これからの「正義」の話をしよう
第5章 イマヌエル・カントのところで、先へ
進めずにいる。罪のない嘘、誤解を招く表現、
こんな事が書いてあるところ。
人殺しに嘘をつくのは誤りか
友人が家に隠れていて、殺人者が友人を捜して
戸口にやって来たら、殺人者に嘘をつくのは、
正しいことではないのか?
誤解を招く表現。「一時間前、ここからちょっと
いったところにあるスーパーで見かけた」と、
真実の一部を話して、家には居ないように思わせる。
嘘はNGで、誤解を招く表現はOK。
こんな文章が並んでいる。
親兄弟、友人、愛する人に、誤解を招く表現で、
利用されたら、そういう場合は、「道徳形而上原論」
の立場では、どう解釈されるのだろうか?
そもそも、カントの話は、第5章 重要なのは動機
という主題、のところに出てきてる。
人間の行動の源にある動機、これは、単純ではないと
思う。一部を強調すると、人間は、内向的になり、
何も出来なくなる。僕は、そう思う。カントの話と、
僕が思い描く事では、何かが違う。それがわからず、
考えがまわる。確かに、哲学は難しい。
第5章 イマヌエル・カントのところで、先へ
進めずにいる。罪のない嘘、誤解を招く表現、
こんな事が書いてあるところ。
人殺しに嘘をつくのは誤りか
友人が家に隠れていて、殺人者が友人を捜して
戸口にやって来たら、殺人者に嘘をつくのは、
正しいことではないのか?
誤解を招く表現。「一時間前、ここからちょっと
いったところにあるスーパーで見かけた」と、
真実の一部を話して、家には居ないように思わせる。
嘘はNGで、誤解を招く表現はOK。
こんな文章が並んでいる。
親兄弟、友人、愛する人に、誤解を招く表現で、
利用されたら、そういう場合は、「道徳形而上原論」
の立場では、どう解釈されるのだろうか?
そもそも、カントの話は、第5章 重要なのは動機
という主題、のところに出てきてる。
人間の行動の源にある動機、これは、単純ではないと
思う。一部を強調すると、人間は、内向的になり、
何も出来なくなる。僕は、そう思う。カントの話と、
僕が思い描く事では、何かが違う。それがわからず、
考えがまわる。確かに、哲学は難しい。
売れてる本だし、ネットでもこのこと話題になっていないかなと思ったのですが、意外に少ないようです。
世の中の人達はスラスラ理解しっちゃてんでしょうか?
知れば良いと、考えないで読んでいる人が多いのでしょうか?