僕の重○筋無力症の様子

変化の様子、調べた事の記録などをメモしておこう。→ 病気以外の事も少々

告別式の後

2009-03-29 21:02:56 | Weblog
火葬場へ移動するため、車を移動していた。
駐車スペースにゆとりのないお寺さん。
コンクリートで20cmぐらい台のような
ものが、塀に角のあるのが見えずに、フロント
バンパーをぶつけた! 

姉が、筋萎縮性側索硬化症(ALS)
僕が、重症筋無力症
遺伝的要素は、少ないといわれても、
もしかしたら、僕が、ALSだったかも
しれない。
僕は、親、親戚には、自分の病気については
話してはいない。

祭壇

2009-03-28 23:16:28 | Weblog
携帯のカメラのため、花の色が変~
本題ではないけど、僕は親戚づきあいは
不得意。まして、葬儀の席だからなおさら。

人の心は、年を重ねても変化しない感性と
思考パターンが多い。自分を見つめさえすれば、
いつか変わる、そう信じる事にしている。だから、
変化を期待する人に対しては、表面的な接し方で
はなく、きちんと自分の感性をぶつけたいと思う。

親や親戚に対しては、変化を期待していない。




3月26日(木)20時

2009-03-26 23:32:46 | Weblog
この3年間、辛かったと思う。
辛さにも種類がある
期待とか希望とか、はじめは半々ぐらいかな?
時の流れとともに、不安やいらだちの比率が
増加していき、最後は、希望が消えたのだろう。
連絡があった時、僕は、東京にいなかった。
急ぎ自宅に戻り、両親をつれて病院へ行った。
呼吸補助器具をつけてはいたが苦しそうだった。
姉が亡くなった。
姉の病気は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)
夫と二人の子供(二人とも社会人)
そして、僕の両親、僕を入れて6人が見守って
いた。それぞれの気持ちはよくわかる、でも、
僕は、それらは何も聞きたくない。
僕は心の中で、ただ、精一杯、素敵に生きたね
そう思っていた。
親の反対を押し切り、好きな男と結婚、しかも、
婚約を破棄しての駆け落ちに近い結婚。2度の
流産後、長男を授かり、続いて次男。子育てを
しながら、大学院を二つも卒業して、ALSが発覚
するまで、講師の仕事をしていた。病気と向き合
った3年間、僕は、この期間の姉の心に思いを
巡らせていたいと思った。体の運動神経系が、
壊れて動けなくても、筋肉が萎縮して痛みが
続いても、胃に直接、流動物を流し込む食事に
なっも、下の世話が必要になっても頭脳は健康な
時と同じ、そんな病気だったから。
姉に僕を見てもらうのではなく、生きる事の意味、
価値を、最後にしっかり見つめている姉を見て
いたかった。ただ、少し離れた場所で、姉を送り
たかった。

AUSTRALIA

2009-03-08 20:13:14 | Weblog

予告編で想像したより、いい映画だった。
ヒュー・ジャックマン、一瞬、ニューヨークの恋人、
メグ・ライアンと共演した映画を思い出すシーンが
あった。(主題は無関係な個人的印象)

入れ違い

2009-03-08 20:03:13 | Weblog
結果的に予定が入れ違う、
楽しい事は逃げていく、それは、
運不運ではなく、たぶん、必要度
とか、熱意の違いだと思う。