中日ドラゴンズの応援歌が自粛の憂き目にあっている。
歌詞の中で「お前が打たなきゃ誰が打つ」の「お前」が不適切なんだって。なんか気が抜ける。
与田監督は子供が「お前」と歌うのは教育上良くないと言っているらしい。それで禁止するほうが教育上悪いに決まっている。
だいたい「教育上悪い」として禁止事項を増やすのは教育の放棄ではないか。まさに教育上悪いのであれば、教育の良い機会になる。何が問題なのかそこで話し合うことで、その問題の性格が浮き彫りになり、気づかなかったことなどがまた浮き彫りになるのである。そういう機会を訳のわからない「予防原則」を設定し、禁止してしまうというのはコミュニケーション文化を停滞させるだけである。
「お前」の語源とか歴史的な変遷とかは専門家に聞けばわかると思う。「お前」には親しみのニュアンスが組み込まれているようには思うけれど、言葉というのは状況によってその意味を変化させるということがある。
例えば「お前はバカだ」と言ったとき、コンスタティブな水準では、そのまま「お前=バカ」ではある。ところが、親しい間でふざけあって後、「お前はバカだ」といえば、「お前=面白いorかわいいor好き・・・・」という程度に意味は変化してしまう。こちらはパフォーマティブな水準。
社会的文脈抜きに言葉の意味が決定し得ないこと、そのような言葉の在りようを勉強するのはまさに教育である。そもそもこのような言葉の恣意性を学び、そこに根ざした上で文章を理解していくことこそ国語力である。
このような視座を組み込むだけで、ドラゴンズファンが応援歌で当の選手を「お前」と呼ぶのは、選手を蔑んで「お前呼ばわり」する行為ではないのは明らかだ。それこそ、意味を状況において解釈する人間らしい営みである。子供だって理解していることではあるけれど、このような禁止事項として学習すれば、子供が当の理解と齟齬をきたし、どのような意味か確定できないまま意味が宙ぶらりんになってしまう。これこそ大問題だ。
だいたい「教育上悪い」という文言が使われるときは大抵胡散臭いものだ。
ファンがドラゴンズを教育する良い機会である。できないとすれば、日本社会は訳のわからない「予防原則」で、生きがたい社会になっているという格好の事例かもしれないね。