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<高台学会>

高台の鑑賞と研究 

古唐津の起源 その四

2025-04-11 15:03:16 | Weblog
 ⚫︎当時の一大城下町である名護屋城(文禄元年〜慶長3年1592~1598)および周辺の発掘調査では
 瀬戸・美濃焼き以外の焼き物は出土しない
 ⚫︎堺市環濠都市発掘調査では天正20年(1592)以前に遡る唐津焼出土はない
 ⚫︎織部茶会記に唐津焼きが初出するのは慶長7年(1602)
昭和前期から後期の研究では唐津焼創始時期は室町時代からなどと諸説が入り乱れてきた。
昭和末期ごろからそれまでほとんど見向きもされなかった近世の遺跡が発掘調査対象として認知されるようになり考古学の一分野として定着してきた。
佐賀県の窯跡についても、開発から窯跡を保護するため発掘調査が継続的に行われるようになった。
近世の遺跡、窯跡などの発掘調査例が急増し膨大な量の資料が蓄積されてきた。

中近世陶磁器の考古学 第16巻(雄山閣 2022年)
唐津焼の起源(考察編)ー天正20年創始の可能性を探るー村上伸之
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古唐津の起源 その三

2025-04-03 13:44:54 | Weblog
現在古唐津の起源は1580年代後半とされているのが主流ではありますが、
それを証明するエビデンスは一切ないということ。

唐津焼初源の窯、帆柱窯(1593~)築窯に際しては、
山間部の樹木伐採・開墾、築窯部分の土木作業、
練り土・轆轤成形など作業場所の整備、燃料としての樹木の伐採加工、
などなど膨大な人的資源はもちろん、伐採や土木作業に不可欠な道具類の調逹、
食料の確保なども必要であります。
単純に考えてもこれだけの諸条件が満たされなければ山間部での築窯・焼成は不可能です。
岸岳城波多氏改易後(1593)の領主寺澤氏の庇護・援助は不可欠であるでしょう。

中近世陶磁器の考古学 第16巻(雄山閣 2022年)
唐津焼の起源(考察編)ー天正20年創始の可能性を探るー村上伸之

2008年10月号 目の眼 特集「古唐津」
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事例 537

2025-04-02 14:03:44 | Weblog
極めて希少な岸岳山瀬窯の斑唐津筒盃であります。

見込みの一部にカセがあります。

伏せた時の側面。

風化の進んだ土。冷凍寂枯。



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古唐津の起源 その二

2025-04-02 13:04:59 | Weblog
岸岳城跡、朝鮮出兵の基地、名護屋の織部陣跡、諸大名の陣跡、
さらに名護屋城下町からも唐津焼は出土していない。
文禄・慶長の役後(加藤清正は半島北部会寧まで北進)に連れてこられた被虜人集団の中の陶工達の主導で岸岳山中に築窯(帆柱窯)。
帆柱窯の焼成室は朝鮮北部会寧の窯の焼成室に近い正方形の焼成室であるということ。


帆柱窯陶片(事務局蔵)

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古唐津の起源 その一

2025-04-01 13:41:45 | Weblog
昭和6年に金原京一氏によって岸岳山麓で飯胴甕下窯跡が発見されたのが古唐津学の端緒であります。
その後、古唐津起源に関して様々な学説が起こります。
昭和から平成と紆余曲折を経て、
2020年に有田歴史民俗資料館館長、村上伸之氏による
「古唐津の起源を学問する」等の論考により
古唐津始源は帆柱窯であり
文禄・慶長の役(1592~1598)よりは遡らないということに落ち着きつつあります(異論もあるようですが)。

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事例 536

2025-03-22 13:20:06 | Weblog
直球ど真ん中の唐津であります。

さてさて、直球には、次のような意味があります。
⚫︎野球で、変化をつけずにまっすぐに投げる球
⚫︎正々堂々と、真正面から向かい合うこと
⚫︎策略を用いることなく、正々堂々と物事に向かい合うこと
今更ながら、深く頷く春日和。
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事例 535

2025-03-22 12:52:07 | Weblog
唐津には珍しく流麗にキビが描かれております。
大傷の残念ものですが旧蔵者の愛惜が伝わる蒔絵直しであります。
ここまでするの?というこだわりで有ります。
高台は通常の絵唐津の皿より高く高々としています。
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事例 534

2025-02-11 14:28:09 | Weblog
桃山時代岸岳帆柱窯の斑唐津茶碗です。
この碗は口径が10cm少々ではありますが釉がダラダラダラリと流下し眼を見張るものがあります。
斑愛好家(?)には、まさしく垂涎の貴石のようなものであります。


さて、岸岳は皿屋帆柱産の斑ものは伝世品は皆無です。
窯室内から出土するゆえの特有のカセ(釉ぐされ)が肌に出現するのであります。
エビデンスは大事でありまするぞ。


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事例  533

2024-12-06 14:42:59 | Weblog
口径が7cmほどの伝世の唐津酒盃です。
赤みを帯びた器肌と見込みのカイラギが印象的であります。
高台内中央部に兜巾があります。
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事例 532

2024-10-24 13:16:13 | Weblog
事例531に続き小さな高台。
初期伊万里網手盃。(1650〜1665)
生掛け焼成の肌に加えて伝世の手沢で実にヌメヌメトロリとした触感です。
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