⚫︎当時の一大城下町である名護屋城(文禄元年〜慶長3年1592~1598)および周辺の発掘調査では
瀬戸・美濃焼き以外の焼き物は出土しない
⚫︎堺市環濠都市発掘調査では天正20年(1592)以前に遡る唐津焼出土はない
⚫︎織部茶会記に唐津焼きが初出するのは慶長7年(1602)
昭和前期から後期の研究では唐津焼創始時期は室町時代からなどと諸説が入り乱れてきた。
昭和末期ごろからそれまでほとんど見向きもされなかった近世の遺跡が発掘調査対象として認知されるようになり考古学の一分野として定着してきた。
佐賀県の窯跡についても、開発から窯跡を保護するため発掘調査が継続的に行われるようになった。
近世の遺跡、窯跡などの発掘調査例が急増し膨大な量の資料が蓄積されてきた。
中近世陶磁器の考古学 第16巻(雄山閣 2022年)
唐津焼の起源(考察編)ー天正20年創始の可能性を探るー村上伸之
唐津焼の起源(考察編)ー天正20年創始の可能性を探るー村上伸之