こうして家の中に居られるのは、
大きな木陰に涼んでいるのと同じ。
配達のスタッフさんに、数分間でも、せめて玄関に入っていただく。
「ああ、涼しい」とホッとされる。
なるだけ早く、ハンコを押して、帰っていただく、が、
高峯秀子さんの著書にあったのは、佳き時代の細やかな配慮。
配達員さんに、冷たいドリンクとおしぼりを、毎回差し上げておられた、とか。
今の就業規則的にどうかわからない、が、
あんな時代も確かにあったよね。
録画を再生して、Nスペを観る。
東北の被災者住宅での4度目の夏を取材していた。
オリンピックへの期待の裏側に置き去りにされた人々のことに目を向ける。
昭和の東京オリンピック、大阪万博、ともに、作業員や資材を寡占状態にしてなされたもの。
そんなこと、始めからわかってたやん。
“Tokyo Japan!”の熱狂の裏側は、被災地のみなさんに強いる犠牲。
「東北復興工事の職人を東京に取られるで」と仲間うちで呟いたけれど、
場違いな発言だったのか、誰も反応してくれなかった、不思議。
困窮の中で約束を破られ、ネグレクトされ続ける人々の悔しさ、無力感を、
想像するだに辛い、と言ったら偽善と思われる、でしょうか。