亡くなって1か月になりました。早いような、遠い昔のような・・・・・
めいじぃは・・・・・吹田の明治東洋医学院で拾いました。
娘が初めて拾ったひめを飼ってから2年目でした。娘がひめを拾って・・・私も拾いたいわと思ったもんです。(今は絶対思いませんが)名前も自分でつけられるし・・・・当時は能天気だったんです。
その頃は姉の仕事を手伝っていたのですが、朝出勤した時は気が付きませんでした。その日は外廻りをお掃除する当番だったので、校舎のぐるりを掃除しながら・・・・前庭のプロムナード迄来た時に、遊歩道に何か落ちている?ネズミの死骸?近づいたらなんと生まれたてのしろっぽい(肌のピンクしか見えない)猫でした。拾って箱に入れ休憩まで置いておきました。7月25日暑い日だったので臍の緒と胎盤が乾いてしまって生きていたと思う、冬なら即、死が待ってたでしょうね!
20分も経たないうちに休憩時間になり、一番近いS崎動物病院に連れて行きました。産れ立てなので命が助かる率は五分五分だと言われました。缶ミルクと哺乳瓶を貰って帰り、手探りで育てました。産れたての子を育てるは初めてです。毎日同伴出勤、その日の夕方にもう1匹居て生徒さんが拾って帰ったと聞きました。良く生きていたと思います。初乳も飲んで無かったから、蚤も虫も湧きませんでした。1週間ぐらいしたら目から膿がドンドン出て来たので近くの獣医さん(岸辺の駅前)に行き薬を貰いました。1週間ほど飲ませたら治り、パッチリお目々が開きました。
40日は同伴出勤してました。白が多い立派な三毛猫になり、活発になり、事務所に置いて置け無くて先住のひめが男の子だったので心配だったのですが(オスは仔猫をかみ殺す場合があるとか?本でみたんで)・・・・、帰ったらケージに居ない?(小さいので通り抜けられた)探すとマッサージ機にちょこんと座りひめと一緒でした。これでもう毎日留守番が決まりました。
避妊は、岸辺の獣医でしたのですが、1泊で迎えに行くと、この子は凶暴なのでもう見れない抜糸はせんで良い、放っておいても自然に抜けるからと言われた。
えええ、そんなぁ~無責任なぁ~って思って腹立たしかったです。
白が多い三毛ちゃんにたがわず気難しい子なのでお腹を触らせないので、当時コタツで熟睡しているのを懐中電灯で照らして1本は私が抜きました。それでも何とかならないかと・・・・
友達に紹介して貰って、O本動物病院で5人で押さえて後の糸は抜いて貰いました。2回ほどそこでワクチンもして貰いましたが、とうとう、接種中に暴れ出し、針が飛び、曲がったので、もう、連れて来んといてと言われて、2度と行く事はありませんでした。
その後は大きな病気もせず、女の子なのに5kgもある女性に育ちました。
エルフさんとご縁があり、2軒断られた子ですが見て貰えますか?って聞いたら「連れといで」と言われたのでそれからは安心して連れて行けました。
2011年(8歳)の年明けに、口を痛がり出したので、一度麻酔を掛けてじっくり検査してもらいました。勿論ネットに入れて行きました。内臓も歯も綺麗で異常なく・・・喉の奥に口内炎が両方にあるとの事でした。当時あびこさんも知ってたのでアロエベラが良いとは聞いてましたが、この子の嗜好は偏っていて頑固で決まった物しか食べませんでした。カリカリの他に夫が甘やかしてたので離乳食(dbfの仔猫用の缶)は6年間も食べてました。口の痛い子に強制給餌は無理なので諦めました。その後、注射が効いている時はカリカリもバリバリ食べて居ました。段々固い物が食べられなくなって・・・・昨年の1月に膀胱炎になって、段々注射の間隔も短くなって来て・・・・とうとう昨年の10月から点滴は2日おきか1日置き毎日の日もありました。
2月の中頃には点滴をしても食べる意欲が無くなり、20日を最後に点滴は諦めました。
23日の火曜日には堺まで猫ちゃんを届け、24日も生駒にお届けでしたがもう危ないと思い留守に出来ませんでした。が、22日から24日までは気が気じゃあ無かったけど毎日ハルの点滴には行きました。
24日の夕方とうとう最後を迎えてしまいました。
本当にこの子は産まれてから亡くなるまで一度もおしっこを失敗する事が無かったです。エルフ先生が居たから5年も長生き出来たと感謝しかありません。めいじぃ幸せだったか?充分生きたか?ひめに逢えたか?
もう年寄り猫が居なくなって・・・・ひと時代も終わったなあ~て思います。
1年前のめいじぃ・・・・・まだまだ綺麗な時です。
今朝は9時になってアリスにI田さんの猫をお願いしました。I田さんは9時前着で先に飛び込みました。
どうやらギリギリセーフでした。可哀想ですが、この道しか選べません。
昨晩からハルが又血尿です。今朝、エルフさんに電話したら掛かりませんでしたが、折り返して電話下さって、夕方なら開けると言われたのでホッとしました。
6時に点滴を打って貰いました。やはり私が見ただけで5人は来てました。
ハル良くなるといいなぁ~
めいじぃは・・・・・吹田の明治東洋医学院で拾いました。
娘が初めて拾ったひめを飼ってから2年目でした。娘がひめを拾って・・・私も拾いたいわと思ったもんです。(今は絶対思いませんが)名前も自分でつけられるし・・・・当時は能天気だったんです。
その頃は姉の仕事を手伝っていたのですが、朝出勤した時は気が付きませんでした。その日は外廻りをお掃除する当番だったので、校舎のぐるりを掃除しながら・・・・前庭のプロムナード迄来た時に、遊歩道に何か落ちている?ネズミの死骸?近づいたらなんと生まれたてのしろっぽい(肌のピンクしか見えない)猫でした。拾って箱に入れ休憩まで置いておきました。7月25日暑い日だったので臍の緒と胎盤が乾いてしまって生きていたと思う、冬なら即、死が待ってたでしょうね!
20分も経たないうちに休憩時間になり、一番近いS崎動物病院に連れて行きました。産れ立てなので命が助かる率は五分五分だと言われました。缶ミルクと哺乳瓶を貰って帰り、手探りで育てました。産れたての子を育てるは初めてです。毎日同伴出勤、その日の夕方にもう1匹居て生徒さんが拾って帰ったと聞きました。良く生きていたと思います。初乳も飲んで無かったから、蚤も虫も湧きませんでした。1週間ぐらいしたら目から膿がドンドン出て来たので近くの獣医さん(岸辺の駅前)に行き薬を貰いました。1週間ほど飲ませたら治り、パッチリお目々が開きました。
40日は同伴出勤してました。白が多い立派な三毛猫になり、活発になり、事務所に置いて置け無くて先住のひめが男の子だったので心配だったのですが(オスは仔猫をかみ殺す場合があるとか?本でみたんで)・・・・、帰ったらケージに居ない?(小さいので通り抜けられた)探すとマッサージ機にちょこんと座りひめと一緒でした。これでもう毎日留守番が決まりました。
避妊は、岸辺の獣医でしたのですが、1泊で迎えに行くと、この子は凶暴なのでもう見れない抜糸はせんで良い、放っておいても自然に抜けるからと言われた。
えええ、そんなぁ~無責任なぁ~って思って腹立たしかったです。
白が多い三毛ちゃんにたがわず気難しい子なのでお腹を触らせないので、当時コタツで熟睡しているのを懐中電灯で照らして1本は私が抜きました。それでも何とかならないかと・・・・
友達に紹介して貰って、O本動物病院で5人で押さえて後の糸は抜いて貰いました。2回ほどそこでワクチンもして貰いましたが、とうとう、接種中に暴れ出し、針が飛び、曲がったので、もう、連れて来んといてと言われて、2度と行く事はありませんでした。
その後は大きな病気もせず、女の子なのに5kgもある女性に育ちました。
エルフさんとご縁があり、2軒断られた子ですが見て貰えますか?って聞いたら「連れといで」と言われたのでそれからは安心して連れて行けました。
2011年(8歳)の年明けに、口を痛がり出したので、一度麻酔を掛けてじっくり検査してもらいました。勿論ネットに入れて行きました。内臓も歯も綺麗で異常なく・・・喉の奥に口内炎が両方にあるとの事でした。当時あびこさんも知ってたのでアロエベラが良いとは聞いてましたが、この子の嗜好は偏っていて頑固で決まった物しか食べませんでした。カリカリの他に夫が甘やかしてたので離乳食(dbfの仔猫用の缶)は6年間も食べてました。口の痛い子に強制給餌は無理なので諦めました。その後、注射が効いている時はカリカリもバリバリ食べて居ました。段々固い物が食べられなくなって・・・・昨年の1月に膀胱炎になって、段々注射の間隔も短くなって来て・・・・とうとう昨年の10月から点滴は2日おきか1日置き毎日の日もありました。
2月の中頃には点滴をしても食べる意欲が無くなり、20日を最後に点滴は諦めました。
23日の火曜日には堺まで猫ちゃんを届け、24日も生駒にお届けでしたがもう危ないと思い留守に出来ませんでした。が、22日から24日までは気が気じゃあ無かったけど毎日ハルの点滴には行きました。
24日の夕方とうとう最後を迎えてしまいました。
本当にこの子は産まれてから亡くなるまで一度もおしっこを失敗する事が無かったです。エルフ先生が居たから5年も長生き出来たと感謝しかありません。めいじぃ幸せだったか?充分生きたか?ひめに逢えたか?
もう年寄り猫が居なくなって・・・・ひと時代も終わったなあ~て思います。
1年前のめいじぃ・・・・・まだまだ綺麗な時です。
今朝は9時になってアリスにI田さんの猫をお願いしました。I田さんは9時前着で先に飛び込みました。
どうやらギリギリセーフでした。可哀想ですが、この道しか選べません。
昨晩からハルが又血尿です。今朝、エルフさんに電話したら掛かりませんでしたが、折り返して電話下さって、夕方なら開けると言われたのでホッとしました。
6時に点滴を打って貰いました。やはり私が見ただけで5人は来てました。
ハル良くなるといいなぁ~
男前のひじきもいつの間にかシニア世代でアッと言う間です。
めいじぃちゃんの名前変わってますが何でめいじぃちゃんになったんですか?
フジオの名前も変わってますが
以前、ペットシッターさんにフジオですと紹介したら
出た~!ヒットですね!っていわれました!
男の子ならそのままメイジですわ。って言うか理事長の名前付けたかったんですよ。
フジオ君は・・・富士山のように、なんだか偉大な、霊験あらたかな見た途端フジオって思ったんですよ。