Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

突然の”melancholia(メランコリア、うつ基本型)”と”disabilities (不自由)”と共に生きる。

【📔💖Today】2023/10/29 まで 〜生きるには価値がある

2023-10-29 12:46:00 | 病状日記
《本日の体調・状況》 

金木犀の香りはうちの庭の香り。これでパニック発作が和らいだ。ファミリーマートさん、ありがとう。(写真)
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③体調  

今日2023/10/29まで日数があいた。ここまでテタニー(強直性痙攣、けいれん、てんかんの様な発作)の症状が一度出た。理由はまだ傷病手当が出ないで、薬をもらえていなく、仕方が無いから短時間の仕事をした。仕事をした日は手当は出ないから、その日までの申請にはしてある。

こういう大変な時にも、会社や手続きには『診断書』を要し、6、7千円と薬代や通院費がかかるのに「傷病手当」は遅いから「なんとか手当」とは当てにするものじゃない。ただ、貰えたらいい話ではあるだけで、当てにしない方がいい。

何度も書くが事実ではある。だから、給付金ビジネスもやり過ぎはいけない。今の時代、流行ってるけど”もらえる事が普通”になっても、復帰をきちんと出来ない(適応できないのが)辛くなるだけとも思う。

付け加えて書くと、わたしの場合にまだ「自立支援医療受給者No.」が発行される2、3ヶ月先まで病院側は「医療費支援しない」そうで、国と病院と『方針の相違』がある時がある。国の制度は即日適用(控えで)。

わたしはそれでは『本当に急な困窮者達を助けていない』と思えた。現に、今辛いのにあまり助かってない。わたしはしない方針だが”生活保護”を受ける場合にも”数ヶ月”かかるし、今倒れる人の支援は実質出来ない。貸付も安定した職がないと出来ない。

だから、わたしは以前、父が亡くなった事、次に母が倒れて緊急手術や入院になった事。相続放棄の弁護士料、医療費、入退院費の何百万近くをたてかえ『空っぽ』になりながら1人で全部を補った事。介護で実家に引き戻され引越料や残されたペット、両親の残すものの世話、全てを1人で走り回ったのを思い出した。

当時の会社は10年近く働いたが「退職推奨(介護の為)」してきて、親族が亡くなった上、二つの仕事も失い、病気なのに貯金はない。お金が必要で働かねばならないが「休みが多い」と契約打ち切りにされ、毎日嫌味を言われ総務事務が課長が笑ってた。

長期休まないのはお金がないと生きていけないから。手当など間に合わないから。急に両親2人な場合、働きながら病院に駆けつけ、支払いし、これを『一人』で出来る人はいないよ。

当時に失業保険も数ヶ月後しか出なかった。『今日』を生きられなかった。なので『給付金』『手当』などは実質当てにならず、大変なのに働き続けてきた。誰にも助けてもらってなかったし、大変なのに「嫌味」をいう職場の人や、友人のふりした人達にもシンドイ思いをしてた。

また、うつは甘えというタイプの人ほど、何も言わないからと、甘えて好き勝手発言する。自分が大変なのに『優しく無い他人様』には振り回された。だから、疲弊し心体が無惨に壊れた。

この一件後、さらに追い打ちをかけられた。『心無い人達』の方が世間には多い。その方が多いと初めに思う方が明らかに正解ではある。

ただ、『稀な心ある人達』だけが「本当に親切」をしてくれた事から、わたしは心身がズタボロだったけど、今でも生きてる。

本当に稀にだけど、親切な心ある人達は、まずおむかいさんだった。でも、ご高齢から、怪我したきっかけに施設に入られ、ご飯をくださったりしたお礼がまだ出来ていない。

わたしがやつれて倒れそうになりながら、母の施設料金やローン支払いなどの為に日中夜に働いたのを「毎日」見てて御飯を分けてくださったりした。おむかいさんには命を救ってもらったと思う。お見舞いに行きたいが何故コロナは暖和されたのに面会できないか?

わたしはこういう優しさの世界に生きてきたからか、他者を関係なく淘汰する人達がたまに無理になる。突然に始まった『新世界』では、消費競争、人は商品(モノ、道具)扱い、メリットないと使い捨て思考の人達、余裕がない人達の「競争」に関わるのが嫌になった。

わたしは『不自由』(障がい)だから困っているのだが、わざと、歩けないのに歩けよ!的に怒っていう人達の感覚は何から伝えるべくでもなく困る。だから、もう身体まで「拒否」してる。わたしはもうこの世界に未練はないし俗に言う「生まれ変わったら」の世界観も持たなくなった。

しかし、『本当に善良な親切』が心にまだある人達や、動物達といる時だけ心が休まる。こういう「悪条件」なわたしですら「会いたいね」とか、元気づけしくださる方々がいて、わたしは「無償の愛」から段々とマシになっているのは感じる部分はある。

冒頭に戻るが、この社会は全くではないけど、あまり「今困窮をした人達」に『助け』を形式上にしてるけどきちんとなっていない。まず「手続き」に時間が掛かり過ぎ。だから『今日』を生きられない人達に「役に立たない」となる。

それに、わたしみたいなスタートからヤングケアラー、一人っ子で身寄りもない、かつ『不自由』(障がい)な人に対応はない。まず理解がない。だから、わたしはただ『悪者』にされ、市の末端の個人担当者ら(母の施設関係者ら)には無茶苦茶された。

母はまだ良い。わたしはペット達や残された彼女の借金の世話を負い、さらには、亡くなった父のものもある。一人っ子で、さらに身寄りがない人は、これらを『1人』で負う。だから施設担当の言った「介護は皆一緒」ではない。皆苦労してる=あなたのは大した事ない、自分を振り返りなさい、は違う。

それはあなた方に”親族分担”、”身寄り”があるから、”仕事”に行き「誰かと交代」でき、介護の負担は軽い、一人より。わたしは違う。全部一人で二人分。わたしはやってきたけど、「皆一緒」ではない。この『不適切な発言』を平気で言うのは恐ろしさを感じる。

助成も無く助けてもらってないし、数ヶ月後の「休業手当て」(当時)など役に立ってなかった。だから介護離職し、バイト/日雇いしかできない人達も増え、所得も減り、経済も悪く、人材を無駄にし、介護自死する人達も「増加」した。

わたしはこの社会が好きではなくなった。決まった人達しか『心』は開かない。それはヤングケアラーで虐めにあった頃からもそうだが、残酷な人達はどこまでもそう。他者を踏み台にして勝ちたい人達も沢山。だから、わたしはそうゆう人達は避け、決めた事しか興味をもたなくなった。

わたしの「生い立ち」からはnoteに書くが、この事例は書き綴りきったら市議会議員さん達にも読んで頂く。何故なら、この社会には改善すべき点は沢山あるが、全て『そんなの甘えだ』と抑圧される。踏み台にする人達ほど「国の真の福祉」について遵守しない。むしろそれは末端の個人の担当。

本当に『不自由』『困窮』な人達が助けてもらえない。ズル賢い人達が「法」や「制度」を利用する。そうゆう人達の為に「手続き」に時間が掛かり、真に困窮する人は助けてもらえてない。真に困窮した事が「ない」からわからない。派遣やお金がいいからで介護職や福祉職につき、無茶な「人権無視」をする担当も多い。

だから、今どれだけの方がそれに困り、悪い人達に利用され、善良な人達が『踏み台』にされ自死に至らしめさせられているのか。

この国を動かす人達ほど知らないといけないし、わたしが『困窮』した際、一番早くに助けようとしてくださったのも弁護士ではない。自治体や市政の窓口職員でもない。

とある市議会議員さんだった。だから伝え続ける。法改正をしなきゃいけないとおっしゃてくれていた。

だから、わたしは病気でも投票に入った。この市議会議員さんはわたしがヤングケアラーになり始めた学生時代からわたし達親子を知っていた。

わたしは元気になれたら、おむかいさん、この議員さん、本当に親切な方々、今そばにいてくれている誰かへ、ご恩返をしたい。

体調には一見関係無いが、こういった考えが『自らを突き動かす力』になるのが不思議で書く。恨みではなく間違った事を正してほしい訴え。

これからわたしのようなヤングケアラー、身寄りがない一人っ子の高齢者介護問題、助成の遅さで救えない人達を増やさないように。

『生い立ち』

思う事は押しつぶされないで、声(が出ない『不自由』だからや文字などで)でアドボケイト(呼びかけ)をしていく。これは「最後」に振り絞られた『生命力』に感じる。

わたしは急に超的な『力』が出る時があるが、双極的にはならない様にしたい。双極性がある人達は、高く跳ね上がり「急降下」する。父がそうだった。実は父は「地球初24時」などに取り上げられた人物だったが、高く跳ね上がる鳩ほど急降下する。父はすごかったが同じになりたくない。

わたしはもう祖母や母のようにもなりたくない。祖母や母の様にと『職種』を選ぶのもやめる。虐めは職場選びも間違えていた。わたしはいつも「間違えた方向」にいくと引き戻される。わたしには『生い立ち』の話があるが、詳細はnoteに書く。

今まで散々な困難は「やるべき事」の下地になるが、やりたい事を遠ざけ出来なくして来た。実は、それは『親族の呪縛』だったが、分かりながら、反面教師な両親を見捨てたり放棄せず、死にかけるまでやって来た。後悔や恨みもない。何故なら、彼らも反面教師ながらわたしを愛していたのはわかっている。

ただし、わたしが思う愛では無い。両親に習い、わが子に「負担」はかけない。

わたしはそもそもヤングケアラーで、母を助ける為に生まれた。ただ、母が亡くなったら?この『役割』は終わる。それまで多少困難は辛抱し、面会できる様になったら『計画』を実行する。わたしは本を書く。もともとわたし達は『仲が良い』が、無理に引き裂かれた。

それまで辛抱とわたしの『命』はのびた。自死は、わたしの場合、しなくても人には「天命」があり、いつか死ぬと思う。また、それなら必死に「理解者」へ訴える方が良い。

何故ならば、大概が意地悪だが、違う人達も存在する。同じ様な経験者、分かる人達がいる。わからない人達は一生わからない。人生生き抜くには『割り切り』が必要。この世界は確かに間違いだらけで意地悪な人達は大半。そう捉え間違いはない。

まず、この様に『傷病手当』はすぐにもらえない。だから、短時間でも日払いにいかないと「食べていけない、電気が止まる、薬がない」。それにより「生活保護を」と言われるのが逆にサンキューだけどノーサンキューである。詳細をまた別に書くかも。え、生活保護が『天国』?

医師にお勧めされなかったが生きていけないから日払いに働きに行く。するとやはり『無理』して発作が出た。だから、結論は働けない状態。

働けるけど働かない人達はいるが、それは「やりたい事が見つからない」か?わたしにはあるから、生活保護が助けにならない。万が一にガンならお願いする。今でも『難病』かもしれない。だから手続きは早くお願いしたい。わたしは検査したいが、お金がないと病院すら行けない上、診断書出しての繰り返しだ。

ヤングケアラーや、身寄りがない一人っ子の介護困窮へ無理解な人達らが”引き金”に、さらに、介護休暇すら認めない意地悪をする人達に振り回された。

わたしは本当に「死ね」的状況。仕事したら「死にかける」し、しなくても「死ぬ」。ボロ屋、ペットも暗黙で押し付けられ、残された入院費やローンや全て、それは…母にお願いされるなら喜んでやる。しかし、施設担当に『なじられた』上に『ない事』を言われ、面会させないみたいな仕打ちをされ、当前みたいにやらされるのは違う。

実は、わたしは『不自由』(障がい)で『身寄りがない』から福祉的には保護対象に当たる。大した事ないとか言われ続けて来て、テタニー(強直性痙攣、けいれん、てんかんの様な発作)や自死未遂に至る。高齢者ファーストじゃなく、わたしを『踏み台』に…施設担当が面会遮断を勝手にしたり、脳梗塞なだけの母を痴呆症みたいな扱いをしたりは違う。

それ母の『年金目当て』?

わたしは、日本人なのに飢えて死にそうだった。ビタミンD欠乏の結果にこの病気を患うのは実は知ってる。栄養失調がわたしの持病とテタニー。わたしには貧困から『お前なんか食べるな、飲むな、買うな』って強迫観念もあった。2人の「大人」を1人で面倒を見て来た自分が、自分に厳しくし過ぎ、自分以上に両親を大切にして来た結果。だから、甘えた事など逆に無い。

介護者は、親の介護を苦に自死するんじゃないと思う。あなた方、国の人達が作る法律の抜け穴にあやかる誰かが『仲の良い親子まで引き裂く』からと思う。

わたしはあなた方のしたことは間違いと思う。あなた方とはこの場合は末端職員。国が憲法に誓う福祉に誠実にせず、助けない人達。希死念慮が募るのはあなた方に『希望』がなかったから。SOSは意味ない。だから社会に押しつぶされ静かに自死する人達が出る。言い訳のため、うつは甘え、皆んな一緒とか、言うのやめたら?

でも、わたしがまだ生きているのは『真に親切で無償の愛』で優しくしてくれてきた方々がいらっしゃったからでもある。これが新たな『わたしの生きる動機』になってる。ただし、病気とは気合いや根性論で治癒するわけではない。だから、これらに『無理解』な言葉は、他者を追い詰める「罪」だから、わたしだけではない『皆』にするのはやめて。

また、病気になったからと「差別しない」で、大切にしてくれてる人がわたしにはいた。ありがたいことにこれが支えになった。人間は『お互い』に優しくしないといけない。何故なら、皆が病気になる可能性はある。わたしは今までインフルエンザやコロナは全く無い。何故なら母に強い免疫システムをもらった。代わりに戦後の栄養失調から母は骨が弱く、わたしはカルシウムやビタミン欠乏症。

皆完璧ではない。

今回、都合が良い時だけわたしを使い、面倒にはるなら「こき下ろす」という友人達からも遠のけた。わたしは他者に期待しない。だから短時間の仕事を頑張った。わたしはもう『空っぽ』。夜は明ける前が一番長い。

今回だけは九死に一生だった。『隣人愛』を学んだ。この様な善良な人達へご恩は返したいと感じ、生きる力にはなった。無理をしてその繰り返し。もう今は『限界』。働いてみたら、また倒れた。これが繰り返しだから、一週間に一回救急搬送されてきたのを思い出した。だからで、おむかいさんは見かねて、「お好み焼き焼いたから食べてや」とさりげない愛をくれた。

これがあるから、今生きてる。

傷病手当が遅く、仕方なく仕事に行った。また”繰り返し”なのかもしれない…。ただ、そこの人達はわたしがいた職場(ホワイトカラー)よりも『親切』で、お互いに思いやりあってた。ブルーカラーと俗にいうが、逆に人情があり働きやすかった。つまり「見た目」じゃない。社会や職種の階級も関係ない。ホワイトカラーは実は医療系。どこにも残酷で意地悪な人達はいる。

わたしはビック企業にも何社か勤めたけど、いわゆる”3高”でも、どんなに彼らが”世渡り上手く”ても、結論、『心の成熟が低い人達』はいてパワハラや虐めをして人材潰しばかりをする。出来ないから人を貶め、新人潰し、いちばんやってはいけない事してる、人としても。

また、それを取締まる時、録音できない様に「社外秘はもらさない」って誓約書書かされるよ。パワハラの録音機など持ち込めないよ?で、労基だって監査入れて本気で守ってくれるなら、そうゆうのも考慮して欲しいわけだ。

人は「見た目」じゃないし、幸せそうなのも「見栄え」や「身なり」じゃない。幸せそうな「ステータス」の人達でも、会社での競争の《続き》かの様に、ヘルプマークをつけていても電車で押しのけられ、優先座席から座り始められたりする。消費競争、資本主義が、彼らに間違えた「弱肉強食マインド」を刷り込む。歩けない人に歩けよ!と怒号する無茶苦茶なモラルの人達すらいる。誰にも『席を譲る』などしないで一生懸命スマホゲームをする人達もいる。

世の中は優しい人ばかりではない。管理職ほど人を育てる目線が必要だが、我が生活に必死で、逆に人に当たる。そんな普通に見えて余裕が無い人達もいる。コロナ禍が悪いが、友人はそんな社会を「せちがない」と言った。意地悪な人達、他者の不幸を喜ぶ人達が増えた。何故ならば、それが人間の『本質』。

都合が悪くなれば逃げ、人を出し抜き、責任転嫁を『スマート』と呼ぶ人達もいる。だからこそ、人間は普段より何かを『心』に留める。それが昔は「神様」だったが、神のいない世界では、何が人の『心』を成長させる?人と人が「助け合う」ことが、未来に自分に還ると悟ることが出来無いんだと思う。

色んな意味で「学び」にはしたが、自分が無理をしていく度にまた『身体』が壊れて、無理してるのか?すらわからなくなるから、もうメンタルがどれだけ強くても、体を酷使するのはやめようと誓った。

テタニーが起きる後に四肢が動き辛くなる。また、『不自由』が増え、手帳が2冊になってしまう。どの様にしようか考えていたら時代が動き、低所得者への『給付金』を政府が検討した。命を削らなくても薬代になるかな。

でも、わたしはあまり当てにもしない。感情がフラットすぎて幸福感が気薄になってるのがうつらしいけど、多分もともと『経験上の悟り(ウィズダム)』から、他人や社会は当てにしてないのもある。わたしは、段々、社会から遠のいたら身体はマシになった。

しかし、また関わると悪化するのは、もうアレルギーかもしれない。わたしは「遺跡発掘調査」の仕事を見ていた。元気になれるなら、なんか変わった、没頭できる仕事、わたしにしか出来ない仕事がしたい。

真実を語ると、一般的に、というあなた方の呼ぶ「一般」とは…両親が子に迷惑かけていないで、上司がパワハラしていないで、アップダウンのない人生で、親戚がいるから「得」な状態を指す。それを「持たざる人達」よりかは、楽で得な条件にある。

そうでも無い運命の人を『皆一緒』というのはあなた方の『罪悪感の穴埋め』なだけ。責めてはいないが、自覚無しに『逆境』にいる方々を余計に「意地悪」したり、さらに負担にしないで欲しい。何故なら、あなた方より「桁外れ」に物理的に苦労してるよ。

社会がうつを作り出すとは精神科医さえ言っているが、そうだと思う。着たくもない流行だけな格好で、ついていけない誰かをターゲットに評価(悪口)を言ったり。それはただの『劣等感』だよ。劣等意識を他者にぶつけてるだけ。結婚とか大学出とか関係ないよ。結婚してても不誠実で不幸な人達もいれば、大学出ても風俗嬢と犯罪者とか『計画にない人生』を歩む人達もいる。

大事なのは、いかに『逆境』に辛抱できるか。幸か不幸か体が弱いわたしはメンタルだけは屈強。小さい時から『苦労した』したのもあるだろう。人生最大に体が辛いから終わりにしたいと感じるほどだったけど、わたしにはまだ「やるべきこと」がある。死んでいない。

今日生き延びたらあなたも明日も生き延びられる。意地悪で残酷な人達をキリがなく、稀な『隣人愛』を宝探ししている様に捉えてみるとわりと幸福感が上がる。

ただ他人は期待しても損だよ。自分だけがベストフレンド。だから、わたしは恋人、親友を3人亡くしたけど、まだわたしには『自分』がいる。

そんなこんなで、わたしは仕方なしに日払い仕事に出たが、その日に隣の工場がいきなり爆発火災になった。よく考えたら『九死に一生』だった。

近くの神社の神様は出雲系のお水の神。こじんまり祀られてあったのを思い出した。神様が神無月でいないからか?と問うたら、いきなり、『狐の嫁入り』。ものすごい『雷雨』は爆発火災よりもの大迫力。爆発火災は消え、しかも雨止んで欲しいと考えたら止んだ。偶然は重なる。

またテタニーになるから無理したく無いと考えると、低所得者への給付を政府が検討しだした。自分は最悪な弱者になったけど『助け船』がくる。『偶然』が重なる。

わたしの人生には九死に一生が多く、限界値に至るとまさかの救いがあったりする。わたしはそれがあるから『神様』を信じたりする。不可知論者であるが、いきなり「超自然的な事」が起こるから。

だから、まだ生きる”価値”はあるよ。

⭕️生活保護が増える理由


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