アンジャッシュの渡部建さんが不倫して話題になっていることは、皆知っていることだろう。
僕自身はさほど関心がない。ただこういうスキャンダルには人々の道徳心が現れるとは思うので無視するわけでもない。
ネットでこんな感じで不倫相手の女性へのバッシングが出ていた。
「不倫相手の女性が被害者面している。不倫相手の女性も渡部さんに奥さんがいるのを知っていて何度も関係を持った。奥さんからしたら『あなたも被害者面しないで』って思う」
Yahooニュースから拾ってきた。元はFriday Dijitalのようなだ。
これが日本人の道徳観なんだろうなとは思うが、僕はミソジニーや女性差別を見てしまう。渡部さんと不倫相手の間にある力の違いを感じざるを得ないからだ。ここに恋愛感情や芸能人への憧れなどが組み込まれていれば、このような関係から自らの意志で断ること自体が難しいだろう。
いちばんの問題は明らかな性搾取であることに気づいていないことだ。女性が単なる性のはけ口に使われていたと語っている。これは信じるに値する言葉である。状況から僕たちもそのように考えるだろう。であるから渡部さん(一応「さん」付けしている)は女性を道具として扱うことになんの躊躇もない性加害者である。
ゆえにハラスメントであるから、女性は性被害者である。渡部さんは女性好きだと言われるが、その本質女性を性欲の対象としか見ていないのでミソジニー(女性蔑視、女性嫌い)である。女性を人格ある存在としていない。「そんなことはない」と言うだろうが、気づけないだけ。
これを「女性に落ち度がある」などと言うのは、このような構造を理解しないで、その現象を通俗的な感覚で断罪しているだけだ。女性自体が性被害者の女性を非難するのは、女性自体が日本社会の価値観、ここではミソジニーであるとか女性差別を引き受けていることになる。
女性が性被害を告発したというのにバッシングされるのはセカンドレイプと同じようなことだ。佐々木希さんが不倫相手に被害者であるというのはまだわかる。
少し整理しよう。加害者と被害者を確定して行く。
①渡部さんと不倫女性の関係では、渡部さんが加害者、不倫相手が被害者である。その理由は性被害であること明白だから。
②渡部さんと佐々木希さんの関係では、渡部さんが加害者、佐々木さんが被害者。渡部さんの一方的な不貞行為だから。
③佐々木希さんと不倫女性の関係では、不倫女性が加害者、佐々木さんが被害者。結婚しているにも関わらず不貞行為をしたから。
これで本来おしまいであるが、日本では世間なるものが出てくる。そこで不倫女性について考えてみよう。
④不倫女性が加害者、世間が被害者。そのような意見を表しているのがさきほど引用した記事である。このような見方をした時に、失われるのが①の視点である。そして性被害という問題を後退させ、この④が成立するために③の論理が接合される。
不倫女性が加害者で善良な私たちが被害者という図式がここに成立する。なんてことはない。ネットで正義を振りかざし、人をバッシングするのと同じ構造だ。本当に問題とすべきは男女間にある性の非対称性である。つまり男女間の差別構造だ。
結局性被害という問題は世間にネグレクトされる。ここに意識の政治がある。通俗的な感覚で断罪していると僕が指摘するのは、このような世間を背景にした感覚のことである。これが世間の「善い人(by ニーチェ)」だと思う。