちに近い結婚。2度の
流産後、長男を授かり、続いて次男。子育てを
しながら、大学院を二つも卒業して、ALSが発覚
するまで、講師の仕事をしていた。病気と向き合
った3年間、僕は、この期間の姉の心に思いを
巡らせていたいと思った。体の運動神経系が、
壊れて動けなくても、筋肉が萎縮して痛みが
続いても、胃に直接、流動物を流し込む食事に
なっも、下の世話が必要になっても頭脳は健康な
時と同じ、そんな病気だったから。
姉に僕を見てもらうのではなく、生きる事の意味、
価値を、最後にしっかり見つめている姉を見て
いたかった。ただ、少し離れた場所で、姉を送り
たかった。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kappa)
2009-04-13 01:55:41
しばらくお伺いせずにいた間に…

お悔やみが遅れましたこと、どうかお許しください。
tomさんが書かれている御姉様の姿を読んで、胸がいっぱいになりました。。
精一杯生きてきた御姉様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。。
返信する